マッスルハウス5観戦記 〜自由と不自由のあいだで〜

 2008年1月3日、後楽園ホールで行われたマッスルハウス5を観戦する。観戦って言葉は戦いを観るって書くわけだけども、ああこりゃ確かに観戦だわと、観戦そのものなのだという恐るべき内容で、とにかくあの場に立ち会えたことを感謝したい。テレビで見たり、伝え聞いたり、そういった形ではたぶん伝わらない種類の衝撃だった。目の前の、石を投げれば届くぐらいの距離にいる現実の男たちが今まさにあれをやった、ということが重要だったのかもしれない。それはたぶん、人生を観るということなのだ。

 事の顛末は以下のまとめサイトに詳しいため一読をどうぞ。いつもお疲れさまです! リンク先ならびに以下の文章ではネタバレがありますので、ネタをバラされたくない方は読まずに捨てるか目を潰してください。

 マッスル観戦記INDEX
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 マッスル初の生中継。ということでヒール転向や2面リング、ネットへの展開やプロレス学校などの笑いに溢れた試合やスキットを経て、興行終盤、事態は風雲急を告げる。アントンと趙雲の卒業志願。鈴木みのる、高山の登場。そして726の奥さんの死という、これら一連のあれこれを見て思ったのは、ああそうだなあ、ぼくらは結局のところいつまでも自由と不自由のあいだで生きているのだし、そこで戦っていくしかないのだなあ、ということだった。

 そもそも全てのスポーツってのは、不自由との戦いである。肉体がそこにあるということ、肉体を使って動かなくてはいけないというそもそもの不自由さ。筋肉の限界。体力の限界。あるいは重力の存在があり、空間と時間の制約があり、さらにはスポーツのルールというものがそもそも不自由なものだ。全てのアスリートはその不自由さと戦う。がちがちに固められた不自由さの中でいくばくかの自由を獲得するという、それがスポーツの醍醐味であり、一流のアスリートの美しさだ。

 プロレスはもちろんスポーツなどではないが、しかし肉体を使って何かを見せるという意味においてその不自由さは変わらない。ぼくらは結局かめはめ波を撃つことは出来ない。突然身の丈3メートルの大男になれるわけではない。プロレスラーは自分の肉体のみを使って戦わなくてはいけない。不自由だ。しかも不平等ですらある。だけどそれでもプロレスラーは戦う、どんな小男であってもリングの上ではアンドレに勝つことを信じて戦うのだ。その不自由との馬鹿げた戦いこそが、プロレスなのだと言っても過言じゃないと思う。

 しかも、忘れてはいけない。プロレスはスポーツじゃない。試合の結末はすでに決まっているのだ。戦う前から勝者は決まっている、あるいは結末に至るムーブまで決まっていて、試合後のマイクパフォーマンスだって台本に書かれている。これを不自由と言わずして何と言えばいいのか? だけどプロレスラーは戦う。目前の相手とだけではない、試合の結末が決まっているという不自由さと、試合を組み立てなくてはいけないという不自由さと、観客を楽しませなくてはいけない不自由さと戦う。あるいは自分の小さな体という不自由さと、技を受けるたびに心が折れそうになるという不自由さと、痛みを感じる肉体の不自由さと戦う。

 たったひとことで言うならば、プロレスラーは、自分がいま現在プロレスラーであるという不自由さと戦うのだ。なんていう馬鹿者だろう!

 でもそれは、ぼくらとまったく関係のない世界での戦いってわけではない。プロレスラーでない人間だって、人生というリングの上では、自分がいま現在人間であるという不自由さと戦っているのだ。少なくとも、戦っていかなくちゃいけない、本当は。目をつぶることは出来るだろう。戦っていないふりをすることも出来る。だけどちゃんと目を開いてみれば、人生は不自由で溢れている。自分のだらしなさとか、弱さとか、かっこ悪さとか、逃げ出したくなる気持ちとか、無力さとか、あるいはそう、大切な人の死だってそうだ。あらゆる場面に不自由は待ち構えている。全てに勝つことは出来ないのかもしれない。もしかしたら全部負けてしまうのかもしれない。だけど、戦うことはできる。カウントが3つ入るまで試合は続くんだし、だとしたら何度だって立ち上がれば良いのだ。

 726は確かに戦った。何度も立ち上がった。負けたけど、でも、そんなことはたいした問題じゃない。726は確かに戦っていた。そしてぼくらは、いつだって726を目指すことが出来るのだ。自由はそこにある。手を伸ばせば届く場所だ。そうやってぼくらは、結局のところいつまでも、自由と不自由のあいだで生きていく。

 2008年1月3日の午後10時前、イージュー・ライダーに合わせて手拍子を打った。あの手のひらの心地よい痛みだけは、一生忘れずに取っておきたいと願う。726、マッスル坂井、並びに全てのマッスル関係者と、あの日後楽園ホールに転がっていた全ての自由と不自由に感謝と愛を。頑張ろうぜ、人生!