The Very Best of Hello! Projectライナーノーツ1/4

 先日2枚組アルバム「The Very Best of Hello! Project」のセットリストを書いたが、そのライナーノーツをちょっとずつ書いている。まずは6曲。言うても結構魂遣って書いてるというか、魂遣わないと書けない内容なので、少しずつ更新していきます。

This is 運命

 もしもこの曲を聴くことがなかったら、相沢はその人生の中でアイドルを愛する経験を知らなかったかもしれない。それはつまり、相沢が今とは違う人生を歩んでいたかもしれないということだ。その人生はもしかしたら今よりも幸せな人生だったのかもしれないが、そんな幸せなだけの人生を選ぶつもりなど毛頭ないのだと胸を張って言えるほどの誇りと自信を、この曲は与えてくれる。

 たった一言で言うならば、アイドルとは気が狂うことを許してくれる装置である。メロン記念日の4人がはすを向き、順にこちらと目を合わせ、強迫的なビートの高まりとともに、どうする、どうする、この先どうする、の「る」の部分で気が狂う。狂った自分を見てメロン記念日の4人が笑ってくれるというその奇跡こそが、アイドルという体験である。

 こうしてメロン記念日の4人は見えない指揮棒を振り、相沢の人生を運命づけたのだった。ライブでこそ聴いてほしい一曲である。

ポップコーンラブ!

 恋をしている女の子が、恋をしている楽しさを歌っただけのそんな陳腐な一曲が、どうしてこんなに泣けてしまうんだろう? 日本には、モーニング娘。というポップソングを歌うグループがいて、そのグループはあまりにも優秀なポップソングを歌っていた時代があったのだという事実を証明する上で、歴史に遺さなければいけない一曲だと言って過言ではない。

 最初から最後まで楽しいことしか歌っていないにも関わらず、この曲にはどこか不安と哀しみがある。本当にそう思ってるのか? 今はそう思ってるとして未来はどうなんだ? アイドルという存在の根源的な不安と哀しみを表現した名曲である。

 一段落目から「今宵は」という意識しておちゃらけたフレーズをつんく♂が挿入したとき、この曲は歴史に遺る一曲になった。女の子はいつもそうだ。女の子はいつも嘘をつく。女の子はいつも切ないんだ。

恋人は心の応援団

 カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)による2枚目のシングル。

 モーニング娘。というのが既存のアイドル概念に対してのアンチとして誕生したユニットである以上(というか有史以来、全てのアイドルは既存のアイドル概念に対してのアンチとして誕生するわけだが)、さらにそのアンチであるモーニング娘。が現役で大活躍している以上、アンチ・アンチ・アイドルとしての存在を余儀なくされたユニット、それがカントリー。娘であって云々……。

 とかなんとかいう小難しい面倒なことも、「♪なんて直接顔見て言えない」というワンフレーズによって全て消し飛ぶ。すなわちアイドルとはアナーキズムである。かつて前田日明は「猪木だったら何をやっても許されるのか!?」と世間に問いかけたが、何をやっても許されるから猪木は猪木なのであり、「アイドルだったら何をやっても許されるのか!?」答えはYESだ。胸のトキメキは全てに先立つ。

ロボキッス

 ハロプロがどうとかアイドルがどうこう言う以前に、21世紀を代表すると言って差し支えない名曲。この時代にハロプロを愛した全てのヲタどもが、好き嫌いは別として明らかに何かを考えさせられた一曲であり、実際のところこの曲のリリースによりハロプロの一つの時代が終わったんだろう。その次の時代がアリだったかナシだったのかは個人の判断に委ねるとしても。

 歌詞を読み返しても、まったくもって意味が分からない。だからと言ってメロディやアレンジが素晴らしいのかと言えばこれといってそうでもない。

 だがこの曲は間違いなく、この時代の辻ちゃん加護ちゃんにしか歌えない歌だった。だからこの曲はあらゆるハロプロの楽曲の中でも、一番正しくアイドルしてる楽曲である。この曲を踊る辻ちゃん加護ちゃんの動きを思い返すたびにちょっとだけまぶたの奥が熱くなるってことは、つまりダブルユーはまだ自分の中で生きている。自分が死ぬまでダブルユーが死なないってことがどれだけ素敵なことなのか、それを理解できるのは、アイドルを愛した人間の特権であり同時に義務だ。

 ロボキッス、って単語を発するだけで泣けてしまう。そんな単語はちょっと他にはないのだった。

恋をしちゃいました!

 曲タイトルが「恋をしちゃいました!」である。ということはつまり、この曲は、ひとりの女の子が恋をしちゃったという報告である。そんな報告が不特定多数のリスナーの心をつかんで離さないっていう事実がすでに素敵すぎる。アイドルは単体ではアイドルたり得ない。誰かの視線があって初めてアイドルはアイドルになることができる。だから「俺」がいないとアイドルはアイドルではなくて、タンポポタンポポではない、それは「俺」に生きていく価値が与えられたということに他ならないのだから、つまりアイドル産業というのは、救いである。

 一人の女の子がデートをする。その最初から終わりまでを描写したこの歌詞は、限られた世界でありながら、それでいて明らかに永遠を感じさせる。この曲が100年後にも遺っていればいいと思う。2001年、タンポポつんく♂とともに生きた同時代の人間として、この曲のリリースは100年後の未来人に対して胸を張って自慢できる。この曲がアイドルソングの最高峰だっていう意見を認めない人間を、ぼくは軽蔑するだろう。あとPVの矢口さんの可愛さがちょっとこれ異常すぎるんですけど!

大切

 藤本美貴「ブギートレイン'03」のカップリングである。この曲に至るまでの藤本美貴ソロの楽曲というのは本人の歌唱力もあいまって全てが名曲としか言い様がないわけだが、この曲を初めて聴いたときの衝撃というのはちょっと筆舌に尽くしがたいものがある。

 元カレに電話で、いま自分がちゃんと恋ができているということを伝える曲だ。そんな大喜利のお題に対して、こう来るか、という、ネタバレを控えるために詳細はあえて記さないにせよ、この歌詞を書いたつんく♂御大には参りましたとしか言えない。まだこの曲を聴いたことのない人は幸せである。まずは聴いてほしい。そして聴いたあと、すぐに停止ボタンを押して5分ぐらいは考えこんでほしい。

 つんく♂って男は、3分11秒のこの曲の中に、一人の女性の一生を詰め込んだ。寺田のすごさを語ろうとするなら、まずはこの曲を聴いてくれと言うだろう。明らかに天才である。



 というわけで、とりあえず6曲。続きます!