「ザ・水道橋 in 座・高円寺 vol.1 〜園子温芸人デビュー〜」を観て思ったこと

歯ぎしりで充血するくらいに「今に見ていろよ」とお天道様にいびつな微笑みを返して生きることは、常に刹那でしか生きてこなかった証である。刹那によって、突き動かされてきたんだと思う。「刹那」とは僕にとってすでに日々の日常なんだ。

 こんなことを真顔で言うやつは、社会不適合者に違いない。「時計じかけのオレンジ」のアレックスの言葉ならしっくりくるだろう。あるいは、昭和の芸人が河原でのたれ死ぬ前に走り書きしたメモに、こんな文章が書かれていたのかもしれない。しかしこれを書いたのは、アレックスでも、昭和の芸人でもない。園子音という奇妙な名の映画監督が、著書「非道に生きる」の前書きで記した言葉である。彼は51歳にして「芸人」になることを志した。そして2013年、4月30日。東京都杉並区高円寺北2丁目1番地2号、座・高円寺にて、水道橋博士と多くの観客が見守る中、彼は果たして「芸人」になったのだった。

 水道橋博士、という、これもまた奇妙な名で世に知られている人がいる。園子温よりも一つ年下の彼は、ビートたけしという巨星の輝きに魅入られ、その光の中に生きる希望を見つけてしまったが故に、たけし軍団という、時代錯誤も甚だしいほどのいわゆる芸人的世界に身を寄せることとなる。だから彼の職業欄に記される文字は、芸人、ということになるだろう。キャリアも決して短くはない、少なくとも職業としては、その二文字が間違っているはずもない。その水道橋博士が、本人が編集長を務めるメールマガジン「水道橋博士のメルマ旬報」の号外(2012年12月6日発行)、その冒頭で、自身を評した言葉がある。

う〜ん。まず最初にボクは自信が無いのね。
もうこれは生まれた時からず〜っと。
常に違和感があって、
今、自分がやっていることには常に悩んでいるの。

 2013年5月現在、「芸人」という単語はあからさまに薄められている。それはもう、職業でしかない。いや、そんな時代も既に過去に追いやられ、もはや立ち位置を示す単語に過ぎないのかもしれない。だけどそれはここ数年、長くても10数年の話であって、それよりもちょっとだけ昔なら、「芸人」という単語が示すものは、間違いなく生き様そのものだった。あるいは、死に様そのものだった。失われた過去を慈しむような馬鹿馬鹿しい行為に身をやつすつもりなどないが、事実としてそうだったはずだ。その頃の言葉として「芸人」という言葉を使うなら、この水道橋博士の言葉に「芸人」を見いだすことはあまりに難しい。ちょっとどうかと思うほど「人間」の言葉だ。

 しかしここにこそ、水道橋博士のリアルがあり、ここにこそ水道橋博士の真骨頂がある。「芸人」という二文字に憧れ、狂おしいほどにそれを求める、「人間」という二文字の姿が、ここにあるのだ。マキタスポーツの楽曲に「芸人は人間じゃない」がある。前田日明が発した言葉に「選ばれし者の恍惚と不安、二つながら我にあり」がある。根本敬が世に問うた言葉として「でも、やるんだよ!」がある。これらの言葉が共鳴している所以は、あるいは同じことを違う言葉で表現していると感じる確かな理由は、生き様をまず最初に決めてしまうという、その向こう見ずな手法にこそある。だから、だからこそ、「芸人」というその二文字は、ぼくらを惹き付ける。「人間」が「人間」を捨てることが出来る、「芸人」になることでそれが可能になるというあまりにも美しいダイナミズムが、実践として存在している。それはあまりにも魅力的であるし、少なくとも間違いなく、嫉妬するに値する生き方ではある。

 さて、いいかげん、「ザ・水道橋 in 座・高円寺 vol.1 〜園子温芸人デビュー〜」の話をしようと思う。

 前半のトークパートで、水道橋博士のナビゲートのもと、園子温の半生が語られる。そのエピソードは完全に常識を逸脱している。青年期以降の話もすさまじく面白いのだけど、思春期前の話、たとえば全裸で小学校に登校した話や、学校新聞が発禁になった話は、完全にナチュラルボーンの「芸人」っぷりを呈している。ここに絶大なる魅力と、嫉妬すべきものがある。だからこの時点でこのイベントは、生まれついての「芸人」である園子温を、「人間」である水道橋博士が、いかに職業としての「芸人」として世に出すのか?というのが見所になる。

 モチーフとして持ち出されるのは、十字架だ。園子温監督の作品でもしばしば使われるモチーフでもある。キリスト教というか、イエス・キリストという個人についてだ。イエスは家族を否定する。そもそも家族の一員であることを許されていないからだ。処女懐妊で生まれたイエスは、生まれながらにして家族を否定する存在である。というか、家族のあり方そのものを、いちから見つめ直すことを要請する。家族であるから、血が繋がっているから愛し合うべきだという、当たり前の論を拒絶する。それはまさに園子温監督作品に通底するテーマでもある。愛するべきだから愛するべきだという、愛という名のもとに黙認されたトートロジーを唾棄する。当たり前になっていることは、疑うべきなのだ。何が何でも。相手が何であってもだ。人間が、人間でいたいのならば。人間でいようとするならば。

 そしてまた、イエスは人間を否定する存在でもある。人間であることを許されなかったから、イエス・キリストは特別なのだ。それは逆説として、人間であろうと志すことの尊さをも伝えている。「芸人」というのが職業や立ち位置でなくひとつの生き様であるのと同じように、「人間」というのもまた当たり前のようにひとつの生き様なのだ。「人間」とは意図して選び取られるべき道である。自分を十字架に磔にするのはほかの誰かではなく、自分自身でなくてはならない。そしてイエスが用意した十字架は、数千年を経てなお、我々に与えられている。いつでもかつげる十字架がある。それはまあまあ、悪い話じゃないと思う。少なくとも、裸になってその十字架を背負えば、結構な笑い声が客席からは起こるのだ。耳をすませば笑い声の向こうから「Always Look on the bright side of Life」の歌声も聴こえてくるだろう。もちろん本当に聴こえてきたなら、今すぐ耳鼻科に予約の電話を入れるべきだろうけど。

「ザ・水道橋 in 座・高円寺 vol.1 〜園子温芸人デビュー〜」、最後のモチーフとして使用されたのは、映画「ロッキー」だった。この映画が流されながら、舞台では、くだらない出来事が起こり続ける。それでも映画に呼応として、映画に後追いする形で、現実のエイドリアンが袖から出てきて抱き合う。泣いてしまうのだった。そして口上師である水道橋博士が「最後に一言!」と叫んで、十字架に磔にされた園子温が叫ぶ。「俺は、芸人に、なれたぁー!」と。そこから拍手はやまなかった。誰もが、拍手を鳴りやめたくなかったからだ。この拍手がずっと続いてくれと、誰もが思っていた。せめて高円寺の空にだけは、この拍手が、ずっと響いていてほしいと、誰もが思っていたのだった。それはちょっとした、奇跡の夜だった。

 そしてその奇跡は、間違いなく、水道橋博士が作ったものだ。生まれついての「芸人」ではない。だけど「人間」としての矜持と努力と精進によって、奇跡は起こすことが出来る。それが、それこそが、この夜の美しさを保証していた。ほかの誰の話でもない。「人間」についての話なのだ。これは誰の話でもない。君の話であり、ぼくの話でもあり、ぼくたちが知らない誰かの話でもあるだろうという、そういう話だ。選ばれし者でなかったとしても、少なくとも、より善く生きようと試みることは出来る。だから人は生きる。人には、一生懸命に生きる資格と権利がある。そんなことを、水道橋博士の、「芸人」なのだか「人間」なのだか、あるいはその二つを分つことなどそもそも出来るのかって話だが、とにかくその生き様から改めて学んだ、そんな夜だった。

 最後に、園子温非道に生きる」の末章から、引用します。

そう、刹那的生き方は、より人間的でありたいと願い、あまりにも人間的であるがゆえに踏み外す非道の人生なのです。

 人は誰もが、生まれちゃった以上、自分の人生を引き受けて生きていかなくてはいけない。それをやらないなら生きている資格なんてないのだと、それは信じるか信じないかは別として、真理としてそうなのだと、心からそう思っています。


(追記)
 本エントリ、水道橋博士が編集長をつとめるメールマガジン「水道橋博士のメルマ旬報」(2013年5月10日号)の「博士の異常な日常」で取り上げていただきました。連載陣の豪華さと文量&文の熱さがまさしく「非道」と言える素晴らしいメールマガジンですので、定期購読をお勧めします!