好きなものを、好きだと伝えることについてのいくつかの

 好きなものを、好きなものとして、好きだと伝えることは難しいというかそういったことが果たして可能なのか?という話なんですけど。

 このあいだ職場の人たちと飲む機会があって、そのときに、君は何が好きなの?ということを尋ねられたわけです。わりと人生スパンで。一番好きなものは何ですかぐらいの勢いで。そこで出す答えっていうのは自分の中でいくつかあるわけですが、まあ「伊集院光です」と答えたんですよ。それはすごく正直な答えなんです。自分の人生を変えたものなので。だから正直であるが故に大切な答えだし、すごく色んな思いが詰まってる答えなんですけど。

 で、その職場にいる人っていうのは、伊集院光の面白さ、面白さというと語弊があるかもしれないけど素晴らしさっていうのを全然知らない。だから、どこが好きなの、って話をされるわけじゃないですか。そこで俺は、自分の人生に対して伊集院光がどうやって関わってきたかとか、物事を見る手法を学んだ話とかそういった抽象的なことを言ったわけですが、でも全然そんなの伝わらないんですよね。まあ当たり前ですけど。目の前にいるドサンピンの人生が変わったとか変わってないとかそんなのはどうでもいい話だってのは分かる。自分の伊集院光に対する考え方とか好きさ加減っていうのはすごく自分の人生とか生き方に密着したあまりにも個人的なものだから、その説明は分からないと。

 でも、じゃあどうやって、伊集院光を好きだっていう気持ちを伝えたら良いんだろう?って思ったわけです。それで俺はちょっと考えて、芳賀ゆいの話をしたんですよね。ラジオのリスナーの投稿から架空のアイドルを造り上げたってプロジェクトの話なんだけど、まあそれもその場の人の気持ちをつかむことはできなくてしょんぼりだったわけですが、でもその結果っていうのはわりとどうでもよくて、そこで芳賀ゆいの話をするのが好きなものを好きなものとして好きだと伝える意味において正しいんだろうか?ってことを、一人帰りながら思ったわけです。

 だって、そこで芳賀ゆいの話に対して、おもしろーい、って感想をもらったとしても、それって全然何の解決にもなってないじゃないですか。別に俺はそこが好きなわけじゃないんだよね、間違いなく、伊集院光に対しては。というかむしろ芳賀ゆいって実はリアルタイムで楽しいって思った記憶がなくて、もっとこう、何? 言葉じゃ説明できない部分ばっかりで、で、その言葉じゃ説明できない部分っていうのが俺が伊集院光を好きな、というか素晴らしいと思う部分そのままなんだと思ったんです。

 でそこで、オーケーオーケー、伊集院光好きな自分なんて伊集院光好きなやつにしか共感してもらえねえんだろどうせ、って考えるのは楽なんだけど、でもそうしないのは何でかっていうと、これってプレゼンテーション全般に関する話でしょう? プレゼンテーションを成功させるためには、相手に対して、対象の面白い部分とか好きになる理由を提示させなきゃいけないわけじゃないですか。決断するに足る理由というか。そこにおいて、結果が全てなんだと思うんです。

 だとしたら、俺が伊集院光を好きな正しい理由、理由っていうとあれだけどその感じっていうのか、言葉じゃ全然伝わらない思いを抱えてるっていうのは別にどうだって良いんだろうか? 伊集院光に対して「芳賀ゆい」っていう例えを出したように、あらゆる事柄に対してその例えとか理由とか数字とかそんなことを出せるとは思うんです。だからプレゼンテーションにおいて、対象を自分が本当に好きかどうかなんて全然関係ないんだと。とは言え、プレゼンテーションってそんなに切なくて良いのか?っていうのはちょっと思うけど。

 でも大人だから、そこは飲むと。分かりましたと。相手を説得させるのがプレゼンテーションの目的なんだから、自分の言語化できない思いなんて良いわ、で別に良いんですよ。で、ここまで前段でここからが本題になるんですけど、じゃあ何で言語化できない思いを共感できちゃってんの俺たちは?っていうほうが全然重要だし、もっと致命的な問題だと思うんですよ。

 我々は対象に対して、好きな理由を見つけてから好きになるわけじゃなくて、好きだこれ、って思ってから初めて好きな理由を探し始めることができるんだと思うんです。じゃあ、好きだこれ、って思う最初の何かしらっていうのは何なんですか? それが言語化できるものかどうかは後で考えるとして、それってそもそも存在してんのか?っていうのは、本当はすごく大事なところだと思うんだけどそうでもないんだろうか?

 たとえば「ドラゴンボール面白い!」っていう意見があるわけじゃないですか。たくさんの人が「ドラゴンボール面白い!」って思ったから国民的ヒットになったわけですけど、面白い理由っていうのが全て後づけなんだとしたら、じゃあ何でこんなに沢山の人が「ドラゴンボール面白い!」って思えてるのか? そこの最初の部分っていうのは動物的な勘でしかないから言語化できなくて、もしかしたらそれがクリエイティヴィティって呼ばれるものなんだろうか?って気はしないでもないが、でもそんな答えはあまり面白いものではないと思うんです。

 全然結論も出ないし、ハナっから出るとも思ってなかったので、ちょっと今後しばらく考えていきたい。人はなぜ何かを見て、面白いとかかっこいいとか美しいとか気持ちいいとか思うんだろう?っていう、すごくだらだらした質問になっているんだろうなあ、この話は。