探偵ナイトスクープ

 そう言えばこのあいだ書いた探偵ナイトスクープの回は他の2本とも素晴らしく、特に「仲良し小学生の女の子二人のうち一人が転校してしまうことになったので、想い出作りのために7時間だか8時間だか歩き続ける」という話は本当に良かった。何が良いってもちろん、好き同士、という関係性なのだが、小学生の女の子だけに、好き同士、に理由がない。なぜ好きなのか、という疑問そのものが存在していないのだろうか、誰々ちゃんがここにいる、だから好き、というそのあまりに短絡的な、だからこその美しさ!

 そもそもの話、好き、に理由などいるのだろうか? 嫌い、にはそれ相応の理由はあるだろう。しかし、いるから好き、あるから好き、それだけでは足りないのだろうか? それとも好きになる自由さえ私たちには与えられていないのだろうか? 好きという気持ちさえ好きにならないのか? 相沢はここにいないメロン記念日を思い浮かべる。好きである。いない誰かをさえ好きになれるのだから、そこにいる誰かを無条件に好きになるぐらいの権利は許されているのではないか? 好きの自尊心など捨ててしまえばいい。お前が山崎ナオコーラを好きになったからといって、誰がお前の好きを馬鹿にできるだろう!

 それはともかく、歩き続けた女の子二人であるが、最後に石田靖探偵から「女の子の一人が引っ越すといっても実は引っ越し先は隣町である」という幸福なサプライズが明かされるのであった。

「だから、今でも会えるんです!」

 こんな素晴らしい言葉があるだろうか?