my 5th elements

 ゴールデンウィーク中に「テレビマンズ」というイベントに行ってまいりまして、そのイベントは映像業界でご飯を食べている4名の方々が自らのルーツを語るという主旨の催しであったわけですが、そういうものを拝見致しましたら当然のように、じゃあ自分のルーツというものは何であるだろうかという自問自答の旅に出るのは必至でありまして、そんなわけで相沢のルーツ5つを書き記します。

 ちなみに相沢は1980年9月18日生まれの松坂世代です。今年で30歳。生まれは宮崎県ですが幼稚園時代から東京に住んでいるので文化のベースは東京です。貧乏な家庭で育ったというわけではないので、ある程度の文化的な教養はあると思います。小学校から高校まで私立の小中高一貫校(小学校から男子校)のお坊っちゃま学校に籍を置いていました。というところを前提として、自分の5つのルーツを挙げるとしたら、たぶんこんな感じになるのではないでしょうか。自分は小学生ぐらいの自分を一切信頼していないので、思春期以降の作品がほぼルーツとなります。

伊集院光UP'S 深夜の馬鹿力

 たぶん、ルーツを一つだけ挙げろと言われたらこれを選ぶような、ルーツの中のルーツ。自分が伊集院光からもらったものはすごく沢山あるけど、一番大切なこととして「世の中を見る目線のあり方」を教えてくれたのは、やはり伊集院光だった。今がどんなに最低で最悪だったとしても、後から振り返って客観的にその様子を見れば笑えるということは、当時思春期でべらぼうに病んでた自分にとっては、救いであり、希望だったと言うほかない。行く末には闇しかなかったけど、それでもなんとか知恵を使ってやり過ごすことができたのは、伊集院光のラジオがあったからだった。

 高校一年のころ学校に一切友人がいなくて、それはそれで大丈夫なんだけど、でもクラスメイトから「相沢には友だちがいない」って思われるのだけは嫌だったから、昼休みになると学校の6階のトイレの個室に籠って前夜録音したラジオを聴いていた。もしあのとき伊集院光がラジオをやってなかったら、性犯罪者になるか、もしくはすごい気持ち悪い形でのコサキンリスナー的なことになってたと思う。いずれにせよ今の自分にはなってなかった。世界と戦う、ないしはやり過ごすための手法を教えてくれたのは、伊集院光だった。自分にとっての、ベストルーツだと思う。

「バカドリル」

 他の4つのルーツはわりとすぐに決まったんだけど、これだけ悩んだ。自分にとっての笑いのルーツとは何だろうか?という。でもまあ、やはり、「バカドリル」は衝撃的だった。自分はウンナンとんねるずダウンタウン、という所謂お笑い第3世代をリアルタイムで通っている世代ではあるけど、そのどれとも比べて、「バカドリル」の新しさというか、理屈が通ってなくても笑える凄さというのはやはりルーツに置かざるを得ないのだと思う。

 僕らの世代、っていうと色々とややこしくなるけど、たぶん1980年生まれとしてはギリギリ、「笑い」というのがかっこよかった時代だった。ラジカルや電気のANNにはリアルタイムで間に合ってなかったけど、宮沢章夫の「スチャダラ2010」とか「ドリルキングアワー」にはギリギリ間に合った世代だから、笑いがギリでかっこよかった時代だった。上の世代で、別役実とかもまだ入手できたし。脱構築がまだシンプルにかっこ良かった時代だから、そういう意味で「バカドリル」はルーツだと思う。まだ「笑い」はパンクだった。オンエアバトルなんて始まってもいないころ、そういう時代が、確かにあったんだよ。

「A女E女」

 天下のフジテレビで放送されてたレギュラーのエロ番組なんだけど、たぶんこの番組がなかったら、いま自分はこの職業についてないだろうなという確信がある。この番組は本当に素晴らしかった。「太鼓の音を聞くといやらしくなるという事前催眠をかけられた女性陣が太鼓の音を聞いていやらしくなる」っていうだけのコンセプト。でも、だからこそ、感動した。そこに対して、あらゆる人間が協力してるっていうのは、いま思い返しても奇跡の番組だったんだと思う。

 一番記憶に残ってるのが、遊園地ロケの回。催眠術士がジェットコースターに乗って、その周辺にいる女性たちに対して、ジェットコースターから催眠の言葉を投げかける。その瞬間、一度に全員の淫乱スイッチが入るファンタジーな瞬間は、見てて涙を流さずにはいられなかった。プロの仕事がそこにあった。全員が、馬鹿げてるけど一つの同じ方向を向いて奮闘してる姿が、当時高校生の自分にとっては偉大なものだった。自分がいま映像関係の仕事をしてる根拠の一端は、この番組にある。バラエティっていうのは、こういうことだ、って教えてくれたのは、明らかに「A女E女」だった。とにかく、かっこ良かったんだよ!

メロン記念日

 これはもう、何が良いとか悪いとかではなく、すごかった体験を10年に渡って与えてくれたので、理屈とかではない。「メロン記念日」には、全てが詰まってる。それだけ。

テキストサイト

 これは誰が何と言おうと、自分のルーツだ。これから先、自分の仕事に「書くこと」があるかどうかは分からないけど、あのよく分からない文化の中に自分がいたということは、誇らしいとも思わないけど、忘れることができないし、死ぬまで引きずらないと嘘だと思う。

 2000年代の前半、ブログって言葉なんてない時代に、HTML文書をタグ打ちで世界に発表してた人たちが存在していた。自分もその中の一人だった。何も持ってないってことを自覚してる人々が、それをうまいこと本音を隠しつつ笑いにして、不特定多数の人間に自分の日記を届けてた時代があった。ダサかったよ、ダサいのは知ってたけど、そうするしかなかったんだよ。自分は普通に就職してるわけじゃないから、所謂「同期」って人は周りにいないんだけど、あの頃テキストサイトをやってた同年代の人たちに対しては同期、とは言わないまでも戦友っぽい感覚はあるから、幸せになってほしいとも思わないけど、面白いことをやってくれと心の底から願っている。

 面白い人が、たくさんいた。そこは誰が何と言おうと、真実だと思う。

 総括

 自分の半生を振り返って、すごく良い人生だったと思う。でもそれを、次の世代に繋げられてはいないんだろうなあ、ってことには気付いてるから、ちゃんと面白い人が、面白いものを作っていかなきゃいけないんだろうなあとも思う。やれることをやってないのは罪でしかない。才能しか持ってないクズは、才能を精一杯活かして生きていくのが義務だ。超頑張るしかねえんだよ、実際!