GOKKOを見てプロレスを想う

 吉本のお笑いさんたちがプロレスをやる、それでその興業のタイトルが「GOKKO」という非常に意味深なものであるっていうのを事前に知ったとき、これはきっと無茶苦茶面白いものになるか無茶苦茶ひどいものになるかのどちらかだろうなとの予感があった。その予感はそう外れてはいなかったとは思うが、それでもやはり、是か非かの一言で終えられるほど単純なものでもなかった気がする。もやもやした気持ちでずっと考えそれでふと思ったのは、プロレスとは大喜利そのものではないかということである。

 何せ今や西暦2008年だ。永遠にリングの上に立つと信じられていた馬場はすでに死に、猪木に至っては人類の夢である永久電池の開発に成功した。つまり今は未来だ。だから今、2008年のプロレスはやはり未来のプロレスであるべきである。プロレスラーがプロレスの試合をしていればプロレスが成り立った時代なんてとっくの昔に終わったのだ。たぶん大仁田が真鍋って名前を8回ぐらい呼んだころに。だとすれば今、プロレス会場に足を運ぶ未来の観客(今上のデルフィンたち)である我々が何を見たいのか、何を確認したいのか。それはすなわち、リングの上の男にとっての「プロレス」とは何を指しているのだろうか?ってのが見たいのだ。それがいわゆる、未来のプロレスに他ならない。

 リングの上の男たちが「プロレス」をどんなものだと考えているのか? リングの上の男たちにとっての「プロレス」とは何か? その答え、あるいは答える様を目にするという行為こそが未来のプロレスである。だからつまり、未来のプロレスとは大喜利に他ならない。大喜利の問いは一つ、あなたにとって「プロレス」とは何か? かつて江戸アケミが観客に向かって「あなたにとってロックとは何ですか?」と尋ねたように、私たちはリングの上に向かって問う。「あなたにとってプロレスとは何ですか?」と。この問いに、この大喜利にいかにして答えるかっていうのがプロレスそのものだと言ってしまおう。

 その答えはいくつあったって良い。というかいくつだってあるんだろう。大喜利に正解がいくつも存在するように、プロレスに正解はいくつも存在する。ガチ、ヤオ、オールドスタイル、ラリアットプロレス、デスマッチ、バチバチ異種格闘技、向こう側、その全てが正解であり、その全てがプロレスである。誰かのやっていることがプロレスであるかそうでないかを決めるのは、「あなたにとってプロレスとは何ですか?」という大喜利に対して彼らがちゃんと面白く答えられているかどうか、そこでしかない。逆に言えばこの壮大な大喜利に対してちゃんと面白く答えることができるのならば、誰だってホウキ相手にプロレスができるはずだ。

 翻って一体、「GOKKO」にとってプロレスとは何だったんだろうか? あの日バッファロー吾郎の木村さんと土肥さん以外で、「プロレス」という名の大喜利に対してちゃんと答えようとした人はいたんだろうか? プロレスごっこだからそんな大喜利に答える必要はないのかもしれない、でもだとしたら本職のプロレスラーはいらないんじゃないのか? 興行としてごっこごっこが続いて最後のメインでプロレスラーがついに登場ってのならまだ分かるが、何で一試合目から、しかも「プロレスラー」ってアイコンの象徴でしかない、お笑いファン的にはほぼ無名のレスラーが出る必要があるのか? そもそもプロレスごっこって言っちゃえばプロレスファンの気持ちは無視して良いのか? 橋本真也はもうギャグにしちゃっていいのか? そこに葛藤はなかったか? それでも笑うんだって気概があるならそれはそれだ、でもあのコスプレにそこまでの覚悟はあったか? 新宿FACEっていういわばプロレスファンのホームにおいて「次はもっと大きい場所でやりたい」ってさらっと言えちゃうセンスってどうなんだ? プロレスごっこならプロレスごっこだっていいだろう、でもお笑い芸人がプロレスごっこをやるんだったらもっと腹を抱えて笑えるプロレスごっこであって欲しいと、そう願ってしまうのは能天気な観客の身勝手な言い分なんだろうか? この日、唯一存在したプロレスは「マッスル坂井が史上稀に見るプレッシャーの中で最初の大喜利に答えて見事に観客を湧かせた瞬間」だったわけだけど、でも果たしてそれで良いのか? 確かにあそこで滑るのはHGの仕事なのかもしれない、でも俺の好きなお笑い芸人っていうのは、いつ何時どんな大喜利にも面白く答えるというか、滑らなくちゃいけないところでもうっかり受けちゃうみたいな、そんな奴らが見たいから俺はお笑いが好きだしプロレスが好きなんだよ! 芸人が空気なんて読んでんじゃねえっつうか少しはアントニオ猪木のKYぶりを見習えよ! 糞ったれ! どいつもこいつもぬるすぎる! あと山下さんはもう何年もやってんだからいい加減「解説のケンドーコバヤシの言うことがどんなに面白くてもリングの上では聞こえてないフリをする」ぐらいの基本的なレスリングテクニックは勉強してください!

 とまあ、いらぬ炎上をした。何というか、あれだけ大好きな人たちが集まって、しかも自分の大好きなプロレスをやるというにも関わらずこんな気持ちになるという不思議。さらに言えば自分とかなり近いものの見方をする人ですら、GOKKOの是非に関しては意見が別れるかもしれないという確信もある。まったくもって、面白い、とか、面白いものを作る、っていうのは紙一重でありまして、それがまた実に面白い。それでまた難しい。次があったらまた行くかも分からないけど、自分が好きなお笑いやプロレスが、自分の好きじゃないお笑いやプロレスに負けてしまう瞬間っていうのは、釈然とせん無念が残る。