好きじゃなかったのに悲しい日記

 書きたくもないし、書いたほうが良いのかどうか、分からないがそれでもやはり書かなくてはいけないのだと思う。彼女のことについて書かないのは、それはどうしたって「ひきょう」な選択だろう。しかし何を書くべきなのだろうか。あるいはどう書くべきなのか。書かなくてはいけないことがあるというよりも、むしろ何を書くことが許されているのかという悩みだ。だけどやはり、ここは分からないままに書くのが筋というものだろう。

 めーぐると呼ばれる女の子がいた。ぼくは彼女の恋人ではないから、村上さんと呼びたいと思う。村上さんという女の子がいた。彼女はアイドル集団ハロープロジェクトの一員であり、すごい、本当にすごいとしか言い様のない女の子だった。10月31日の夜、ぼくは彼女が歌って踊るDVDを見たのだが、それはもう一発でやられた。好きとかそういうことではない。ここは大切なところだから知っておいてほしいのだが、ぼくは彼女のことなんて好きでもなんでもなかった。ただ、すごかったのだ。

 特に何とも期待せずに、と言えば嘘になるかもしれないが、あくまでそこそこの期待を胸に見たDVDだった。だがもう、一瞬で彼女から目が離せなくなった。完璧だった、特にその動き、身体が。踊りがというのではなく、身体のあり方が完璧なのだ。腕の位置が、腰の位置が、顔の位置が、完璧としか言い様がなかった。ここに空間ではなく彼女の腕があり腰があり顔があるというのが、もう見ていて当たり前というか、そこしかないところにそれがあった。ぼくはあんなに「正しい身体」を見たことがない。当たり前であるがゆえに、それが素晴らしくて、当たり前だからこそ奇跡だった。ぼくはずっと彼女を見ていた。彼女が画面に映っていないときでもずっと彼女を見ていたように思う。

 天才だと思った。たぶん凡人がどれだけ苦労して、努力を積み重ねても絶対にあそこへは行けないだろう。選ばれた身体だし、輝きだった。彼女はまだ中学2年生で、これから先ぼくらに何を見せてくれるのだろう、どんなことをしてくれるのだろう、と本当に嬉しく思って、眠り、起きて、翌日仕事をしながら、彼女の引退の報せを聞いた。

 彼女がストーカー野郎に撮られた写真が、その引退にどう影響しているのかは分からない。事務所と彼女、あるいは彼女の家族とどんな話し合いがなされたのかも知らない。彼女自身が、写真を撮られたことでどれだけつらい思いをしたのかだって、そんなことは想像もできない。だけど、そのうちのどれが彼女の引退に陰を落としていたとしても、それはあまりにも「現実」すぎはしないか? アイドルを四六時中付け回しているクソ野郎がいるということ。恋愛を禁止する事務所。そして辛い思いをする女の子って、そんなどこにでもあるような「現実」を、なんでわざわざ見せられなくてはならないのだろう?

 彼女は本物のアイドルだった。本当に天才的なアイドルだったのだ。それなのにどうして、よりによって彼女が「現実」からやり込められなくてはいけなかったんだろう? そんなものは、彼女のいない世界にだって溢れているのに。自殺とか虐待とか差別とか、そういう風にすでにあるものじゃなくて、真実というか、本物というか、あるべき世界を見せてくれるのがアイドルじゃないのか? 彼女は絶対にそういう世界を見せてくれるはずの女の子なのに、なんで彼女の姿が「現実」によって失われなければならないのだろう? 彼女はもう、誰がどう見たってほんものなのに。素晴らしい女の子なのに。

 辛い。悲しい。村上さんのことなんて全然好きじゃなかったのに、でも本当に最悪の気分だ。ぼくはたぶん、彼女が引退なんてしなかったら、きっと近いうちに彼女に恋をしていたんだろうと思う。それはとても悲しいことだ。好きになっていれば良かったのに。

 ぼくは彼女に恋をする前に失恋をした。それはこれまでのぼくの人生をそのまま表しているかのようだが、そんなもん、見たくもなんともない。すでに見たことがあるものを見たいんだったら、アイドルのコンサートになんて行かない。本当に最悪だ。本物のアイドルが「現実」に負けてしまうなんて、こんなのは、もう、嫌すぎてたまらん。わけが分からない。なんで世界はこんな酷い感じにできているんだろう? アイドルじゃなかったら、ぼくは何を信じて生きていけばいいんだろう?

 とうとう何を言っていいか分からなくなってしまったので、キュートのアルバムの中でいちばん素晴らしいと思う歌詞を抜き書きして終わります。

国道を一本入りゃ 静かな場所もある
東京は寂しさだって 背景に 変えちゃう 変えちゃう

ぜんぶ自分で決めていいんだよ

 アイドルという形ではないのかもしれないけれど、これから先の村上さんの人生が、しょうもない現実から甚だしくかけ離れて素晴らしいものであることを祈っています。ありがとうございました。