逆境ナイン

島本和彦逆境ナイン
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 間違いなく面白いであろうということを知っていながら今の今まで手にとる機会がなかったが、映画化により復刻されたためみんなも買うとよい。しかしどんな顔をすればこんなマンガが書けるというのだろう?

「この宇宙のどこかでは今も-----おたがいの星の運命をかけて、壮大な宇宙戦争が行なわれているんだろうなあ………」

 この投げっぱなし感はちょっとすごい。ちょっとかっこいいコマでこのセリフを言わせておきながら誰もフォローしないし、別に宇宙戦争についてそれから思索が始まったり宇宙人が出てきたりっていうこともない。このセリフをギャグとして伝えるには絶対に説明が必要で、逆に言えば説明さえあればこのセリフはまっとうなギャグだ。しかも決して悪いギャグではない。たぶん岩鬼がこんなセリフを言ったら、山田か里中かサチ子が間違いなく突っ込むだろう。それは「岩鬼はアホやなあ」というセリフとは限らず、例えば山田であれば「いつもの岩鬼が戻ってきたぞ」とかなんとか言うはずで、その説明はギャグにとって、少なくとも商品としてのギャグにとってどう考えても必要な説明であるように思う。

 しかし「逆境ナイン」にはギャグに対する説明が一切ない。「逆境ナイン」というか島本和彦のすさまじい部分というのはまさにその点で、つまり島本和彦は何がやりたいのだか全く分からない。「アストロ球団」であれば、おもしろい試合、とか、すごい技、とかそういうものを見せたいのだなあということが分かりしかしそれが出来ていないことで、失敗したギャグマンガとして読むことも出来る(これは理論上可能ということであってあの絵柄を見て真剣な顔にならない人はマンガなど捨てて斉藤/孝の本でも読めば良い)。

 が、島本和彦のすごいところは、そもそも島本和彦が何を目指しているのか分からない点で、それは感動かもしれないし、あるいは笑いなのかもしれない。ただそれが分からない。島本和彦は何を目指してマンガを書いているのか? それが分からないままただただ島本和彦のマンガは熱いわけで、いわば何もない、熱さだけがある。そしてそれは素晴らしいことであると思う。あとそういう点で島本和彦羽生生純はたぶん似ていて、「何もない、熱さだけがある」に対抗して「何もない、クールだけがある」っていうのはやまだ/ないととかよしもと/よしともなどの所謂コミックキュー周辺ってことになるんじゃないのってそれは言い過ぎだろうか?