シルバーホストG

 マッスル坂井監督の映画「シルバーホストG」を観たので、色々と思ったこととか考えたこととかを書こうと思います。ものすごいだらだらした感じになりますが申し訳ございません。相沢は最近読んでも全く面白くない日記ばかり書いていますが、本人は至ってユニークなひょうきんものなので近いうちにオフ会へでも誘ってもらえますか?

  • 今林さんがかわいすぎるのでどうしてくれようかと思った。自分の中にひそんでいる腐女子部分が激烈に反応する。モエス! あとなんでんかんでん・川原社長の演じっぷりがすごすぎる。エネルギーが有り余っちゃってる人っていうのは、どんなことをやっても面白いんだと思った。
  • 「転職もの」というか「大人の挑戦もの」の理想型っていうのは「クール・ランニング」なのではないか?
  • そういうストーリーで感動的なのはたぶん、前職、あるいは前のキャリア(特にそこで夢破れてると最高)があるということ。同時に、そこで培った何かしらの能力が新しい挑戦の舞台で効果的に発揮される、ということ。構造、メカニズムの話。
  • それが何故感動を呼ぶのか? 主人公に感情移入している観客は、大抵の場合、自分の人生に不満を持っている。もっと別の場所に行けば自分はもっと輝けるはずだと。でも完全に変身しちゃうとちょっと違っていて、自分が自分でありながら輝く必要がある、それを代行してくれるのが上記のメカニズムなのではないか……と言ってしまうと理に寄り過ぎているだろうか? 人はなぜ物語に感動するのだろうか?
  • こういった型のストーリーだとキャラクターは、定年を終えたサラリーマン、だけどホスト、という風に「だけど」が付くわけで、こんな風に矛盾しそうな要素を併せ持つキャラクターっていうのは強い。andじゃなくてbut。これをbut理論と呼ぼう。ヤクザの娘だけど教師(ごくせん)とか、トカゲだけどオッサン(トカゲのオッサン)とか。あとツンデレとかもまさしくそれだと思う。
  • but理論で考えるとマッスルのレスラーはやっぱりすごくて、レスラーだけど保険会社の会社員とか、レスラーだけど童貞とか、butだらけでそりゃ推せるって話だが、マッスル坂井だけが特にbutではない(男色ディーノもあまりbut色は強くない)。
  • じゃあbut理論は成立してないんじゃないかって言うとそうではなくて、主人公っていうのはbutじゃなくて良い説。特に長期的なストーリーになればなるほど、同時に登場人物が多くなればなるほど、主人公のbutは邪魔になるし忘れ去られる。美味しんぼで、美食家だけど不良サラリーマン、というキャラクターだった山岡が回を追うにつれて不良部分を削られていったのは偶然ではない。
  • そしてキャラクター(特に主人公)のbut部分にストーリーの類型みたいな要素が入ってくると、そういった作品は一気に時代性を帯びることになります。映画の主人公、だけど反体制かつ最後に殺される(アメリカン・ニューシネマ)とか、特撮ロボットアニメの主人公、だけど引きこもり(碇シンジ)とか。そしてまさかとは思いますが、相沢は一度もエヴァンゲリオンを観たことがありません。
  • 最後に全くbut理論とは関係ない話になりますが、村上ショージさんがアップになるたびに、目の奥に潜んだネイティブな狂気っぷりが感じられてものすごくぞくぞくした。100%良い意味で人殺しっぽくて、相沢の中での、何かの作品でシリアルキラーを演じてほしい人ランキング1位に浮上しました。ちなみに二位はカントリー娘。のあさみさん、三位はメロン記念日の村田さんです。

 同時上映されていたとろサーモン久保田監督「指輪」の狂いっぷりというか、頭の中で何を考えてるんだか本気で分からないフシギ感についても書こうと思いましたが長くなったのでもう忘れることにします。あの作品がどこまで久保田の中でギャグを意図して作られているのかとか、宇都宮まきさんがアップになったとき後ろにお札が貼られてた意義とか、底知れなさが尋常じゃなさすぎる。もし仮に久保田が連続女性殺人事件の犯人だったとしても、相沢はそこまで驚かない。