東京都健全育成条例改正案についての陳情書を書いて思ったこと

 東京都健全育成条例改正案というものが2010年12月現在、日本では色んな人から気にされていて、おおまかなところはこのまとめサイトとかを見ていただくと良いかと思うのだけど、まあ要は、ぼくらの大好きなマンガがお上の手によってよく分からん感じで規制されちゃう可能性がありますよ、基準も曖昧だからどうなるか分からないからすごく怖いんです、例えて言うなら漂流教室の用務員さんぐらい怖い、というようなことになっているのですね、今まさに。あんまり報道されないからマンガやアニメ好きしか知らないけど。

 まあ自分はいち読者にしか過ぎないからあれですけど、国友やすゆき先生の「新・幸せの時間」が規制されたりすると困るわけじゃないですか、色々と。条例が曖昧すぎるから「このエッチなシーンでのおっぱいが固そうすぎる」っていう理由で都からダメ出し食らう可能性もあるんですよね。「本当の乳首はこんなに細長くないから教育的な観点からふさわしくない」とかね。あと「2年ぶりぐらいで連載読んだんだけど全然ストーリーが進んでなくて衝撃」とか、まあそれはアクションの編集さんがなんとかしてくれって話なんですけども。色々と問題なんですよ、たぶん、実際そうなったら知らないけど、単純にマンガが好きだから怖いんですけどというのがあって。

 でも幸いにして日本は民主主義国家なので、陳情書を書いたり送ったり、場合によっては舌で舐めたりできるそうなので、ぼくもまあ書いたわけですよね。舌で舐めた上で。その文章が以下となるわけなんですが。

はじめまして。東京都杉並区の(本名記載)と申します。急ぎの件により、メールにての陳情となりたいへん失礼致します。
 
今年6月には東京都青少年健全育成条例の改正案否決、ありがとうございました。
今回新たな改正案が可決に向かっていることに危機感をおぼえ、陳情書を送らせていただきます。
 
条例改正案を拝見したところ、前回否決されてから以降の表現がたいへん曖昧であり、またこの改正案に関する議論が充分になされていない、あるいは都民に対してその議論の様子が見せてきていないという理由により、今回の本会議での可決は見送りとしていただきたく、陳情させていただきます。
 
性表現に関して、また暴力表現に関しての規制や考え方については、立場によって多くの意見があるかと思っております。
都議会で議論されている内容が全て否定されるものではなく、一考に価するものだと一都民として認識しております。
 
ただ、今回のような性急な手続きをとって条例を可決するという順序が、我々都民にとって、そして青少年にとって「健全」だとはとても思えません。
都議会の皆様がそれぞれのご意見を持たれているのと同様、私たち都民ひとりひとりもまた、それぞれの意見を持っています。
 
今回の条例案をめぐっては、数多くの漫画家、漫画関係者が、様々な意見を寄せており、議論も行われています。
彼ら全ての意見が正しいと主張するつもりはありませんが、少なくともいま現実として存在している市場で活動している彼らの、
場からの声を参考意見としてでも検討すべきではないかと考えます。
 
また、(大手出版社名)をはじめ、多くの出版社が都による不信感を表明しています。こういった表明が私たちの目の前でそのまま行われるということ自体、前代未聞のことなのではないでしょうか。
このまま彼ら漫画家や漫画関係者と一切の交流、意見交換の機会を持たずに都が主導で条例を可決させるということでいったい誰が得をするのか、この条例案がこのように性急な手続きにより議論なく進んでいくことに対して、大きな不安をおぼえています。
 
このような形で問題が多くの人々の共有することとなり、青少年の育成や性表現、暴力表現についての議論がなされやすくなったことは「表現」にとっては幸せなことだと思っております。
ですのでいま一歩この議論を、都議だけではなく、多くの都民で共有し、話し合っていくことができれば、より良い解決策が見出されると信じています。
 
漫画家や出版社による自主規制や自己検閲機能の強化など、まだ表現側がとっていない手法は数多くあります。
彼らとの話し合いにより、もっとより良い解決策を共に見つけ出すためにも、性急なご決断を今しばらくお待ちいただき、今回の本会議での可決を見送りとしていただくことを願います。
 
 
たいへんお忙しいなか、お読みいただきまことにありがとうございました。
今後とも、(都議の方のお名前)のより一層のご活躍をお祈り申し上げております。
どうぞお体にはご自愛くださいませ。

 というわけで、ここからは私見

 なぜぼくは、マンガに対しての規制に対して憤りを感じ、反対しなくてはならないのか。それは、マンガが自由だからだ。自由という二文字を表現に落とし込んだ唯一のメディアが、マンガだと思っている。何もない真っ白い紙に、世界がいちから描かれる。マンガとはそういう自由なメディアであって、言ってしまえば休み時間の落書きだ。読者は先生じゃなくて、隣の席の悪友だ。そいつを笑わせたくてノートの端に落書きをするのが、マンガの本質だとぼくは考えていて、だから単純に、マンガを好きじゃないやつらがマンガをどうこうするのが嫌だ。

 でも、事実として、世の中にはマンガ好きばかりがいるわけじゃない。誰もがマンガのことばかり考えているわけではない。だからこんな面倒くさいことになってしまってるんだけど、でもぼくがマンガから学んだ一番大きなことは、というかたった一つのことなのかもしれないけど、自由であって良い、ということだ。ぼくはマンガが好きだ。マンガの自由は守られるべきだと本気で信じている。でもだとすれば同様に、マンガ好きじゃない人の自由も守られるべきなんだとも思う。マンガの自由が守られるのと同じぐらいの真剣さで、マンガ以外の自由も守られていてほしい。ぼくはマンガの自由さをこそ愛しているのだから、マンガ以外の全てのものにも、同じくらいの自由さが与えられていないと、それはやっぱり間違っているんじゃないかと思ってしまう。

 今回の条例における問題は、マンガ好きな人とマンガ好きでない人がちゃんと話してこなかった、というその一点に尽きるとぼくは思う。今年の6月に「非実在」という言葉が一人歩きしてから今まで、ぼくらマンガ好きは、マンガ好きでない人と何かを語り合ったのだろうか? マンガ好きでない人たちが「近親相姦を描いた作品が普通に書店で売られてるのって怖い」って勘違いかもしれないけど思ったときに、ぼくらはマンガ好きとして何かを語ったんだろうか? 前回の条例が否決されてから今まで、都議会と出版社での話し合いは一度でも行われたんだろうか?

 もちろん、向こうのほうが悪い。話し合いの場なく進めてるのは向こうのほうだ。でもたぶん、今思えば、やり方はいくつかはあったんだと思う。大手出版社がアニメフェスをボイコットするという行為に対して「〜〜△(〜〜さんかっけー)」という表現を発露するなんて、その思想ってどっかの都知事と全く同じじゃないのか。違うだろ。出版社に取れる手がそれしかないぐらいに急に追い込まれたってのは分かる。でも、単純に事実として、アニメを愛する人とアニメを作ってる人が損してるんだよ。どこかの誰かに出会うはずだったアニメ作品が、出会うはずだったどこかの誰かと出会えてないんだよ。戦時中か? 平時だろ今は。勝ち負けじゃない、というか両方負けてるんだから、もっとうまいやり方があったんじゃないんだろうか、って哀しむってのが当たり前のあり方なんじゃないのか。アニメとかマンガが、作品が、俺らの個人的な気持ちでどうこうされるなんて、本当はあっちゃいけないことなんだよ。

 明日の本会議でどんな結論になるのかを、今のぼくは知らない。でもぼくは、マンガの底力をあくまでも信じている。もし負けたとしても、その負けでマンガが手にするものは、大きいと信じる。勝ったとしても、負けたとしても、マンガの人々は誰かを責める前に自らを省みるのが仕事だ。ぼくらは沢山の愛すべきマンガを読んできているから、彼らよりも豊かな人生を送ってきている。だとしたら、これは戦争なんかじゃない。ぼくらがマンガから教わったことを彼らに教える、これはただの愛だ。

 全てのマンガからぼくが受け取った愛を、マンガを愛したことにない貴方にこそ送りたいんだ。