男色のプロレスラーにキッスをされたという話

 一週間と少し経った今でも、まだ胸の高鳴りを抑えることができないでいる。人生に必要なものは金でも名誉でもなく胸のドキドキなのだと人は言う。だとすればやはり8月31日後楽園ホールで起きたあの出来事はぼくにとって何者にも代え難い、当たり前だそんなことは、大好きなプロレスラーに公衆の面前でキッスをされるという出来事が一体何者に代えられるというのか? 男色ディーノと名乗るゲイのプロレスラーにぼくはキッスをされた。それは夏休み最後の日曜日の午後だった。

 その日からずっと、ぼくはキッスとプロレスについて考えている。つんく先生プロデュースの女子プロレスラーユニット、キッスの世界の例を持ち出すまでもなく、キッスとプロレスの親和性は高い。むしろキッスとプロレスは同じものなのだと言ってしまったって良いだろう。キッスは一人ではできない。プロレスも同じである。そしてキッスもプロレスも、相手への信頼関係があって初めて成り立つものである。信じるということ。その無謀で投げっぱなしな態度こそが、キッスを、プロレスを、ジャンルにする。

 相手の良さを最大限引き出して勝つ、ということが目指されるジャンルが、つまりは信じるという態度を無条件に前提としているジャンルが存在しているということに、ぼくたちはもっと驚かなくてはいけない。ケニー・オメガがストップをかけたらHARASHIMAはどうしたって止まってしまう。さらに言えばその様子を見た村田晴郎さんと鈴木健さんが「これはどうしても止まってしまうんですよねぇ」と本心からそう話し合っている。そして事実、その様子を見るぼくたちは興奮し感激しているのだ。ここまで他者への信頼を拠り所にしたジャンルは他にはない。プロレスと、あとはキッスだけだ。

 お前はお前の踊りを踊れ、とかつて江戸アケミが言った。それはまさにプロレスもキッスも同じであって、お前はお前のプロレスをプロレスするしかないのだし、お前はお前のキッスをキッスするしかないだろう。だけどそれは孤独を意味するものではない。お前はお前の踊りを踊れ、という言葉のあとにはきっと、俺も俺の踊りを踊ろう、という言葉が続くからだ。間違いなくそう続くはずだ。個性や自己表現や人と違った自分、といったような話ではない。これは最初から最後まで、信じるという態度についての話なのだし、もしあなたが何かを信じたかったり信じられたかったりするのならば、悪いことは言わない、一刻も早くプロレスを見るべきだ。DDTの次回後楽園興行は9月28日(日)だそうです。あと天山の小島に対する友情の押し付け具合と気持ち悪さっていうのは爆笑する、爆笑するけど全然アリ、というこの感じこそがプロレスだという気がしてなりません。

 最後になりましたが、男色ディーノさんは無理矢理舌をねじこんでくることもなく、とても紳士的なキッスをしてくれたということをお伝えしておきます。前よりもっと好きになっちゃった(//▽//)