メロン記念日、って言葉のあんまりすぎる正しさにぼくは今日も驚いている

 ちょっとうっかりすれば、あけおメロン、なんて言い出しかねない。1月も8日の朝だが、いまだにメロン記念日によるカウントダウンイベントでの衝撃を忘れられない俺がいま、会社にいる。あの日のzepp nagoyaにはメロン色の神風が確かに吹いていた。私たちはその突風に吹かれるがままだった。風は確かに正しく吹いていたから、そしてこれから先もずっと正しく吹くのだから、ぼくらはもう迷わずにすむだろう。正しく生きよう。正しくあろう。そう決めただけで、ほんのそれだけで、生きていくってことに対してこんなにもワクワクできてしまうだなんて、メロン記念日が教えてくれたことじゃなかったら、ちょっと信じられない(真夜中の会議と同じぐらいに)。

 2009年がはじまるその瞬間を、あの4人の、女の子って言うのはちょっとはばかられるぐらいの年齢の、全員の歳を足したら100歳を超えてしまうそんなアイドルグループと、そしてそのアイドルグループを見つめる心優しき道楽者たちと、その空間を全てひっくるめてメロン記念日というのならば、相沢は2009年1月1日の0時0分0秒、確かにメロン記念日であった。あーもう、いま思い返しても驚いちゃうけど、2009年のいちばん最初に聴いた音楽がメロン記念日の唄う「お願い魅惑のターゲット」だなんてそんなことがあり得ちゃうんだから人生はやめられないよ。そんな正しい世界なんてどこにもないもの。

 メロン記念日は正しい。あの名曲の歌詞を借りるなら、いつだって彼女たちは「シャンとしてる」のだ。そこが良いんだ、本当に。彼女たちが自分に、あるいはメロン記念日ってものに対して正直に、正しく生きようと生きるから、俺はメロン記念日が大好きなんだ。2009年の最初の最初の瞬間を、こんなに正しいものにしてくれちゃって、いやもうまったく何て言っていいのやらってやつだ、とんでもないことだ。あけましてありがとう。2009年は正しく生きよう。メロン記念日とぼくとの、それが約束だ。

 柴田あゆみの牛の着ぐるみ姿の殺人的な可愛さは、大谷雅恵の息を呑むような尋常じゃない歌のうまさは、村田めぐみの荒削りだが光るものがありすぎる立ち居振る舞いは、斉藤瞳の親戚レベルだったら絶賛されるぐらいのほどほどの書道の腕前は、自分にとっての神そのものだ。相沢は2009年正月、zepp nagoyaにて、メロン記念日神社に初詣をしました。これは夢ではなく、全てが全てほんとうにほんとうのことなのですよ。