谷川貞治「平謝り」〜「すみません」という生き方について〜

 谷川貞治「平謝り」 Amazon

 冒頭から、謝っている。

 まずはじめに、ファンの皆さん、並びに関係者の皆さんに深くお詫びします。

 谷川貞治「平謝り」は、こうして始まる。サブタイトルは「K-1凋落、本当の理由」。元K-1プロデューサーである谷川貞治氏が、K-1の誕生から国民的なムーブメントとなり、そしてその後「凋落」していく様を語った一冊だ。K-1が誕生した当時は雑誌「格闘技通信」の編集者であった谷川氏は、2002年、創業者の石井和義氏が法人税法違反の容疑で起訴されたことがきっかけとなりK-1のイベントプロデューサーに就任、2003年9月には運営会社FEG代表取締役に就任し、大晦日興行など数々のビッグイベントを手がけることになるのだが、まあ色々あって、ってすごいはしょり方だが、色々の内容に関しては「平謝り」を読んでもらうこととして、2012年5月、FEGは東京地方裁判所から破産手続き開始の決定を受けることとなる。

 K-1というジャンルが誕生するところから語られているため、いわゆるビジネス書としての読み応えも充分だ。特に、テレビというメディアと共犯関係を築いて作り上げるイベントのあり方については非常に興味深いし、今もって参考にできる部分も多いと思う。そしてまた、谷川氏の実体験を基に書かれているプロデューサー論やマネジメント論は、業種によらず、ビジネス者の糧となることだろう。しかしこの本はまた、実戦的哲学書として、非常に価値ある一冊でもある。

 だって、破産しちゃってるんだもの。選手たちへのファイトマネーの未払いや、各所に借りた金は返せていない。この本によれば谷川氏本人は数年間給料すらもらっていないそうである。まあまあ、商売を失敗すればそりゃあ大なり小なりそういったことはあるんでしょうけど、自分がその立場だったらどういう精神に追いやられるだろうかって、想像しただけで恐ろしい。回らない首ならせめてくくってやろうかしら、って気持ちにもなろうってものだろうけど、谷川氏は少なくとも今日現在、首をくくっていない。首をくくらずに何をしてるかっていうと、謝っているのだ。「すみません」と。

 自ら「考えてみれば、僕は本質的に『すみません』のプロデューサーでした」と語っている通り、おそらく谷川氏は「すみません」のスキルが異常に高い人なのだろうと思う。そしてそれを、おそらく谷川氏自身も、認識しているのだろう。大津市のいじめの事件を例に挙げて言うことには、

 僕が彼らのように「すみません」が言えない人間だったら、とっくに逃げていました。「すみません」が言えるからこそ、持ちこたえられたと思っています。

 ある意味では、開き直りに近い。そしてまた、よくよく考えてみると、何の解決にもなっていない。むしろ谷川氏の「すみません」に力があったからこそ、結果的にFEGの最終的な負債額は大きくなってしまった可能性すらある。しかし、個人として考えたとき、これだけ力強い言葉もないだろう。「すみません」と言える限り、色々あっても、人は生きていける。少なくとも、そうしている人がいる。そうやって今日を生きている人が、確かに今、ここにいるのだ。中年のおっさんであり、頭髪はだいぶ前から丈夫ではない。でもその人は、何やかんやあって、今日、確かに生きている。

 だとしたら、それが自分にやれない道理はない。身勝手ではある。ほとんど青木雄二の世界だ。しかし、生きる者として何よりも大切なことは、死なないことだ。生きている全ての者には、生き続けようとする義務がある。その資格がある。ナニワ金融道で描かれた異常に目の細かい畳の跡が額につくほどに、頭を地に擦りつけてでも、人には生きる義務と資格がある。嘲笑われても、怒られても、裏切られても、それでも人は「すみません」と謝りながら、生きていける。美しくはないし、分かりやすくもない。だけどそれは、おそらくはとても大事なことなのだ。

 谷川貞治「平謝り」の冒頭の一文の前に、目次よりも書名よりもその前に、一枚の写真が挟み込まれている。「偉大なる二人のファイターに、懺悔と労いの思いを込めて。」その白文字を抱くように、二人のK-1ファイターが写っている。

 お互いの健闘を讃え合う、アンディ・フグと、マイク・ベルナルドの写真である。