山本弘「アイの物語」

「ヒントぐらいくれ。その候補者に選ばれる資格は何だ?」
「物語の力を知っていること」
「物語の力?」
「フィクションは『しょせんフィクション』じゃないことを知っていること。それは時として真実よりも強く、真実を打ち負かす力があることを」

 仮想現実とかタイムリープとか記憶改編とか、そういった類いのお話は全て、青春、ってキーワードがどこかに隠れてる。というか、隠れてなくちゃいけないんだろうと思う。

 青臭い理想論がそこにはある。この世界は間違ってるんじゃないか、という疑念。むしろ、この世界は間違っているべきだって確信と言ったっていい。それが個のルサンチマンによるものだとしても、俺が死ねばこの世界はなくなるのだから、この世界は俺のものだっていう主張に対して間違ってるなんて誰が言える? それは中二病なんかじゃない。正しくなくても真実ではある。

 でもだからと言って人は誰もが殺し屋になれるわけじゃないから、物語に自分の思いを託す。だから全ての物語は、世界を変えるために生まれ、消費されれば良い。それは諦めではなくひとつの処世術だ。世界を諦めずに、どうにかこうにか世界を愛して愛されていくための、物語はひとつの武器なんだろう。

 感動するために生きているわけじゃないが、生きているなら感動するのが当たり前だ。