NATIONAL GEOGRAPHIC CHANNNEL

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 特に映像の面において、受ける印象が日本のドキュメンタリーとはまったく異なる。とにかくカット変換のテンポが早い。そもそも映像(登場人物の台詞なども含め)により「意味」を伝えようという意識がほとんどないのではないか? まさにカットはカットであり、そこからは断片的な印象をしか受け取ることができない。注目すべきは日本のドキュメンタリーでは映像により伝えてしかるべき情報をナレーションで処理してしまっている点であり、そこにある種の乱暴さをも見ることは出来るが、しかし単純な画面として見たときの完成度は圧倒的に異なる。

 これは手法の問題であると同時に世界を見る際の視点の問題でもあるだろう。おそらくはNATIONAL GEOGRAPHIC CHANNNELの手法とは、共感(これは特に情緒としての共感である)を重用視しないという意思に基づいているのではないか? また、「画面」と「意味」を徹底的に分割するというドラスティックな手法(主義)は他の場面でも活用できるのではないか?

(例)副音声つき戦争(兵士の個人的な情報など)
(例)あるいは副音声をつけるという行為そのもの
(例)さらにその副音声が徐々に独立した物語として、映像とは切り離された地平で発展する

この夜、彼女には6人の霊が乗り移りました

 除霊についてのドキュメンタリーにおける、この「断定」の面白さとは何だろうか? 怪しげなことを、また過剰なことを言い切る面白さとはどこに由来するのか? ここには「英語で言われている」(=インテリの印象を受ける)という部分も少なからず影響しているはずだが…。

(例)全ての質問に即座に答えるが、その答えが明らかに間違っている物知り博士