引っ越し本から抜き書き

 今週末に引っ越すことになり、本などもまとめて売るためそれらからいくつか抜き書き。

 春日武彦「幸福論」
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「あなたが稼げばいいんじゃないの」
「そのためには身長の問題が……。芸能界だって、僕と背丈が同じなのはタモリだけです」

 背が低いために社会に出られないと語るNEETの証言。例え方が唐突で笑う。この唐突な例えこそが狂気である。であって、言ってる方はあくまでも真剣ってのは喜劇だ。あと「背が低い有名人といえばタモリ」っていう短絡さと微妙な古さにも味があって面白い。

 伊坂幸太郎アヒルと鴨のコインロッカー
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 教訓を学んだ。
 ○○くらいの覚悟がなければ、隣人へ挨拶に行くべきではない。

「気が変わらないうちに行動しなさい」というのは、子供の頃に、叔母から聞かされた言葉だ。

「道を作るのは、政治家か神様の仕事だ」

 上段伏せ字は相沢(ネタバレ回避)。伊坂幸太郎のこういう文章のオシャレさというか、オシャレさというと違うか、何でしょう、外人っぽいと言うの? 口笛をヒューと鳴らしたくなる感じっていうのか、それは素敵だと思う。
 すでに誰かに指摘されているかどうかは知らないが、こういった部分が、非常に村上春樹的だとも感じる。つまり、テキストから登場人物が真理を読みとく、あるいはテキストで登場人物が真理を語るという形式である。そしてそこでその真理が終わる、つまり以降のテキストにその真理が何ら影響を及ぼさないという点が非常にオシャレであり、やはり村上春樹的だ。というかオシャレとは換言すれば「無駄」ということであり、だから小説がオシャレであるためには、その真理はそこで終わらなければならないのだ。真理がそこで終わるからオシャレなのではなく、オシャレであるために真理はそこで終わるのだ。
 と書きながら相沢は今まで村上春樹の著作を一冊も読んだ経験がなく、今後も特にその予定はありません。

 大江健三郎「われらの時代」
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「便所に入るんなら足もとに気をつけなさい、中は○○だらけだからねえ」

 伏せ字は相沢(ネタバレ回避)。いきなり異物が登場してしまう感じが面白かった、というかここだけが唯一面白かった、というか途中で読むのをあきらめた。登場人物の発話の際に『〜〜といった』といちいちいちいち言われてその度に読書意欲が落ちる。たぶんこれは好みの問題であって、別に気にせず読み飛ばせる人もいるとは思うし、逆に町田康とか舞城王太郎などのある箇所で読書意欲が落ちるという人もいるだろう。
 そこで思ったのが、小説は映画と違っていつでも消費者があきらめるタイミングがある。そのタイミングはどこかといえば、面白くないからとかそういうことではなくて、上記の読書意欲の低下が蓄積し、ある程度たまったところで「もう俺これ読まなくていいわ」となるのではないか? それはテレビのザッピングシステムも同じではないか? ということです。