ダウンタウンDX

霊柩車見たら、親指立てたりするじゃない? ………。

 高田純次の台詞であり、こう言ったあとで「当然彼の話はまだ続くのだろう」(例えば「その由来などを説明するのだろう」)と周囲に思わせ、しかししばらく黙っている、という手法で笑いが起こる。高田純次はこの台詞の前にもしばらく喋り続けており、だからこそ「当然彼の話はまだ続くのだろう」という思いがその場での「常識」となる。ここでの高田純次による笑いは、「常識」に反抗する、という笑いである。

 差別的な笑いやブラックジョークを考えたとき、「全ての笑いは優越感から生まれる」という仮定が生まれる。「常識」に反抗する人間はすなわちその瞬間「常識」に対して言わばだだをこねているのであり、つまりはあのとき我々は高田純次の保護者になったのではないか? さらに言えば、常に「常識」に反抗しつづけることで笑いを生む人間を見たとき、保護者となった我々は「ジミーちゃん」「おさむちゃん」などと、ちゃん付けで呼ぶのではないだろうか?

「常識」に反抗する、という手法はおそらく最も基本的な手法の一つだろうと思われるが、しかし問題は「常識」とは何であるか、という…。

高田純次 発言集・203選」
http://ww6.enjoy.ne.jp/~are/takada.html

 全く言う必要がないことを言う、という行為がなぜ面白いのだろうか?