「This Is It」〜ショウビズ・イズ・マイ・ライフ〜

 17歳の自分に対して、お前の生き方は間違ってないってことを伝えるためだけに、20歳のころ、自分の仕事と生きる道を選んだ。そしてその気持ちは29歳の今でもまるっきり変わっていないのだった。ちょいちょい忘れてしまうけど、それがきっと一番大切なことなのだ。

 本当に何も持ってなかった。これが好きだと胸を張って言えることなど何ひとつなくて、オタクって呼ばれてる人たちが羨ましくて仕方なかった。でもああいう風には生きられないってことは分かってた。自分の薄っぺらさは知っていたから。夢も、憧れも、理想の自分なんてものもなくて、でも一つだけ強く胸に抱えることができたのは、俺のいる場所はここじゃないんだ、っていう確信だった。それだけが絶対だった。というか、四六時中そうやって自分に言い聞かせてないと、夜の重さには耐えられなかったのだ。

 諦めることのできるタイミングなんて今まで何度でもあったし、もしかしたら今もそうなのかもしれないけど、それでもやっぱり17歳の自分が見てる前では、幸せになるために生きてます、なんてことは口が裂けても言えないだろう。だって人生の目的が幸せになることなんだとしたら、奴の焦りや悩みは結局必要なかったってことになる。事実として正しいかどうかなんてどうでもよくて、17歳の自分の最悪だったあの日々に意味を与えるために、29歳の自分は今ここにいるのだ。

 ショウビズっていうのは結局そういうことだ。仕事であると同時に、生き方なのだ。果たして自分に才能や能力があるのかどうかなんて二の次どころか頭の片隅にも置かないで、俺は特別な人間なんだ、って前提を入り口とした一つの生き方だ。予告編でYAZAWAが、俺は天才だって言っていなけりゃこの世界やってらんない、ってなことを言っていたけど、それは本当にすごくよく分かる。だって俺ですら、自分のこと天才だって思ってるもの。それは事実がどうなのかとか、今まで自分が何をしてきたかってことじゃなくて、単純に生き方に対する姿勢の問題なのだ。俺は、俺は天才だ、って言うことを決めたんだから、実際のところこれっぽっちも才能がなかったとしても、そんなことは関係ない。そういう風な生き方をするって決めちゃったんだから、仕方ないでしょうよ、そんなもん。

This Is It」を観て思ったのはそういうことで、先日の「アンヴィル!」同様、これは本当に素晴らしいプロレスだった。めちゃイケの特番が良質なプロレスであるように、「This Is It」で描かれているマイケルと、そのライブのリハーサルの様子には、俺がプロレスに求める全てが詰まっていて、これを観て心を動かされない奴はドアホウである。俺はプロレスとアイドルと芸人が大好きで、愛していて、それは何でかって言えば人間が意志と努力によって奇跡を起こせてしまう瞬間を目の当たりにできるからだ。だから全部一緒で、繋がっている。そういう意味で「This Is It」は俺が愛するプロレスだった。

 マイケルは確かに稀代のエンターテイナーだし、そりゃもちろん並大抵の人間よりは音楽に愛された人なんだろうとは思う。だけど同時に、生まれたときからあんなステップを踏んで踊れたわけじゃないだろうとも思う。舞台上のスリラーの演出や、あの恐ろしく考えられた舞台装置の使い方は、どうしたって人が作ったものなのだ。キング・オブ・ポップは王様だけど、神じゃない、人間なのだ。近くはないし、遠いけど、でも別の世界の話じゃない。今ぼくらがいる場所とマイケルが立った舞台は確かに繋がっていて、だとしたら、やらなきゃ嘘でしょうよ。

 自分が特別な人間である、天才である、っていう前提からでないと辿り着けない場所が確かにある。根拠なんてないし、理屈じゃない。だけど自分が特別な人間なんだったら、血の滲むような努力をしなくちゃいけなくて、本当に四六時中延々エンタテインメントのことを考えなくちゃいけなくて、それはやっぱり生き方の問題なのだ。奇跡は起こるものじゃない。奇跡は起こすものだ。結局のところショウビズっていうのはそういうことであって、そしてそれは、どうしたって素晴らしい世界だ。

This Is It」を17歳の自分が観ていたとしても、たぶんこんなことは思わなかった。29歳の自分が観るからこの凄さが分かるし、勇気づけられるし、まあ要は12年もすりゃ人はそこそこ成長するってことである。だから17歳の自分にもし会うことがあったら、君にはまだこの映画の素晴らしさは分からないから29歳になったらまた観なさいね、と伝えておこうと思います。どう考えても必見。