「みっつ数えろ」第二・五戦解説 〜ジェントルメン中村「プロレスメン」とは何か?(前編)〜

 本日2013年8月25日、有料メールマガジン水道橋博士のメルマ旬報」にて拙作「みっつ数えろ」の連載第二・五回が配信されました。みなさまお読みいただけましたでしょうか。マンガ原作ということもあるので今回は前回までとは趣向を変えて、要は単行本になったときのおまけページ的な意味合いで、喫茶店トークをしてもらいました。ストーリーの主軸のあいだにちょこちょこ挟み込んでいきますので、今後もご愛顧のほどを、ということで。

 さてここからは、本日配信の「みっつ数えろ」を読んでいないとまるっきり意味が分からないエントリになりますので、ご購読はこちらのページからお願いします。「みっつ数えろ」とはざっくり言うと「女子高生がプロレス部を設立しようとするが、危険すぎるという理由で学校から却下され、その代わりに演劇部を設立して演劇だと言い張りながらプロレスを行う」というお話のマンガ原作です。プロレスを知らない人でも楽しめるようなわりと真っすぐな青春ストーリーとして書いてるつもりですが、そうでもなかったら申し訳ございませんということで、何卒。

 というわけで今回は、作中でも日々野瞳が読んで影響を受けた、ジェントルメン中村「プロレスメン」という超名作マンガについての解説です。

 その前にまずおさえておかなければいけない歴史的事実として、2001年の12月、プロレス界に大きな影響を与える一冊の本の出版について書いておかなくてはいけません。ミスター高橋という新日本プロレスの元レフェリーが書いた「流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである」という本について。この内容というのは、まあ書名からも分かる通り、プロレスがショーであり、真剣勝負である以前に見せ物であり、そこにはプロの技術が沢山含まれているんだよ、という、ざっくり言えばそういったことが書かれているわけです。

 この本はミスター高橋によれば、そういった事情を全て開示したうえでプロレスは楽しまれたほうが良いという思想から(本音か建前かは別として)書かれているのですが、プロレス界とプロレスファンに大きな影響を与えることになりました。もちろん「プロレスなんて八百長でしょ?」なんてことはプロレスファンなら何度も言われているわけですし、タダシ☆タナカのシュート活字や佐山聡の「ケーフェイ」といったような前例もある、しかしこのミスター高橋本は実際に団体で、しかも新日本プロレスというメジャー中のメジャーで仕事をしていた人間が書いたということもあって、かつ当時は総合格闘技というジャンルが既に存在していたということもあって、この本をもってプロレスから離れてしまった人も数多くいるというのは事実としてあります。ぼくはこの本や、この本に書かれたことの一切を認めないという立場をこれまでもこれからもずっと取り続けるはずですが、大きな影響を与えたというのは事実として存在しているわけです。

 そしてプロレスとは、ひとつの大きな歴史的な書物です。そこに登場する人物は、過去の上に立ち、未来を見据えて動く、いわば必然として置かれるコマのようなものです。だからこのミスター高橋本以降のプロレス創作物というのは、これありきで進んでいくわけです。その立場を認めるか認めないかは別として、このミスター高橋本を無視してプロレスを描くことは、たとえフィクションだったとしても出来ない、それがプロレスにおけるルールでありモラルだったりするのです。

 かくして表現物におけるプロレスは様変わりしました。かつて、小林まこと「1・2の三四郎」という普及の、今読んでも心が震えてたまらなくなるプロレスマンガがあるわけですが、そこでは当然ショーだとか結末がどうとか、そういうことは描かれていない。そりゃ、ファンだからその辺の不思議なことに対しては個々で考えるし、そのうえで自分なりの回答を見つけるっていうのがプロレスの楽しみなわけですからそれはそれとしてある。しかし、ショーである前に真剣勝負である、っていう描かれ方が、当たり前だったわけです、その当時は。だって、そう描いたほうが面白いしね、実際。当たり前だけど。

 しかしミスター高橋本が出版されてから、プロレスの描かれ方は変わっていきます。プロレスはショーである。その前提がある。そこでプロレスをどう描くか? 総合格闘技よりもプロレスが勝っているところはどこか? そこで新たに、プロレスはショーでありそのショーを生身の人間が肉体を使ってやっていることが素晴らしいのだ、といった一連のマンガが生まれていきます。先述したミスター高橋が原作をやった「太陽のドロップキックと月のスープレックス」、「任侠姫レイラ」、「肉の唄」など。それは必然として、っていうのはプロレスっていうのが関わる人すべてが書き手となって紡ぎ続けるジャンルであるからこそ、必然としてそういった作品群が生まれてくるのです。

 しかし。それで良いのか? その考え方って、なんかちょっと、最初から負けてねえか? 少なくともぼくは当時、すごく思っていました。確かに高田はヒクソンに負けた。でもアレクはマルコ・ファスに勝ったじゃないか。ショーだからすごい? そう思う瞬間も確かにある。でもプロレスの凄さって、そこだけじゃないんじゃないのか? ショーだとか、結末がどうとか、そんなことって言っちゃえばどうだって良いんじゃないのか?

 ジェントルメン中村「プロレスメン」はそういった歴史的事実を踏まえて、2011年に描かれた真っ正直なプロレスマンガです。そして相沢直「みっつ数えろ」も、そういった作品群を追いかけて書かれていくわけですが、もうね、長い! 長いよ文章が! というわけで、次回の更新に続きます。プロレスのこと考えると時間の流れが早くて仕方ないよ!

 それではまた次回。まだ「水道橋博士のメルマ旬報」読んでおられない方で興味もっていただいたなら、ご購読はどうぞこちらのページから。以上、「みっつ数えろ」第二・五戦の、お粗末ながら解説でした。エレガントに、さよなら。