「みっつ数えろ」第六戦解説 〜プロレスに流れや台本はあるのか問題〜

 2013年11月10日、有料メールマガジン水道橋博士のメルマ旬報」にて拙作「みっつ数えろ」の連載第六戦が配信されました。みなさまお読みいただけましたでしょうか。今回からようやく、第四の主要メンバー、源五郎丸めぐみが登場。この「みっつ数えろ」は、四人揃って初めて一人前のアイドルロックグループ、メロン記念日にオマージュを捧げてまくっておりますので、ようやく始まった感。残りの三人が勝手に仲良くなりすぎちゃうので不安でしたが、源五郎丸めぐみはすごい面白い人なので、今後の活躍にどうぞご期待ください。

 さてここからは、本日配信の「みっつ数えろ」を読んでいないとまるっきり意味が分からないエントリになりますので、ご購読はこちらのページからお願いします。「みっつ数えろ」とはざっくり言うと「女子高生がプロレス部を設立しようとするが、危険すぎるという理由で学校から却下され、その代わりに演劇部を設立して演劇だと言い張りながらプロレスを行う」というお話のマンガ原作です。プロレスを知らない人でも楽しめるようなわりと真っすぐな青春ストーリーとして書いてるつもりですが、そうでもなかったら申し訳ございませんということで、何卒。

 で、今回はあゆみとみやびが「プロレス部」の設立に動くという話なわけですが、その中で通らざるを得ない部分が、プロレスに流れや台本はあるのか、まあもっと言ってしまえば、プロレスにおいて事前に試合の結末は決まっているのか?というところだったりします。何度か書いているように、ぼくはそういうのが決まってる前提で、でもだからこそプロレスは凄い、みたいな最近の作品は好きではなく、そこに対しては否定的な考えを持っています。でも、じゃあ実際どうなんだ?と考えると、それはそれで難しい問題だったりもする。

 この回で主人公である暁星あゆみは、こんな台詞を語っています。「流れや結末が決まってるなんて、そんなの全然、プロレスなんかじゃないよっ!」と。あるいは「台本があったらプロレスにならないよ……」と。そして、暁星あゆみの人生最良のタッグパートナーである白百合みやびもまた、その言葉に同調します。彼女たちがそう語っている以上、「みっつ数えろ」のプロレス観とは、そのようなものです。

 確かに、ミスター高橋本や、どうしようもなくその影響下に置かれた我々は、プロレスに結末が決まっているのか?について、考えなくてはならなくなりました。その結果として、「プロレスはショーだからこそ凄い」という考え方が出てくるのも分かる。でも、非常に個人的な考え方として、ぼくはそこには乗ることが出来ない。だって、そんな風にプロレスを観て、未だにこんなにプロレスを観戦し続けて毎回笑顔で帰ることなんて、出来るのか?と思うわけです、普通に。客観的に考えて。

 それで、ぼくは今どういう風にプロレスを観ているのかというと、確かに過去、結末が決まっている試合があったのかもしれない。ミスター高橋が本で書いたことは事実として起こったのかもしれない。でも、会場に行って、生で観ているこの試合が、そうであるとは限らない、と思うんです。仮に過去、あらゆるプロレスの会場で行われたプロレスの試合で事前に結末が決まっていたとしても、今まさに自分が観ているこの試合がそうであるとは限らない。これは判定できないわけですよ。当事者以外は。だから、今行われてる試合の結末が事前に決まってるかは、少なくともリングの上にいない我々が判定できるはずもない事柄なんだと、ぼくはそういう風に考えています。むしろ、そこを前提として、プロレスを観ている。

 そうやってプロレスを観たときに、じゃあ何でこれはこうなんだ、ってことは確かにあります。でもそこを、理屈で乗り越えたいし、プロレスが好きなところってそこなんですよ。考えてる時間そのものが、プロレスの楽しさだったりもして。具体的に言うと「フィニッシュホールドが出ちゃうと返せない問題」とかですよ。なんか、きいてるんだかきいてないんだかよく分からない技でも、それがフィニッシュホールドなら返せないという。でもそれは、結末が決まってるから返せないんじゃないんです。それを返したら、もっとすごいこと、観客を満足させるような技がないなら、やっぱり返せないんですよ、怖くて。だから、結末が決まってるか決まってないかとかそういう問題じゃなく、どちらにせよ、フィニッシュホールドは返せないんですよ、やっぱり、プロレスが、衆人環視のもとで行われてる以上は。

 そういうような理屈が、自分の中には沢山ある。プロレスに結末は決まってない、って信じられる理屈が常にある。だからぼくはプロレスを観るとき、事前に結末が決まってるなんて一切思ってないし、誰が何と言おうと、そういう風にずっとプロレスを観ていくんだと思います。事実がどうだろうと関係ない。プロレスに結末は決まってない。流れや台本もない。そう思って観るからこそ、プロレスは楽しいんだってぼくは思っています。プロレスに対してだけは醒めていたくない。だから、どんなプロレス関係者が、どんなプロレスラーが何を言おうと、関係ないんです。今この瞬間に、目の前で起こっているプロレスの試合の、結末が決まっているわけがない。ぼくはそういう風にしてしか、プロレスを観ることが出来ないのです。

 すごくデリケートな部分だけど、ぼくはそうやって、プロレスを観ています。そしてそうやって、プロレスを観続けていきます。ただのショーじゃなくて、生き様の闘いだから、プロレスのことが大好きなんです。

 それではまた次回。まだ「水道橋博士のメルマ旬報」読んでおられない方で興味もっていただいたなら、ご購読はどうぞこちらのページから。以上、「みっつ数えろ」第六戦の、お粗末ながら解説でした。エレガントに、さよなら。