ぼくらが投票に行く理由 〜選挙は昨日終わって今日はじまる〜

 2012年12月16日、第46回衆議院議員総選挙の投開票が行われました。結果についてはまあこういった結果なので、まあ皆さんこれを前提として各々が色々と頑張っていきましょうよという感じではありますが、それはさておき、今回の総選挙の投票率は59%前後で、これは戦後最低レベルだということです。

 選挙の投票率というのは様々な要因によって左右されるものですから、「戦後最低レベルだからまずい」というわけではないですし、もっと言えば「投票率は高いほうが良い」と言い切ってしまえるほど単純なものではないとぼくは思っています。特に今回の総選挙は、第三極というよく分からないフレーズが過剰に独り立ちしてしまったことや、判断基準とすべき政策をどこに置くか自体を国民各々が判断する必要もあったりしたりして、まあまあ面倒くさい選挙ではありました。「よく分からないから選挙に行かない」という理屈を、持つに足る理由が質も量もともに与えられていた選挙であったと言って良いかもしれません。

 しかし今回の総選挙は、少なくともインターネットのユーザーにとっては、史上最も「なんかみんな選挙に行け行け言っとんな」という選挙であったことは間違いないかと思います。特にTwitterがここまで普及して、選挙に関するツイートは何かしらの形で目に入る、原発に関するデモには行かずともそれは確かに行われており、その情報は意識して遮断しないのであればある程度手に入ってしまうわけで、そういった状況下で行われた、初めての選挙ではあったはずです。しかしそれは、選挙に行かない人が選挙に行く理由になっただろうか?というと、勿論そういった人も少なからずいたとは思うのですが、結果としてそれは大きな動きになることはありませんでした。

 それならば、Twitterをはじめとするインターネットツールで選挙へ行くことを促すことがまるっきり無意味なのか?って、そんなわけはないはずです。人間がやむにやまれず選んだ行為には全て意味が生じます。じゃあ、何が間違っているのか。要は、選挙期間中になって、選挙に行こう、なんて言ったって遅すぎるのです。選挙に行く人は、何も言われなくたって行きます。選挙に行かない人に、行く理由を提案すること、それをやらなくてはいけない。それは、選挙期間が始まってからとか、投票日数日前とか、そんなんじゃ遅すぎるのです。だって、そんなの、怖いですよ。急に言われて、政治に参加しろって、その一票が日本の未来を変えるかもしれないんですよ、そんなの怖いじゃないですか、行きたくないですよそんなの。ただでさえ面倒くさいのに。

 だから、選挙に行こう、とか、選挙に行くべきだ、とか、そんなことを言ってもそれは届く言葉にはならないわけで、じゃあ何をすべきか。それは、選挙に行ったことのない人や、選挙に行くつもりのない人に対して、具体的に、選挙に行ったことのある人間として経験上得たものを分かりやすく言葉にすべきなんですよ。「選挙に行かない理由」を否定するんじゃなくて「選挙に行ったほうが良い理由」を呈示すべきなんです。次の選挙のために。急に言われても困るだろうから、それをちゃんと言語化して、伝えていかないと、選挙に行く人と行かない人の溝は埋まることはないのです。

 なので今日は、ぼくの経験上、「選挙に行ったほうが良い理由」を三つほど挙げてみます。

 選挙に行くという行為は、政治について考えるツールとして有効である。

 これはとても有益なので、選挙に行ったことのない人には是非お薦めしたいと思っています。普段から政治的な活動をしていたり、政治について考えたりしている人はそれはそれで良いと思うのですが、普通の人は、あんまりそういうことを考えたりしないわけです。新聞も読んだりするわけじゃないし。原発デモとか、なんか怖いし。まあ本来、それで回るならベストでしょう。ぼくらが政治のことを考える代わりに政治家の人がそれをやってくれているから、政治家っていう職業がなりたっているとも言えます。ぼくらの税金は、ぼくらが政治のことを普段から考えなくて良いからこそ、政治家の飯の種になっているわけです。

 でもそれは、ぼくらと政治が否応なく乖離してしまうことを意味しています。それは、本質として、やっぱりあんまり良いことではない。政治家という職業の人たちは、ぼくらの代わりにぼくらがやるべきことをやってくれてはいますが、それは本来ぼくら自身がやるべきことだからです。であるならば、ぼくらはある程度には政治というものを自分たちの手のひらの中に置いておくべきであり、選挙というものは、それについて考えるきっかけを、ある程度の期間を置いてぼくらに与えてくれるわけで、それを活用しないってのは単純に損なことだと思います。

 原発とかTPPとか沖縄基地問題とか領土とか景気や増税だとか、そんなの、普段から考えてらんねえよ、って、その通りです。でも、やっぱり、本当はある程度個人個人で考えてないといけないことだったりします。選挙に行こうとすると、そのことを考えることが出来ます。試験がないと、勉強しないでしょ?って、それと同じです。そこで知ることはとても多いし、そんなせっかくの機会を逃してしまうのはもったいないんじゃないかって思います。

 なので「政治に興味がないから選挙に行かない」っていうのは、そうじゃないんです。「政治に興味がない」からこそ、選挙に行こうって思えたほうが絶対に得なんです。知らないことを、知ることができるから。そんな機会を与えてくれるきっかけって、学校出ちゃったらそうはないので、使ったほうが良いんじゃないかって思います。「政治に興味がない」って人のためにこそ、選挙という制度は存在しているのです。

 まああと「政治に興味がないから選挙に行かない」ってみんなが思っちゃうと、「政治に興味がある」って人たちの意見ばっかりが通るようになっちゃうので、そんなの気持ち悪いですよ。「政治に興味がある」って人、気持ち悪いでしょ? 「政治に興味がない」人が行くからこそ、選挙ってのは意味があったりするのです。

 選挙に行くと、自分が少数派 or 多数派であることに気付くことができる。

 選挙に行かない人は「選挙に行っても社会は変わらない」とか言ったりしがちです。で、まあ言葉は悪いけど、馬鹿か、って思います。幼稚園児か。お前の一票で社会は変わりません。当たり前です、そんなこと。社会を変えたいならもっと有益な活動方法はあるし、選挙に何を望んでるんだと。夢見がちすぎます。選挙というのは、馬鹿もかしこも屑もみそもくそも、一票は一票として扱われます。だから選挙というのは、ぼくらが衆愚の一員であるということの確認作業として存在しています。

 個人的な話にはなりますが、ぼくは選挙権を得て以来、小選挙区都知事選などで、自慢じゃないけど選んだ候補者が当選したことは一度としてありません。でもぼくは、ぼくの死に票に対して誇りと責任を持っています。選挙に行くっていうのはそういうことです。負けることもあります。ちょっと引くほどに負けたりします。でも、票を投じないと、自分が負けたことにさえ気付くことができないのです。負けるだろうなって思っていても、ちゃんとしか形で負けないと、人は負けていることに気付くことはできません。

 「選挙に行っても社会は変わらない」のだとしても、その一票が捨て票になるのだとしても、選挙は我々に、正しく負ける機会を平等に与えてくれています。そして、負けてからこそ、言える言葉が確かにあります。選挙に行かないということは、正しく負けることを放棄するということです。負けるために選挙に行くわけではありませんが、わざわざ選挙に行って負けるということで得るものは、わざわざ選挙に行かないと得ることができないものだったりはするのです。

 選挙に行くと、「選挙に行こう」って言ってる人の気持ちが分かる。

 今回の選挙では、Twitter上で、「選挙に行こう」的なことを結構色んな人が言っていたはずです。その気持ちは、選挙に行ったことのない人には分からないかもしれません。でもそれは、わりと切実な言説です。選挙に行く人は「選挙に行こう」って、選挙に行かない人に対して真剣に思っていたりします。

 それは実は、選挙活動ではありません。「選挙に行こう」って言っている人は、大抵「どこの党に入れよう」って言ってなかったりします(むしろ意識して、特定の党への誘導を避けようとさえしています)。それでもものすごく真剣に、選挙について考えよう、と思っています。なぜ、そんなことをするのか。それは、選挙に行かないあなたが、選挙に行く私と、地続きだからです。「選挙に行こう」って言っている人たちは、選挙に行かないあなたと、何も変わりはなく、でもやっぱり、というかだからこそ、選挙に行かないあなたにこそ、選挙に行ってほしいと願っているわけです。

 なんで、そんなことを言うのでしょう? それはたぶん、選挙に勝つとか、そういうことじゃないんです。すげえ馬鹿げてるし、信じられないほどに理想主義的ですが、たぶん彼らは、投票率が100%になれば良いと願ってるし、ルール上、それがフェアだって信じてるのですよ! 信じられないほど馬鹿げてる! でもそうなんですよ。「選挙に行こう」って言ってる人は、たぶん、対話をあきらめてないし、そうじゃないと、あきらめられないんですよね。正直なところ、もっと投票率が上がったら世の中はもっと悪くなるのかもしれないけど、でもそれならそれで、フェアだなって、そう思ってしまうはずなのです。

 長くなりましたが、終わります。第46回衆議院議員総選挙は昨日終わりましたが、次の選挙はもう始まっています。今日がどんな日であれ、いつだって、明日をあきらめるには早すぎます。