GIRL'S KNIGHT

 最終日の夜公演を見てきました。雑感をまとめずに並べます。

 メロン記念日のミュージカル「GIRL'S KNIGHT」を見て、やはり自分は、シング・ア・ソング・ウィズ・ダンスという行為の壮大なる無意味さを愛しているのだと認識する。歌って踊るという行為はそこに根拠がないからこそ美しく、また素晴らしいのであって、だから娘。さんたちが今度やるリボンの騎士は絶対に見に行かなくてはならないのだと悟った。なぜメロン記念日が、まったく意味なく歌いながら戦う場面があんなにも素晴らしいのだろう? リズムのみに制御された人のたたずまいは、なぜあんなにも美しいのだろう?

 メロン記念日の平均年齢を考えれば、彼女たちがアイドルグループとして存在し、活動しつづけているということ自体もはや奇跡だ。だからメロン記念日はこれから先、永遠に奇跡だ。

 私たちは、メロン記念日の共演者たちよりもずっと多く、彼女たちと一緒に過ごしている。だから私たちは、ステージを見るというよりもむしろメロン記念日の側に立っていて、つまりは非常に気色の悪い観客であると言える。私たちが笑うとき、それは物語に触れて笑っているのではなく、むしろメロン記念日の側から笑っている。例えば斉藤さんの扇子が開かずに笑った私たちの笑いとは、照れ笑いである。私たちは斉藤さんになって笑う。だがその笑いは、明らかに正しくはない。

 だからこそ、斉藤さんがカーテンコールで扇子を開いたとき、「さっきはすまなかったね。でもこれが正解だから!」といったように扇子を開くとき、そこに感動が生まれる。というかあの瞬間の斉藤さんは本当に素晴らしかった。少し前の自分におとしまえをつけるという生き方はかっこよくてとても良い。

 大谷さんの男装の素敵さは何だろうか? 大谷さんは、普段から演じている。そこが大谷さんの愛すべき点であり、同時に底の浅さでもあるのだが(褒め言葉である)、それ以上の演じる点を与えると途端に輝く大谷さんの素晴らしさ。村田さんは演じるという点に関して非常に上手であったが、しかし柴田さんはなぜあんなにも全てうまいこと出来てしまうのか?

 柴田さんの話になったが、こんなにも全てが素晴らしい人っていうのはそんなにはいない。世界を探しても、たぶん後藤真希さんぐらいしかいないだろう。しかも柴田さんには優しさという、親が娘に持っていてほしい精神を持っていてそこが素晴らしい。何度も何度もカーテンコールがあった最終公演で、柴田さんは隣に立っていた神崎さんやミュージカル舞台女優にマイクを向けていて、そんな素晴らしい女の子がいるだろうか? 初主演ミュージカルのカーテンコールで他の人にマイクを向けるという、そんなのはプロとしてはあり得ないかもしれない。安倍さんであれば絶対にそんなことはしないだろうが、でも柴田さんは当然のようにそうして、だからメロン記念日はこの位置なのかもしれないが、そういうメロン記念日を絶対的に支持したい。

 まとめとしては、相沢はメロン記念日が大好きだということです。メロン記念日を見ると、頑張ろう、という気になるので本当に良い! 終わり!