夢はわりかしアップロードできるっていう話 〜「ダイノジ大谷ノブ彦のオールナイトニッポン(2013年5月29日放送)」を聴いて〜

 この4月からニッポン放送の水曜深夜1時では「ダイノジ大谷ノブ彦オールナイトニッポン」が始まってまして、まあこれがすっごく良くて、毎週リアルタイムで聴いてるわけです。大人なのに、AMの深夜ラジオとか聴いてんのって、本当どうかって思うんですよ、実際。これは別に斜に構えてるわけじゃなくて、AMの深夜ラジオって、10代のためにあるべきものだってぼくは思ってるので。実際自分はそれで救われてきたって経験もありますからね、そういうのは継いでいったほうが良いし、絶対。いま現在そういうラジオ番組って少ないかもしれないけど、やっぱりAMの深夜ラジオは10代のためにあるべきものだっていうのは強く信じてたりはするんです。

 だってまあ、絶対、いるでしょうしね、それを必要としてる10代が。だから30過ぎた大人がAMの深夜ラジオについてどうこうって、自分は基本的には、違うよな、ってちょっと思ってたりはするんです、心のどこかで。だって俺、ラジオなくても、死なないし。それと比べて10代の頃の自分って、ラジオなかったら、ちょっと危うかったし。そういうのも自覚してるから、「ダイノジ大谷ノブ彦オールナイトニッポン」がいかに30代の自分にとって面白かったとしても、ぎゃあぎゃあ言ったりするのは、それってちょっと違うんじゃねえか、っていうのはどっかにあるんですよ。これは別に批判とか否定とかじゃ勿論なくて、何かを言うこと自体が、10代のリスナーとかあるいは過去の自分に対して失礼なんじゃねえか、って気持ちがちょっとあったりするんです。

 でまた実際、この番組、30代の自分が聴いたら結構な感じで結構なところも結構にあるわけですよ。例えば、ハッシュタグとメールアドレスの頭が「netsu」(熱)ですよ。おいおい、やべえんじゃねえか、っていう。かつて火曜深夜1時にやってた「石川よしひろオールナイトニッポン」的な、やべえ感ですよ。当時聴いてない人には分からないかもしれないけど、やべえな、っていう。かつ大谷さんって自分のこと「ボス」ってリスナーに呼ばせようとしてるんですよ。これもう結構にやべえなって感じじゃないですか。石川よしひろさんも「アニキ」って呼ばせてましたよ。なおかつ番組のテーマが「洋楽で世界を変える!」ですよ。世界を変えるとか、自分で言っちゃうの、超やべえなっていう。超石川よしひろ的なやべえやつですよ。やべえ、って言葉が分かりづらいなら、まあ、痛いわけですよ。そんなラジオが、いま毎週水曜深夜1時にやってるんですよね。

 で、5月29日の放送で、大谷ノブ彦は、こんなことを言っちゃうわけです。

「夢は、叶うんだよ」

 文字だけで読んだら、超やべえじゃないですか。身悶えしますよ、こんなの。あれでしょ? 夢は思い続ければいつか叶うぜ的なポジティブな? ガンバレソング的な? そんであれでしょ、そこそこ努力して夢が叶わなかったとしたら、そのガンバリは決して無駄じゃないよ的な曲でもう一回こするやつでしょ? どうでもいい焼き鳥屋かレンタルビデオ屋でその曲がかかるんでしょ? いや本当、わりと色の濃いめの嘔吐物を吐くから青いビニールの袋持ってきてくれよ、って感じじゃないですか。この文字だけ読んだら、まあまあほとんどの人はそう思っちゃうかもしれないですけども。

 でも、全然違うんです。そもそもこの言葉は、大谷ノブ彦が信奉するビートたけしがラジオで語った(ぼくは聴いてないんですけども)「人間は平等じゃないから夢が叶うなんてのは嘘だ」的な言葉に対してのアンサーなんです。だから大谷ノブ彦の中ではすでに「夢は叶う」は、アンチテーゼだし、ガンバリソング的なコードの中で語られる根拠のないその言葉に対しては自覚して否定してるわけです。ビートたけしが当時突っ込んだアンチが未だに世の中で幅をきかせてるっていうのも色んな意味ですごいなとは思いつつ、それはともかくとして、では大谷ノブ彦はどのような意味合いで「夢は叶う」と言ったのか。これは、ぼくの個人的な気持ちの補足を入れて訳すると、こういうことだと思うんです。

「夢は、(アップロードしていけば)叶う(ような世の中になりつつある)んだよ」

 ってことだと、ぼくは思って。これが本当に、すごいなあ、っていうか、「ダイノジ大谷ノブ彦オールナイトニッポン」、やっぱり外せねえなあ、って感じなんです。

 これは理想の話ではなくて、経済の話です。ビートたけしは、理想のコードにおける「夢は叶う」という言葉を否定しました。実際、そうです。夢なんて、叶いにくいからこそ、夢なんだと。大多数の人間はその夢を叶えることなく戦場を去って行くわけです。実際その通りです。みんながみんな、夢を叶えていけるわけではない。その通りの話です。特に芸能や特殊技術の世界であればことさらそうでしょう。夢が固定化されている、「なる」ということ自体が夢であるなら、その尊い夢を叶えられなかった者は量産されていく。まったくもってその通りです。しかし、それは、これはもう言ってしまえば、夢を叶えちゃった人からの理屈なわけです。じゃあ、でも、そうじゃない人はどうすんの? 夢が破れたら、そこで終わりなのか? そこで、大谷ノブ彦が語りだすわけです。そうじゃねえよと。負けた者からの理屈を紡ぐわけです。それは間違いなく、ビートたけしには、出来ないことです、絶対に。

 大谷ノブ彦は、夢を変えてしまうことを、示唆します。これはレトリックでありながら、自分を曲げずに暮らし続けることの志向が要請するヒントでもあります。つまり、そもそも、夢、って何なの?ってことです。たとえば「プロ野球選手になること」が夢だったとします。でもその夢を叶えることが出来るのは少数派だし、ほとんどの人はその夢を叶えることはできない。でも、だから、何なの?って話だったりします、本当は。もっと根源的なところに、夢、はあるんじゃないの?ってことです。突き詰めて「好きな野球で飯を食うこと」なら、色々な仕事があるわけです。どんな仕事であれ野球で食っていきたい、なら、色んなやり方がある。プロ野球じゃなくても良いだろうし、そもそも日本じゃなくたっていい。夢、を突き詰めると、そういう可能性が出てくるわけです。

 大谷ノブ彦という人間は職業に対して非常に自覚的な人だし、ノーブランド芸人以降の「芸人」という職業に対しても、間違いなく大きな問題意識を持っている人です。だからこそ、「芸人」という職業が、無理筋なことも誰よりも理解している人だと思います。売れるとか売れないとか、冠番組とかいう以前に、その先に彼らが生涯立てる舞台があるのかということを、考えている人です。それでも彼は「夢は叶う」と言う。こういう時代だから。月に何円使ってくれるファンが何人いれば飯が食えるか、を、数字で考えている。それが出来るのは、夢ってものは、自由にアップロードできるしそうあるべきだ、って、彼の中で考えているからだと思うわけです。

 夢なんて、言葉にすりゃ簡単だけど、言葉にできないくらい複雑だから、夢なんです。だから夢は、挫折するたびに、変える事が出来る。それは敗北じゃなくて、成長なんだとぼくは思います。

 もっと言えば、夢なんてもんは、叶ったり、叶わなかったりするものでもないんじゃないかとさえ思ったりもするんです。そんなに単純なものでもないし。でも、今は本当に、沢山のやり方がある。自分の作品を世に出す場もあるし、Twitterを使えば尊敬する人と繋がることが出来る。こんなに恵まれた状況なんてたぶん過去なかったし、いまやれない人は、多分、ずっとやれないぐらいの環境はすぐそこにあって。それが本当の自分の夢だったのかどうかなんて、終わってから考えれば良いんだと思います。そもそも、何がやりたいの? それが出来る環境がここにあるから、その問いは、とても重要な問いになっているのではないでしょうか。

 ってな具合でね。

 本当は、後半の言いたいことをもうちょっとさらって終わらせて、ぼくが最初に聴いたラジオは「石川よしひろオールナイトニッポン」でした、って、粋な具合で締めたかったんですけどね。まあ、思春期にAMラジオ聴いてるやつが書く文章なんか、こんな風にださい感じになっちゃうので、10代のみんなは頑張ってな! お前は絶対お洒落な生き方はしないだろうけど、うまい酒を奢ってやるぐらいの余裕は財布に持たせとくぜ、って感じで生きてるよ、32歳になっても未だにな。達者でやれよ。俺も頑張るわ。お前に負けてる場合じゃねえんだ、本当によ。