[マンガ][日常]「美味しんぼ」への対応についてのひとつの提案

 「美味しんぼ」が福島第一原発を取り上げた現在連載中のシリーズが波紋を呼んでいて、なんかこう色んな意見を読んでいるとこれって個別の作品に対しての問題というか、いまの社会全体を覆っている雰囲気とかムードとかにも関わってくる話なのかなとも思い、ぼんやり考えたことをここに書きます。まず、自分は「美味しんぼ」を擁護する側でも批判する側でもありませんし、肯定も否定もするつもりはありません。ただ「そこまで(あるいは、そういうやり方で)叩かなくても良いんじゃないのか」というのはありますので、以下はそのことについて。

 いくつか読んだ中では、以下の二つのエントリが個人的にはしっくり来ました。

『美味しんぼ』の福島の話について、ずっと考えています。 - いつか電池がきれるまで

漫画『美味しんぼ』鼻血騒動に見る健康被害より恐ろしい原発最大の問題点

 で、ここからが個人的な意見となりますが、まず全3回にわたって続く(らしい)このシリーズの、1回目にあたる第604話の時点で多くの批判が寄せられていることに対しては、率直に、なんで?というのがあります。確かに作中で登場人物が鼻血を出したり、疲れやすくなったと発言をしてはいますが、第604話の時点でそのことと福島第一原発あるいは福島県との因果関係は描かれていません。その回答が次回へと持ち越されている以上、少なくとも第604話までは「これが風評被害や差別を生じさせる」とはならないのではというのが自分の見解です。

 これが仮に「福島県に行ったら鼻血が出て疲れやすくなった。理由は分からない」のままいきなりそのシリーズが終わったら、それは確かに「風評被害や差別を生じさせる」という批判になるでしょう。ただ、読めば分かる通りその理由や因果関係は次週以降に回されているわけで、少なくともそれを含めてひとつの作品なのだから、現状をもって「美味しんぼ」が「風評被害や差別を生じさせる」と言うことは出来ないんじゃないでしょうか。

 ここで既に予想できる反論として「でも実際に双葉町には県外の人から電話がかかってきて双葉町は抗議文を出しているんだから事実として風評被害は起こっているんじゃないの?」というのがあります。でもよくよく考えてみると、それって本当に風評被害なのか、という疑問が自分にはあります。たとえば「美味しんぼ」の当該回を読んで、仮に「ああ福島県はやっぱり怖いなあ」と思ったとしましょう。そのときにわざわざ町役場に電話をするでしょうか? なんらかの意図がなければ、そんな電話をしようとさえ思わないんじゃないか。

 双葉町の抗議文には「福島県産の農産物は買えない」という電話が寄せられたと書かれています。いやいやいやと。少なくともこの電話をかけた人物は、「美味しんぼ」第604話を読んでないでしょうし、読んでそう言ってるならなおさらその人が問題でしょうと。その回で、山岡も海原も、福島県産の農産物を口にしてるわけじゃないんですから。自分がかけた電話が一因となって双葉町小学館に対して抗議文を送るというアクションがなされたら、その人の気持ちはすっきりするのかもしれませんが、そのやり方はちょっと根本的に違うんじゃないのかと思わざるを得ません。

 まあとは言えこの回に続く第605話と第606話は原作者が言うように、さらに波紋を呼ぶことになるのでしょう。あのブログも、そんな挑発するようなこと言わんでええやん、というのがありますがそれはさておき。2年間の取材を形にするそうですが、ここでかなりひとつ予想をしておくと、その取材を基にした因果関係の説明は、かなりトンデモなものになっている可能性が極めて高いと思います。「美味しんぼ」には色々と前例もありますし、原作者のブログを読む限り、ああ、やっちまったなあ、ということになるのはほぼ間違いないだろうと思っています。

 でも、それでも、ですよ。「美味しんぼ」は創作物であり、そこには当然創作者がいるわけで、「美味しんぼ」が表現することっていうのは、たかがその創作者一人の意見にすぎないわけじゃないですか。もちろん、その影響力が大きいから問題なんだっていうのは分かります。分かりますが、だからと言って、それがそのまま風評被害や差別に繋がってしまうほど、人間って馬鹿じゃないだろ、とも思うんです。

 楽観的かもしれません。でも、ぼくらには知性というものがあって、頭を使って考えることができ、様々な情報を取捨選択する環境があるんだから、商業誌のマンガ作品とは言え一人の人間のトンデモな意見をみんなが簡単に信じちゃうって、そんなことはないんじゃないでしょうか。そもそも「美味しんぼ」を批判してる皆さんも、「美味しんぼ」で描かれたことをそのまま受け取ることが出来なかったからこそ批判しているわけで、ネットを使ってるとか使ってないとかに限らず、大体の日本人ってそれぐらいには賢いんじゃないでしょうか。たぶん。

 そういった、人間としての知性を信じるとするならば。「美味しんぼ」の第606話まで読んで、間違ってるって思ったり、批判するっていうのは良いと思うんです。でもだからと言って「連載をやめろ」とか「小学館は謝罪しろ」とか、それをしかも「リンチ」を初めとする攻撃的な言葉を使って表明するのって、さすがにもうちょっと人間的なやり方があるだろうし、そもそもそれって根本的な解決にはならないと思うんですよね。

 だから今回の「美味しんぼ」に対しては、「描かれたこと」についての批判で盛り上がるよりも、むしろ「これから改めて描かれるべきこと」を対話によって示唆して、「美味しんぼ」の「福島の真実」篇の続編として、「真実の福島の真実」篇を描かせるっていうのが一番良いやり方なんだと思うんです。そうじゃなかったとしても、原作者が間違っているなら、その間違いを正してあげたほうが良い。そのために必要なことは、強い言葉を使って投げ捨ての批判をすることではなく、対話に向けて何が出来るかを考えて理性的に行動することだと、自分は信じていたりします。

 「美味しんぼ」の「福島の真実」篇が、第606話で完結するのではなく、第606話から改めて始まることを、いち読者として願ってやみません。