【ネタバレ注意】「泣くな、はらちゃん」〜世界は果たして肯定されるのか?〜

 2013年1月から日本テレビ系列で放送スタートした連続ドラマ「泣くな、はらちゃん」を第5話まで観て、あまりにもすごい作品なので記しておきます。ネタバレを含むので、読まれる方はお気をつけください。

 「泣くな、はらちゃん」は、公式サイトによると大体こんな感じのお話です。

安い居酒屋で酔っ払い、クダまく男、「はらちゃん」。毎日同じようなことの繰り返し。腹の立つことばかりで、しかしそれをぶち壊す知恵も勇気もなく……。そんな「はらちゃん」が住んでいるのは、紙の中。彼は、漫画『泣くな、はらちゃん』の主人公なのである。

漫画を描いているのは、かまぼこ工場で働く地味目な女性・越前さん。日記がわりに、日々の恨み辛みをこめて、ノートに漫画を描き綴る。この漫画だけが、どこか人生に情熱を失ってしまったかのような彼女の、唯一の発散場所なのだ。

そしてある日、奇跡が起こる。彼は、漫画の世界を飛び出し、「現実」の世界に現れたのだ。そんな「現実」で、「はらちゃん」は越前さんに恋をする。たとえ自分が、この「現実」に存在する、人間じゃないとしても……。

 すごいざっくりしたことを言いますが、めちゃめちゃ面白いです。なので、もしこれから観る予定のある方もしくは観ようと思っておられる方は、日テレオンデマンドで今までのぶんも買えるので、今すぐこのページを閉じて観てください。そのあと、泣きながら、一緒に話をしましょう。

 そんなもんで、ここからはネタバレを含みます。重要なネタバレは避けていますが、5話までをこれから観る予定のある人は絶対いま読まないほうが良いと思うので、あしからず。

 ということで。

 もう、設定からして最高じゃないですか。でしょ? 日常の不満を漫画に描いた人物が現実に現れちゃうなんて、誠意と技術とルールを守って描いたら、面白くならないわけがない。しかもその漫画を描いてるのは、我々ボンクラ人間にとってのミューズとも言える麻生久美子さんであり、漫画で描かれるのはバカハンサム日本代表の長瀬智也さんですよ。こんなの面白くならないはずがない。「現代社会のあり方を問いかける大人のためのおとぎ話」的な? コミカルだけどそこに真理があって考えさせられつつも笑って泣ける的な? もう、観る前から面白いだろという。そのつもりで観るからよろしく頼むよ!ってそんな感じなわけですよ。

 それでまあ、実際に面白いです。しかも、すごく面白い。設定が素晴らしすぎるだけに上がってるハードルを見事に飛び越える抜群の丁寧な仕事っぷり。設定に対する違和感をまったく感じさせない。かつ、漫画の世界から我々のいる現実へ行ったことがあるという奥貫薫さん、何か重要なことを知っている感を醸し出す薬師丸ひろ子さんの配置も絶妙だし、漫画の世界の住人が「食」と「動物」に対して異常に執着するという描写もすごく共感できる。第1話でネコ、第2話でイヌ、第3話でカメ、っていう動物の存在を新しく知っていく、っていうのも素晴らしく丁寧で、すごく良いです。

 漫画の主人公である「はらちゃん」は、我々が暮らす現実のことを何も知らないので、いちいち感動して、いちいち理解していく。ぼくらが普段見落としがちな日常の幸せや、当たり前のように受け入れている理不尽なことを、無知な「はらちゃん」の視点で改めて描くことで、それらの素敵さを描いていく。そう、こういうのが観たかったんですよ! ありがとう! 明日からもぼくらの日常は続いていくわけで、そこに溢れるありふれたものたちを改めて見つめて生きていこう、ってそう思える良いドラマだなー!って、第4話まで、そんな風に観てました。本当に、一切の不自然さも感じずにそう思って観てましたし、そう思わせるのは簡単なことではない、細部に至るまで心の配られた、良いドラマとして観ていました。この流れのまま、色々あるけど、ハートウォーミングな感じで行くんだろうなあ、って。最終回まで、楽しく観られる良いドラマだなあ、って。

 そして、その希望的観測は、第5話をもって見事に消滅します。「泣くな、はらちゃん」は、明らかに、「その先」を描こうとしている。そんなお手軽なメイド・フォー・ハッピーエンドの話なんかじゃねえぞこれ!と。

 その兆候は、第4話で語られています。漫画で描かれている「あっくん」は、いま自分がいる世界が全てであり、「はらちゃん」のように外の世界に行くことを拒んでいます。であるにも関わらず、事故により、漫画の外の世界に出て行ってしまう。そこで始めて本物の「イヌ」と出会うのですが、「はらちゃん」が言うようにそれは可愛い動物ではなく、吠えるし、怖いし、嫌な思いだけを抱いて漫画の世界に帰ってしまう。それで、「あっくん」の話は終わり。え?っていう。そのエピソード、必要か?という。

 必要か?と言えば、必要じゃないかもしれない。大きな物語として読めば、そうでしょう。しかし「泣くな、はらちゃん」はそうではない。むしろ小さな、というか、一人一人の物語を大切に思います、という約束の表明として、このエピソードは必須なものになっている。観る者によって世界は変わり得る。そこに正解などはなく、ただ単純に「見方」だけがそこにある。単純に、外部からの視点を設定すればぼくたちの世界は素晴らしいものになりますよ、なんてことじゃないんだよ、ということを、「あっくん」とイヌのエピソードは予感させてくれるし、そういうことを描くのが「泣くな、はらちゃん」なんだよと、制作者側がこのお話の決まりを呈示しているわけです。

 で、第5話。この回は間違いなく「泣くな、はらちゃん」の転換点なわけですが(それは「あの花」でゆきあつの例のあれが視聴者にバレた回と同じ意味での転換点なのですが)、この回のテーマは「死」です。重いね!けど、この設定なら絶対に避けては通れないテーマです。ぼくらの世界に当たり前に存在するものは、「泣くな、はらちゃん」では、絶対に描かれなくてはいけないから。

 テーマが「死」なので、一人の登場人物が死にます。その「死」の描き方もまたすごいんですよ! 観てよ!って感じなんですが、まあ死ぬわけです。それを「はらちゃん」が理解する、そして漫画の作者である「越前さん」と「はらちゃん」は、ある行動をする。それが第5話のクライマックスになっています。それは描かれ方として、泣けるシーン、になっています。実際、そう捉えることも出来る。「死」という抗いようのない圧倒的な事実をどう乗り越えるか?その手段を「越前さん」は実際の行動として示していて、それはおそらく「泣くな、はらちゃん」の一つのクライマックスではある。確かにそうです。そうなのですが…。

 しかしそれでも、ぼくは言いたい。「泣くな、はらちゃん」は、2時間の映画ではない。単発のドラマでもない。連続ドラマなのです。それはつまり、ぼくらが生きる日常は、クライマックスとか泣きどころがどうこうじゃなく、単純に続き続けるのと同じように、少なくともあと数週間、「泣くな、はらちゃん」は続き続けるわけです。そうである以上、これはただの泣きどころじゃないし、ここからまだ続くわけで、それが「泣くな、はらちゃん」が映像作品としてまだまだここからすげえことになる!っていう伏線だろうという気がしてならないわけですよ。

 これは実際、すごいことです。「死」を落としどころとしてではなく、まだ続くかもしれない何かとして描くなんて、そんなの観たことがない。おそるべき話です。それは結果として「連続ドラマ」という手法が成立していることの異常さをも描いている。異常さって言うとあれですが、ほかのジャンルで表現できない何かがある感というか。「連続ドラマ」というジャンルの凄さを、「泣くな、はらちゃん」の第5話は確かに語っています。まだ、先がある。まだ、人生が続く。良いか悪いかは別としてそれは単純な事実としてぼくらの目の前に屹立していて、そんなすげえことってそんなにないよな、って、ぼくは思っていたりします。

 だから、「泣くな、はらちゃん」は、観るべきです。まだ遅くない。日テレオンデマンドで購入すれば追いつけるし、言ったら今まで全部見逃しても、第6話から観たら良いです。本当に面白いので。「お前がそういう行動(発言)したら後々たいへんだよ!」っていうことを、登場人物みんなが好き勝手にやっていて、ずっとドキドキしっぱなしなので、これはもう間違いなくリアルタイムで楽しむべきものなので、土曜21時は日本テレビ系列にチャンネルを合わせましょう。そんで一緒にドキドキしましょうよって、そんなお話でございました。

 あと、忽那汐里さんの可愛さが毎回突拍子もないので、そういう意味でも観たほうが良いよね。