久保ミツロウ「モテキ」 〜(Cherry)Boys are (Cherry)Boys〜

 久保ミツロウモテキ
 ISBN:4063522784

 そもそも、童貞っていうのは何?っていうと、これは「女性の膣に男性器を挿入して射精した経験がない男性」ってことでは全然なくて、童貞っていうのは状態っていうか生き方だと思うんですよ。だから女性と何人やろうがやるまいが、そいつの生まれもった&育んだ資質によって、童貞は童貞であり、Cherry Boys are Cherry Boysなんですよ。

 いまWOWOWでROCK IN JAPANを見ながらこれを書いているんですが、女とやった経験があろうがあるまいが、ROCK IN JAPANに自分の金を使って行くような奴なんてのは、もう童貞じゃないよ。童貞はROCK IN JAPANには行かない、っていうか、女性を抱いたことのない中学生男子でも、ROCK IN JAPANに行きたい!って言って行っちゃう男はその時点で童貞を捨てている。死ぬまでバンドTシャツを着て過ごして幸せなんだったら、そのまま幸せに生きて行けばいいんだと思う。

 だけどちゃんとした童貞っていうのは、何人女性の柔らかい肌に触れたとしても、永遠を誓った女性と添い遂げると決意して籍を入れたとしても、死ぬまで童貞なんですよ。それは昔の自分がどうこうとかではなく、誰かと一緒にいて幸せな自分っていうのを疑う、っていう姿勢、生き方、それが童貞なんだから、結局どんな女性と結婚しても死ぬまで不安だし、そもそも誰かのために生きるとかそんなの無理じゃん? 自分のことが大好きなんですよ、それは言い訳じゃなくて、理想としての自分が大好きなんだから、死ぬまでピーターパンですよ。もしかしたら死んでからもそうなんだけど。

 でもそれって、男とか女とか関係ないと思うんですよね。ぼくは映画の「アイデン&ティティ」における麻生久美子の存在っていうのがすごく釈然としなかったんですけど、それは要するに、「いやこういう都合の良い女は確かにいるかもしれないけど絶対そんなやつはドブスに決まってんだろ!」っていう、あれなんですよ。分かりますか? 自分のことをちゃんと理解してくれて愛してくれる人が自分にとって完璧な女なわけないんですよ。だって自分が糞みたいな人間なんだから、糞を愛してくれる人は糞であるべきじゃないですか?っていう、その思考回路が、童貞っていう生き方だと思うんですよね。

 久保ミツロウはネットでのインタビューで「商業童貞」に関しての意見を言ってるんですけどでもそれってやっぱり現役の童貞生からしたら全然同調できなくて、みうらじゅんってのは童貞のふりした非童貞かもしれないけど、伊集院光ってやっぱり童貞だと思うんですよね。結婚してようがしてまいが、やってることやってようがやってまいが。伊集院光は「童貞の気持ちが分かる」なんてことを全然主張したことはないはずだし、永遠の弱者だと思うんですよ。「結婚してもこうなんだぜ」なんてことを伊集院は絶対言わなくて「結婚してもこうなんだけどそんな俺って間違ってんの?」っていう自分に対しての不安をいつも面白く表現してくれるから俺は伊集院光のことが大好きだし、そういう意味でみうらじゅんのことは信用できないんですよね。

 だから結論を言うと、俺はいつかちゃんのことが好きだけど、たぶん俺のマンガ読み史上一番好きな女子って言っても過言ではないほど好きだ。俺はいつかちゃんのことを愛してる。でも主人公がいつかちゃんと添い遂げることによって幸せなハッピーエンドを迎えることになったら、それはもう、俺としてはモテキの最終巻を焼いて捨てるしかないと思うんですよね。だって童貞は童貞なんだから、本当の幸せなんて絶対に手に入らないわけでしょう? だとしたら俺は主人公といつかちゃんのハッピーエンドを全力で阻止したい。頼むからぐだぐだした終わり方であってほしいと心の底から願う、初めてのマンガです、自分にとって「モテキ」とは。

 結論。恋に恋する男子は思春期であり、愛に恋する男子は童貞です、死ぬまで。そして恋するものが何もない男子がリア充です。恋してる自分をちゃんとごまかせたら童貞は治るんだけど、そんな人間になんてなれないしなりたくないぜ! SA・YO・NA・RA!