テレビブロス「どうした!?水道橋博士」特集が出来るまで 〜あるいは、おぐらりゅうじと相沢直と「テレバイダー」の星座について〜

「今度、テレビブロス水道橋博士の特集やりたいんだよね。どう思う、相沢氏?」

 おぐらりゅうじがこう言ったのは、2013年5月7日の夜だった。7月17日発売号のテレビブロス(表紙はきゃりーぱみゅぱみゅ)に「どうした!?水道橋博士」特集が掲載される、2ヶ月ちょっと前の話だ。おぐらりゅうじからのその提案を聞いたとき、ぼくはもう既に大分酔っていたので、そうだねえ、と考えるふりをしながらも、そんなことよりこいつ俺のこと、相沢氏、って呼ぶよなあ、ということを思っていた。でもその感覚は、分からないでもない。お互い昭和55年生まれの同い年で、さん付けは堅苦しいし、くん付けもどこか抵抗がある。呼び捨てなんてなおさらできない。まあ、それで選んだ答えが相沢氏、っていうのがどうなのかっていうのはさて置くとして、こういうところで人間は出る。たぶん。で、ぼくは、そういうおぐらりゅうじのことが、決して嫌いではないのだった。

 そもそもおぐらりゅうじと知り合ったのは、TBSテレビ「テベ・コンヒーロ」で2012年5月29日に放送された「コウメ太夫で笑ったら即芸人引退スペシャル」がきっかけだった。ぼくはこの放送をリアルタイムで観ながら、笑うとか笑わないとかいう以前に震えてしまい、こんな凄いものが無造作にお茶の間に届けられてしまうというテレビのアナーキーさに改めて心から痺れた。このときにツイートした「TBSバラエティの狂気が『未来ナース』から受け継がれていた」という発言は水道橋博士本人からリプライを受けるのだが、それはさておき、このときのぼくの一連のツイートを後から読んだのが、テレビブロス編集部に籍を置く、おぐらりゅうじだった。

 おぐらりゅうじもまたこの日の「テベ・コンヒーロ」に強い衝撃を受け、ぼくの一連のツイートを読んで、こいつにコウメ太夫に関する文章を書かせてみたらどうだろう、と思いついてくれたそうだ。電話でそれを直接本人から知らされ、ああもうそれはありがとうございます、喜んで書かせていただきますとも、なんて言いながら、「ちなみに特集は全部で何ページなんですか?」「3ページの予定です」「おお、テベ・コンで3ページ特集! 楽しみです」「いや、じゃなくて、コウメ太夫スペシャルの特集なんです」「え?」「テベ・コンっていう番組の特集じゃなくて、コウメ太夫スペシャルの特集で、3ページやります」。どう考えても、どうかしている。既に放送が終わった回だけの特集。天下のテレビブロスで。誰が喜ぶんだそんな特集。俺が喜ぶよ。それで、一生懸命書いた。いやあ、どうかしてるなあ、と、思いながら。笑いながら。

「それでさあ、相沢氏、特集のタイトルは『どうした!?水道橋博士』にしようと思ってんだけど」

 おぐらりゅうじから提案を受けたその夜、ぼくは最後まで、乗り気ではなかった。水道橋博士が嫌いだからではない。むしろ、好きすぎるからだ。たとえばぼくは、浅草キッドが1997年から2000年まで主催していた浅草お兄さん会のいちファンだったし、「お笑い男の星座」の愛読者だし、水道橋博士の文体や視点には強く影響を受けている。そしてそれを自覚している。幸運にも縁あって水道橋博士とは面識もあるが、そんなことは関係ない、ぼくは今でも水道橋博士の大ファンなのだ。だからこそ、この特集に関わりたいとは言えなかった。自分はまだそれを出来るような人間じゃない。適任者はほかにもいるだろう。その日はついに、良い返事はせず、酔い潰れて帰った。どうやって帰ってきたのかも覚えていない。でも、布団に入り、目をつぶる前にこう思ったことは覚えている。これがもし星座だとするならば、おぐらりゅうじがテレビブロス水道橋博士の特集をするとき、その相手は俺じゃないといけないんじゃないのか?と。

 星座とはいつも、あとから気付かれるものだ。星座が繋がれたその瞬間、人はそれにあまり気付かない。ぼくもおぐらりゅうじもそうだった。この二人を繋ぐ星座は、あくまでもいま思えばだが、2001年7月7日、今から12年も前の七夕の日から始まっている。この日、TOKYO MXという東京ローカルのU局で、「テレバイダー」という番組が放送を開始したのだった。ニュース形式のバラエティ番組で、U局という微妙な立ち位置をときに自虐に変え、あるいはそれを逆手にとってキー局では言えないことをこっそりとユーモアをまぶして伝える、どうかしている生放送のレギュラー番組だった。ぼくは当時の(今でもだが)師匠に誘われる形で、この番組の放送作家としてデビューする。自分が言うのも何だが、面白い番組で、話題も集めた。東京ローカル番組だが、それこそテレビブロスも特集を組んでくれて、顔出しでインタビューまで受けた。あのときのブロス、取っておけば良かったなあ、ってそれはさておき。「テレバイダー」は最後まで失速することなく、1年半でその華麗ながら短い生涯を終えた。

 その頃おぐらりゅうじは「テレバイダー」を、視聴者として観ていた。ぼくが書いた原稿で笑ったことも、何度かはあったんじゃないだろうかと思う、というかあってほしいものだ。そしておぐらりゅうじは「テレバイダー」がとても好きだったそうで、あまりに好きがこうじてしまい、ぼくの師匠に弟子入りしたらしい。らしい、という伝聞形になってしまうのは、ぼくは当時色々あって大学受験の真っ最中で数ヶ月だけ仕事を休んでいる期間で、その場にいなかったからだ。だからこの辺りの話はおぐらりゅうじが語る形でしか知らないのだが、彼は師匠にはハマらなかったらしく、おぐらりゅうじ本人の言葉を借りれば「破門」となる。ハマるハマらないというのは時機や指向性や色々な要因が重なるものだが、ともかく「破門」となったおぐらりゅうじは、しかしテレビが好きで、なおかつ雑誌も好きだったため、THE TV MAGAZINE OF THE FUTURE、テレビブロスの編集部員となるのだった。

 この話は全て、おぐらりゅうじと直接会ってから聞いた話なので、勿論当時は知る由もない。おぐらりゅうじは師匠からぼくの話を聞かされていたそうだが、ぼくは自分がいない間に同い年の人間が「破門」になったことさえ知らなかった。それでも確かに、ぼくとおぐらりゅうじは、「テレバイダー」によって人生が決定づけられた二人なのだ。もしも「テレバイダー」が最初の仕事じゃなかったら、ぼくは間違いなくいまこの業界にはいないだろう。そしてもしも「テレバイダー」を観ることがなかったら、おぐらりゅうじはいまこの感じでテレビブロスの編集部員をやってはいないだろう。さらに言うならば、もし「テレバイダー」がなかったら、ぼくとおぐらりゅうじは、その人生で出会うことさえなかっただろう。ぼくにとっておぐらりゅうじは、同い年の友人であり、良い緊張感を保ち合えるライバルであり、お互いに信頼しながらダメ出しをし合えるという素晴らしい仕事のパートナーであることは間違いないので、まあ、出会えて良かった。そして出会ってしまったからには、そこには意味と意義があるというものだ。

テレバイダー」で幸運にも自分の歩く道を見つけることができた、水道橋博士の大ファンである自分がいる。「テレバイダー」で一度は挫折しながらもテレビブロス編集部で奮闘するおぐらりゅうじが、水道橋博士の特集を考えている。星座を見つけてしまった人には、その星座をなぞる責任もあるだろう。思い込みかもしれない。自己愛も多分に混じっているだろう。でもそこに星座が見えたなら、やれることなんて、もう、だって、ねえ?

 目が覚めて、酔いの残る頭を抑えながら、とは言え既に正午も過ぎていたので酷い話だが、まずやったことは、おぐらりゅうじにダイレクトメッセージを送ることだった。「水道橋博士の特集をやるんだったら、年表を作ったほうが良いと思います!」。その日のうちにおぐらりゅうじから、年表はお任せしますとの快諾をもらい、5月8日、「どうした!?水道橋博士」特集は動き出しました。そして特集の掲載が決定したのは6月25日。この日に奇遇にも、というか必然なのでしょうが、深夜に自分はメルマ旬報の連載を水道橋博士本人から直々に依頼され(このとき博士はブロスの特集が動いていることすら知らなかったのだけど)、そして翌日てれびのスキマさんからは、おお!という近況を知らされ、このあたりもいつか星座が見つけられることだとは思うのですが、それはまたきっと、後日の誰かが紡ぐでしょう。星座とは、そういった種類のものなのですから。

 というわけで、そんなおぐらりゅうじくんが全面的に担当し、ぼくも年表制作などで協力している「どうした!?水道橋博士」特集は、今売りのテレビブロス(表紙はきゃりーぱみゅぱみゅ)に掲載されております。皆様機会がありましたら、何卒お買い求めください。宜しくお願い申し上げます。

 …という感じの締めで、このエントリは終わらない。まだちょっとだけ続きます。こうして始まった「どうした!?水道橋博士」特集は、6月25日の決定から即、同月28日の「水道橋博士のメルマ旬報」編集会議での直接対面へとなだれ込みます。そしてその場で水道橋博士本人から、ぼくとおぐらりゅうじは、翌日、翌日ですよ、翌日の29日の水道橋博士倉庫へのお誘いを受けることになります。いつだって、大事なことはすぐに決まってしまう。とは言え年表もまだまだ不完全なものだったので、28日の会議を受けて、ぼくはおぐらりゅうじくんに、取りあえずブロス編集部に帰ったら「お笑い男の星座」の1部と2部の初回と最終回(そこには「未完」と記されているのですが)のブロス掲載号の日付だけ教えてほしい、と言い渡すわけです。そこはまあ、確実にテレビブロスの年表には記されていないとまずい事実ではあるので。

 ぼくはぼくで、自宅に戻って、年表を進める。だって、翌日に水道橋博士本人から直接話を聞けるわけで、そこは出来る限りやっとかないとまずい。必死にやる。物理的に絶対間に合わないけど、やれるところまではやる。そんな作業をしてたら、夜中、電話がかかってくるわけですよ。誰だよ? おぐらりゅうじだよ。まあ、そりゃそうだ、こんな時間に電話してくるのは、おぐらりゅうじだろう、そりゃあ。向こうの進展も聞きたいので電話に出ると、おぐらりゅうじは、笑ってるんだけど、なんだか興奮している気配もある。

「あ、もしもし? いやー、やばいよ! これはやばい! ハハハハハ!」

 誰しもがそうだと思いますけど、自分が集中して仕事してるときに他人の笑い声って聞きたくないわけですよ。面倒くせえなあ、って。何なんだよ? 良いよ、メールで。大概のことは。メールじゃなくて電話してくるって、意味を持つじゃんか。「お笑い男の星座」の1部と2部の初回と最終回のブロスの日付だけメールで送ってくれれば良いのにさあ、って。

「いや、今ね、『お笑い男の星座』のブロスの掲載号、調べてたんだけどさあ」

 そうだよ、それが知りたいんだよ、俺は! それだけが知りたいんだよ、ほかの知識とかは今はいらねえから! 明日、水道橋博士の倉庫見せてもらうんだから、そのほかの情報とか本当いらねえから! 口頭でも良いから、その号の日付を言えよ、おめえはよ、おぐらりゅうじ!

「『お笑い男の星座』の第二部の最後の回を掲載してる号が見つかってね」

 いやだからその号の日付を言えよ!

「その号の特集って、何だと思う?」

 知らねえよ! 知るわけねえだろ…って、え? ええ? いやいやでも、そんなわけないじゃん。って思いつつも、その答え、一つしかねえじゃん。でもマジで? ああ、でも、そうなんだろうなあ。そういうことなんだろうな、本当に。あり得ないよなあ。でもそうなんだよなあ。星座ってのは、まあ、そうだ。たぶん、そういうことなのだ。

「『お笑い男の星座』の第二部の最後の回が掲載されてる号の特集、『テレバイダー』だったよ! この号のブロスに、相沢氏、写真付きで載ってるよ!」

 いまこの瞬間のことを思い返しても、事実だとは思えない。あまりにも出来すぎている。でもこれは確かな事実で、ぼくもおぐらくんも、勿論水道橋博士だって絶対に覚えていないことだけど、そういう風にして、星座はただ黙ってそこにある。ぼくらはそれにあとから気付く。人はただ、その場その場を精一杯生きているだけなのに、そこに勝手に物語が紡がれていく。星座とはきっと、そのようなものだ。人生をごまかさずにやってきたことに対して天から贈られる、ほんのちょっとした悪戯だ。ぼくらが星を見てるんじゃない。星がぼくらを見ているのだ。

 星座とはいつも、あとから気付かれる。そしてそれは偶然や奇跡なんかじゃない。それはただ、ただ単純に、そういうものなのだって話だ。