FNS27時間テレビ雑感(THAT WAS THAT)

 日本で一番面白いとされるその出っ歯の男は「THAT WAS THAT」と書かれたシャツを着ていた。テレビの向こう側で、沢山の計算された奇跡と、計算されていない奇跡を起こした。リアルとドキュメンタリーとフィクションとがないまぜになって、それでも常にそのベクトルは笑いに向けられていた。明らかに娑婆ではない。だってこれはテレビだ。そう言えば俺は、心底テレビを愛していた。

 2008年のFNS27時間テレビを見ていない者は、これは申し訳ないが負け組である。テレビがテレビであることを許される久々の祭りだった。どこまでも過剰で、それでいて後には何ひとつ残らない。BIGINの歌を聴いて思わず涙ぐんでしまった男は、タケちゃんマンに「目ぇ赤くしちゃって」なんて冷やかされ、それでもコンマ何秒かの後に「これはあんたのペンキや!」と笑った。人っていうのは、才能と努力を掛け合わせれば、こんなにすごいことができるんだろうか? 今でも信じられない。こんな名言が生身の人間の口から飛び出たなんて、世界がちょっとどうかしちゃったんじゃないか?

 Tシャツに書かれた「THAT WAS THAT」、あのときはあのとき、って言葉は、そのまま明石家さんまという男の生き様と、人生それ自身を表しているだろう。実際の過去がどうであれ、細かい部分は鋭意捏造し、いま目の前にいる誰かを笑わせる。先のことなど考えても仕方ないから、ペースを考えずに声を枯らす。あの時はあの時。これからはこれから。それがとても素敵な考え方だと思えるのは、いまがどんなに辛く苦しくてマジに死にたくなるような最悪な状況だったとしても、きっといつか「THAT WAS THAT」と言えるからだ。「THAT WAS THAT」が真実なら、「THIS WILL BE THAT」もまた真実だろう。

 明石家さんま大竹しのぶの会話は、もちろん笑福亭も最高に素晴らしかったがそれはさておき、元夫婦であるっていうことの味が出まくった珠玉の時間だった。「噛まないで!」と一流芸人である元夫に注意する大竹しのぶとか、その元嫁である大竹しのぶの正論に対して「一遍夢中で生きてみい!」と逆ギレする明石家さんまとか、「ねえ、なんでそんなにイキイキ喋るの?」「持ち味や!」っていう元夫婦の会話とか。愛し合って、別れて、それでもまだこうやって二人は生きていて、生きているから笑えて、そりゃあ当時はきっと色んなことがあったにせよ、だけどやっぱり「THAT WAS THAT」なのだ。「THAT WAS THAT」。あのときはあのとき。いま笑えれば、それでチャラになる。

 というようなところで強引にひと言でまとめてみるなら、テレビよありがとう、ってそんなところじゃないか。さんまの車を無理矢理出そうとするたけしの目には明らかな狂気が宿っていてどこまでもジャパニーズ・ティーヴィー・イズ・クレイジーだったし、今田耕司のひたむきさには努力ひとつでここまでやってきた男としての矜持を感じた。さんまの車のフリとして岡村の車を出しておくというプロの仕事も、歌で湿っぽく終わらせず最後にタケちゃんマンとスタッフの懺悔を持ってくるという愛すべき不器用さも、この日テレビは確かにテレビだった。

 でもきっとそれだって「THAT WAS THAT」なんだろう。2008年のFNS27時間テレビはすでに終わった。次は誰だ? 次は何だ?