マッスルハウス6を見て思ったこと

 いま我々が暮らすこの日本にはマッスルという無茶苦茶に面白いプロレス団体があって、そのマッスルっていうのはプロレスとしてどうこうと言うよりもエンタテインメントとしてちょっと他にはない存在なので皆さんには是非一度見てほしいと思っているのだけれども、そのマッスルの興行であるところのマッスルハウス6が後楽園ホールで行われたために阿呆面を下げて見に行く、見に行って、ちょっと色んなことを考えた。

 これはマッスルハウス6が良くなかったってことではなく、笑ったし楽しんだんだけれども、それでまた前回よりも今回のほうが良かったって人もいるだろうなとも思う、あとはもう自分のマッスルへの期待値の高さとかもあるし、マッスル坂井の入院であったりとか、思い描いていたであろう人選も揃わなかったんだろうなとか、その結果当初予定していた大学ってテーマから逸れに逸れたんじゃないかって勘ぐりもありつつ、そういうことも含めて色々と考えた。

 自分はいま、世の中のありとあらゆるエンタテインメントの中でマッスルが一番目か二番目かに素晴らしいものだと思っていて、そこに対抗しうるのはメロン記念日だけであると本気で思っている。で、そういった自分が愛するものについて考えるのはとても良いことだと思う。自分が愛するものについて考えたことっていうのはきっと自分の生活にも関わってくることだから。なので自分は今日見たマッスルハウス6について考えたい。そんなわけで今日の日記は感想や観戦記などではなく、ただの未来の自分に向けたメモ書きである。これはマッスルハウス6についての日記ではなく、マッスルハウス6を見て自分が考えたことについての日記だ。

 レッドカーペットについて

 まず「プロレスの試合が長過ぎる」ってところから爆笑レッドカーペットにからめて1試合1分でプロレスをやるっていうのは素晴らしくワクワクするしこれぞマッスルって感じなんだけど、でももっと抜群に面白い展開になるのを期待してしまった。個人的にマッスルが神懸かる瞬間っていうのはプロレスというジャンルに対する批評がそのままエンタテインメントになってる(もしくは順番としては逆)って瞬間だと思うんだけど、結局最後まで「もっと本気であれしたらプロレスなんて1分で決着つくんじゃないの!?」っていう亜門さんの正直すぎるツッコミが結局一番プロレスの痛いところをついていた。

 1試合1分でプロレスをやろう、っていうのはある意味で大喜利の問いであって、その大喜利にプロレスラーがプロレスという武器を使ってどう面白く答えるのかってところがマッスルの肝だと自分は思う。その答えの過程でプロレスの常識やお約束が暴かれたり崩されたりってのがすなわちプロレスに対する批評になるだろう。大家健の腕がいきなり3回落ちちゃうっていうのはそういう意味ですごく面白かったんだけど、でもプロレスラーが本気で1試合1分って枠組みでプロレスをやったらもっと面白いことになるんじゃないだろうか? もっと色んなことをやってくれるんじゃないだろうか? プロレスってジャンルの奥深さっていうのはそこにあるんじゃないだろうかと、自分は少なくともその程度にはプロレスとプロレスラーを信じている。試合の時間が1分になったからプロレスがプロレスじゃなくなるなんて、まさかプロレスがそんなひ弱なわけはなくて、だったらプロレスってジャンルに対してはもっとガチで戦いを挑んでもバチはあたらないというか、プロレスっていうジャンルそのものと戦っている人間が見たいから、自分はハッスルではなくマッスルの会場に足を運んでいるのだと、そういうことに気づきました。

 ゲストについて

 マッスル坂井の入院ってトピックがあるのであれば、例えば本田医師が登場したりとかっていうのはどうだろうかとふと思った。もろもろあって、リング上で藤岡の包茎手術が行われる。神聖なるリングの上で真性なる包茎手術。たぶんメスを入れる瞬間はエトピリカが流れてスローモーションだろう。ゆく皮の流れは絶えずしてしかももとの皮にあらず、ってな具合に強引につなげたり…。

 別に本田医師がどうこうってことではなく、サプライズゲストのサプライズっていうのは、たぶんその人が来ることのサプライズではなく、その人を興行主が呼んだっていうことに対してのサプライズなのだ。ゲストの人選とかブッキングの裏側を想像して楽しむところも含めて、プロレスの興行なんだということに気づいたりしました。あと学生プロレスのリングネームの秀逸さは異常。

 お客さんについて

 プロレスオタとハロプロヲタの喋り方は完全に一緒。あとファッションも。なんでそんなシンクロニティが起こりえるのかは今後も考察していきたい。

 全体的に

 こうやって改めて考えてもやっぱりどこかスッキリしなくて、何となくお客さんの反応はすごく良さそうな気もするし、毎回毎回ボリュームたっぷりでも疲れるから今回はそういう回なのかなと思ったとしても、それでもやっぱりスッキリしなくて、何だろうこれは、何だろうこれは、と考えると、結局のところ今回のマッスルハウス6っていうのは、マッスル坂井やマッスルメンバーのプロレスってものに対する偏執狂的な恋愛感情があまり見られない回だったなという風には思った。もしかしたらそういう部分を見えないように、あえて隠して作られた回なのかもしれないとも思う。

 マッスルはよく実験的なプロレスだとか言われていて、確かにその通りだと自分も思う。でも別に実験的であるってことは全然偉くもなんともなくて、マッスルが実験的なプロレスである素晴らしさっていうのは、プロレスがあまりにも好きすぎてそれ故にプロレスに対して実験的なアプローチをせざるを得なかったってところが素晴らしいんじゃないのか。そういう実験的な手段じゃないと、プロレスに対する恋心を伝えきれないっていう哀しさというかおかしみというか、そういう人間ならではの馬鹿馬鹿しさがマッスルの根底にはあるんだと思う。ものすごい勝手だけど。立川談志が落語は人間の業の肯定だってことを言うけど、それとまったく同じものを自分はマッスルに感じている。そういう業みたいなものをあえて見せないようにしたんだってことならそれはもうやり方だとは思うんだけど、でもプロレスラーなんだからそこら辺も全部ひっくるめて見せて商売してほしい、っていうのはやっぱり観客の勝手な理屈なのかもしれない。まとまらねえなおい。

 結論としては、マッスルについて考えるとすぐに夜が明けてしまうので、それ込みでやっぱり素晴らしいわ、ということです。あとこの日記を読んで、マッスルって意外とそんなに面白くないんだ、みたいな早合点をした人がいたらそれは完全に誤読なので次のマッスルには是が非でも行くべきだと思います。マッスルは本当に面白い。余裕で人生が変わる。少なくとも俺は死ぬまで毎回行くと思うので、次は君と僕で一緒に行きましょう!