ReadMe!に捧ぐ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071119-00000921-san-bus_all

 嘘だと思うならお前の祖父さんにでも聞いてみればいいが、あのころ日記を書いていた奴らをつかまえてみろ、それでいくらかの小銭を渡してシャツをまくらせればきまってその右腕には<ReadMe!>と大きな焼印が施されているだろう。その焼印に鼻を近づければ糞の臭いがする。だがその臭いは彼らの誇りであり、自分の糞がほかの誰にも似ていない自分だけの糞の臭いを放つべく彼らは生き、また死に、いずれにせよ日記を書いていた。

 日記圏やテキスト庵なんて恥ずかしくてたまらなかった。冗談じゃねえ! 俺たちはReadMe!だ! 俺を読め、というそのものずばりなネーミングがたまらなかった。俺たちはReadMe!だ! 読んでほしいなんて思わせぶりな態度を取らない俺たちだからこそのReadMe!だ! でもバナーはあまり見えないところにこっそり貼ってそれが俺たちのプライドだったんだ、そうだろ?

 HTMLタグを必死で手打ちして日記を書いていた。毎日書いた。毎日毎日、bodyタグを開けたり閉じたりした。brタグは一行改行でpタグは二行改行。hrタグは便利だ。uタグは使わないがiタグはメールフォームの返信のために使う。だが開いたタグは閉じなくてはいけない。全ての日記はタグによって閉じられているから、俺は俺のbodyタグの中で、お前はお前のbodyタグの中で、誰に気兼ねすることもなく好き勝手やれたんだ。それが日記というやつだった。

 世の中には幸せになれる人間と幸せになれない人間がいると信じてやまず、そんな妄言を信じるような奴だから大抵自分は後者に属すると決めつけ、右耳でフリッパーズギターを聴き、左耳でモーニング娘。を聴き、両手でタイプした日記を世の中にばらまいた。もちろんそんなことはない、幸せは正しい努力と正しい諦めに比例して手に入れることができる。だけど日記を書く人間にとって幸せは0か100しかなかった、ひどい勘違いだ! 何だ、ただの童貞じゃないか!

 本当に馬鹿な役立たずだった。日記。日記時代。俺が親ならぶん殴ってでも止めるだろう。だけど俺は俺の親ではないので、俺は俺の日記時代を後悔することはない。ともすればあの日記時代こそが俺の青春だったのではないか?とまで思うが、もし万が一そうだったとして、だから何だと言うのか?