行動経済学

友野典男行動経済学 経済は『感情』で動いている」
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 まだ本題まで読み進めていない段階だが、冒頭に書かれていた確率の問題が興味深かったので記す。

 設定として、隣の家にお母さんが住んでいる。あなたはその家に子どもが二人いることは知っているが、その二人の子どもが男なのか女なのかは知らない。そんな設定で二つの質問がなされる。

 質問A

 お母さんに「女の子はいますか?」と質問したところ「はい」と答えた。もう一人の子どもが女の子である確率はどれほどか?

 質問B

 あなたは、お母さんが娘と一緒に散歩をしているのを見かけた。もう一人の子どもが女の子である確率は?

 全く同じ設定に思えるが、実はこの二問で答えが違うというのが肝である。結論から言うと質問Aの答えは1/3であり、質問Bの答えは1/2なのだ。

 なぜか? 解説する。まず二人の子どものありえる可能性としては「男男」「男女」「女男」「女女」の4パターン。二人は違う個体として数えられるから「男女」「女男」は区別されなきゃいけないので全部で4パターンになる。

 質問Aの場合、女の子は少なくとも一人いるわけだから「男男」というパターンは削除される。よって「男女」「女男」「女女」の3パターンが分母となり、その場合もう一人の子どもは「男」「男」「女」となるわけだから、条件を満たすのは1パターンでこれが分子。3パターンが分母で1パターンが分子となり確率は1/3。

 質問Bの場合、お母さんと一緒に散歩しているのが男であろうが女であろうが、もう一人の子どもは男であるか女であるかのいずれかでしかない。だから確率は1/2。

 と、こういう風に説明されたんだが納得できるか? 俺は納得できなかった。普通に考えれば、子どもは男であるか女であるかのどちらかでしかないんだから両方答えはBのように1/2じゃないかと思う。だが確かに質問Aの場合、「一人は女の子である」という情報を知ったうえで確率を導くわけだから、分母が削除されて確率が1/2から変化するのは分からないではない。そこまでは俺は理解できたんだが、納得いかないのは質問Aと質問Bの答えが異なる、という点なのだ。質問Aの答えが1/3になるなら、質問Bの答えも1/3になるはずじゃないのか?

 だって質問Aも質問Bも、受け取っている情報としては「女の子が少なくとも一人いる」という点でまったく一緒ではないか。だとしたら答えは一緒であるべきだろ? この二つの条件の一体どこが違うのか? それとも条件がまったく一緒であるのに確率が違ってしまうのだろうか?ってそんなわけはない。自分の中で納得できそうな理由は導き出せたんですが、こういう問題について「なんでだよ?」と悩むのが好きな人もいると思うので「続きを読む」の先に書きます。


 結論から言うと、質問Aと質問Bの前提条件は異なっている。答えが違ってるんだから当たり前といえば当たり前の話ではあるんですけども。じゃあどこが違うのか?っていうところなんですが、まず質問Aの前提条件は「女の子が少なくとも一人いる」という点であって、これは上に書いた通り。こっちは問題ないんだけども、問題なのが質問B。実はこの場合、前提条件は「女の子が少なくとも一人いる」という点だけではなくて、「女の子が少なくとも一人いる」プラス「お母さんはその女の子を『散歩に一緒に出かける子ども』として選んだ」というのが前提条件になっている。で、この違いが確率の違いとして現れている。つまり前提条件の中に、お母さんによる子どもの選択が含まれているわけです。

 お母さんによる子供の選択が前提条件に含まれてしまっているので、質問Bを場合分けで解こうとすると、上で書いた質問Aの場合分けでは足りない。じゃあどうなるかっていうと「子どもの内訳は『男女』であり、かつお母さんによる子どもの選択は男(あるいは女)であった」という風に二重に場合分けをしなくてはいけない。

 こうやって二重に場合分けをすると、分母は「子どもの内訳=男女/お母さんの選択は女」「子どもの内訳=女男/お母さんの選択は女」「子どもの内訳=女女/お母さんの選択は女1」「子どもの内訳=女女/お母さんの選択は女2」の4パターンになる。このうち質問の条件を満たす、つまりもう一人の子どもが女の子であるパターンは「子どもの内訳=女女/お母さんの選択は女1」「子どもの内訳=女女/お母さんの選択は女2」の2パターン。分母が4パターンで分子が2パターンだから、確率は1/2となるわけです。なるほど!

 要は「お母さんが女の子を連れて歩いている」っていう情報は「女の子が少なくとも一人いる」っていう情報よりも深いというか濃いというか、まあそういう話でした。確率の問題はこういうのがあって面白い。

 でもまあもっと深い部分で納得いかない部分というのもあって、そもそも「女の子である確率」って何だよ?というのは未だに腑に落ちない。存在とか状況っていうのは確率で出せるものなのか?という問題である。例えば「イチローが次の打席でヒットを打つ確率は4割」というのは理解できて、要はまったく同じ条件で何度も同じことを行なえば100回に40回ぐらいはヒットを打つだろうってことでしょ? それは分かる。でも「イチローがいまブリーフをはいている確率」って何? イチローはブリーフをはいてるかはいてないかのどちらかなんだから、確率とかではないじゃん? でも「女の子である確率」ってブリーフと同じことだと思うんですけどその辺はどうなってるの?

 存在あるいは状況に関して(つまりあるかないか/そうであるかないかという二者択一のものに関して)の確率と、未来を予測する確率は果たして一緒にされていいものかどうか? 一緒にされていいものだとしても驚きだし、実はまったく別のものであると言われてもそれはそれで衝撃だろう。こういうのは誰に聞けば答えを教えてくれるのでしょうか?