愛称をつけてしまうということ

 やはり「NEWS 23」で筑紫哲也氏が「ホリエモン」と言ってしまってはまずいのではないか。それは今回の騒動以前に、例えば総選挙に出馬した堀江氏を「ホリエモン」と各メディアがこぞって表現したのとは違い、というかあれはあれで非常に気持ち悪かったが、今はそれすら過去の話である。現在の堀江氏は容疑者であって、その罪が罪として認められるのかは別にしても、やはり「堀江容疑者」と呼ぶ必要があるのではないか?

 マジメなニュース番組であるにも関わらず(相沢は「NEWS 23」がワイドショーでなくニュース番組であると記憶している)、そして筑紫哲也氏が古館でないにも関わらず(相沢は筑紫哲也氏が古館でないと記憶している)、堀江容疑者を「ホリエモン」とついうっかり呼んでしまう、「ホリエモン」という愛称がそれだけの魅力を生んでしまう。そこにはきっと、今までの呼び方がそうだったからという単純な理由ではなく、もっと根が深く言ってみれば強い理由がある。筑紫哲也氏がバカではなかったらの話だが。

 愛称をつけてしまうというのは結局のところ一人の人間を創り出すということであって、かつてB21スペシャルのヒロミさんが語ったところによると、彼はテレビ番組でのし上がって行くために、実力者(タモリさんやマチャアキさんなど)に対してヒロミさん独自の愛称をつけて呼んだという。タモリさんのことをヒロミさんが何と呼んでいたのかは知らないが、たぶん他の人が「タモさん」と呼んでいたとすれば、ヒロミさんは「タモちゃん」とかそういう新しい愛称でタモリさんを呼んだというのだ。

 実はこれはものすごいテクニックなのかもしれない。その時点でヒロミさんはタモリさんのたった一つの名前をつけたということになり、だからヒロミさんはタモリさんの親になったということでもある。愛称をつけてしまうということはきっとそういうことで、人は誰でも誰かの親になりたい。親になりたいとまでは言わなくても、よく分からないものを自分の手の届く範囲のものにしたいという欲求は誰にでもあるわけで、堀江容疑者というのはそういうものだった。

 堀江容疑者は最初から最後までわけのわからない存在で、実際のところ何がすごかったのかもよく分からないし、なぜつかまったのかもほとんど分からない。なんとなくすごいことをやって会社を大きくして、なんとなく悪いらしいことをして捕まったそうだという、そんなわけの分からない存在であるからこそ、人は彼を「ホリエモン」と呼ぶ。彼のわけの分からなさを自分たちの手の届く範囲のものにするために。それは例えば私たちが加護さんのことを「あいぼん」と呼んだりするのと全く同じ行為である。

 ただ、堀江容疑者のわけのわからないところが彼の金の産み方と逮捕された経緯であったとすれば、加護さんのわけのわからないところは、可愛さ、そのものである。可愛さって何? なんでこの女の子を見るとこんなにドキドキしてしまうのか? ってそういう自分の中でのわけの分からなさをなんとか自分になっとくさせるために、人は彼女を「あいぼん」と呼ぶ。それはだから、とても切ないが、同時にやはり愛すべき行為である。