やりすぎ出渕さん

 例によってやりすぎコージーが面白すぎる。今回は「レイザーラモンHGくまだまさしのどっちがフォーを続けるか」みたいな話であり電波のムダ使うことはなはだしかったわけだが、その際レイザーラモンHGの相方、出渕さんが素敵すぎる! HGへの応援コメントを求められてゲイの姿で現れ「俺の方がゲイに近い」「おっさんのチンコをしごいてイかせた」と熱弁をふるう様は、安直にHGを使うメディア批判の完成型である。

 ちょっと脱線して相沢が真顔になることを許してもらえるのならば、やはりHGがテレビに出ずっぱりというこの状況は確実に、あり得ないぐらい病的なものだろうと思う。マスメディアはいまや完全に発狂している。何とすれば、現在メディアがHGを「アリ」と見なす状況が依るものとは「もう他で使ってるから」という認識のみにすぎないからだ。つまりHGを使うメディアは、一切、本当に一切、「笑いとしてのHGをテレビにのせるべきか否か」という線引きを、自らの手では繰り返すが一切していない。だってお前、そんなのどう考えたって「ナシ」だろう!

 相沢はおそらく全国区の大きなメディアに初めて取り上げられた「レイザーラモンHG」を「バク天」で見て爆笑した。だがそこには「こんなのテレビで見せてすげえ」という畏怖、ようやった感があったし、多分この人をそうそう見ることは出来ないだろうという確信があった。しかし事実はどうだ? そんなことはなかった。メディアは「笑いとしてのHGをテレビにのせるべきか否か」などということを自らの頭で考えることなどなく、一切の畏怖を忘れ、ただ「HGの面白さ」を見せつけるのだ。そんなの絶対におかしいだろ。

 HGだけじゃない。長州小力も、猫ひろしだってそうだ。彼らはどう考えても、ものすごくひいき目で見たところであっても、完全に頭が狂っている。だから相沢は彼らのことを愛しているし、HGや小力を見たら笑うが、だからといって売れるべきではない。というか「狂人」が「芸人」としてメディアに大々的に取り上げられちゃいけないだろ。だったらお前、何でもありか? 障害者がフェラチオされる姿を「面白い」と大勢の人間が思ったとしたら、それを「笑い」としてメディアが消費していいのか?ってそういう話だ。 そんなにマスメディアは自由だったか?

 そんな筈はない。というか、そうであっていい筈がない。「狂人」は「狂人」として置かれていなくてはならないし、「マイノリティ」は「マイノリティ」として見て見ぬふりをされるべきで、間違っても「笑い」として消費されるべきではない。テレビはネット用語をテロップで出してはならないし、2ちゃんねるの存在すら知らないふりをし続けるべきだ。メディアが何でも取り扱うという状況は決して「自由」などではない。それはむしろ悪質なファシズムだ。「自由」を押し付ける巧妙なファシズムを相沢は嫌悪する。そんなファシズムがなくたって俺たちは絶対的に自由であって、少なくとも「自由」を拒絶する程度には自由である。

 話がものすごく逸れたが、要はこんなしょうもない御託なんかよりもはるかに出渕さんはすごかったという話であって、延々HGを相方としてけなした後で最後の捨て台詞が金言だった。

「どっちが強いかガチで決めようや!」

 最ッ高に真理であって素晴らしいとしか言い様がない。同じメロン記念日大好き人間として出渕さんのことを誇りに思う。出渕さんは同じくメロン記念日大好き人間の女性とプロレス会場で知り合って結婚したという経緯の持ち主なので、なんかメロンの4人がHG姿で出渕さんの家を掃除してそれを安田忠夫が10点満点で判定するみたいなテレビをやってください! 一切の笑い抜きで!