産む機械

 女性を「産む機械」とうっかり表現してしまった大臣はやはり罰せられなくてはならないのだろうか? 私たちはなぜ、どんな根拠があって、彼を罵っているのだろう? 彼は本当に、そんなに悪いことをしたのか?

 柳沢の本性が、女性をマシーンとしてしか認めない卑劣な男根主義者だとしよう。それはこっちも認める。申し訳ない。彼は性根の腐った男根主義者である。しかしだとしても、男根主義者であるという彼の特性は、大臣としてふさわしくない、と国民によって認定されるほど重大な欠陥なんだろうか? 例えば彼が本当はものすごく『仕事のできる男』であって、男根主義者であるという以外は完璧な人間であり国がスムーズに動くのだとしても彼はやはり辞任すべきなのだろうか? 頑張ってここまで上り詰めた男だ。タフガイである。セックスは下手かもしれないが、機械相手にクンニの必要などない。しかしペニスは固い。だからつまり、彼はただの男根主義者なのだ。

 彼は、女性を産む機械であると考えている、それは信念である。ここまで差別的な考えを表明しておいて、失言でしたと逃げられるほど世間は甘くなく、おそらくこれは彼の本音なのだろう、女性器にはツバでもつけておけば充分! 女性ってのは動くペニスホールにすぎないんだから、下の口だけ開けていればいいんですよ! なまじ上の口がついているからいけない。女性の歯なんてフェラチオの際に邪魔になるだけなんだから全部折るべし! そのほうがバキュームフェラの効果が上がって一石二鳥だ! よし、今から法案を通せ、いや、待て、その前に美人私設秘書を呼んでこい、ちょっとだけ、毒を抜いてもらおうじゃないか!

 話がそれた。つまり柳沢のこういった信念は、果たして非難するに足る理由なのだろうか、ということを言いたかった。男根主義がどうということではなく、より広くこの問題をとらえて、人の持つ信念がなんであれ、その信念が間違っているからという理由で人を非難しても良いのだろうか(信念に対して間違っているか否かという問いが成立すると仮定しての話だが)? 確かにこんなことを人前で口にしてしまうというのは政治家として明らかに足りていないわけで、そんな人間がろくな仕事などできるわけもない、だから今すぐ政治家をやめるべきだ、というロジックは理解できる。俺もそう思うし柳沢はやめるべきだろう。だがその理由が、彼が男根主義者であるという信念それ自体であっていいのだろうか?

 彼の、政治家としての行動が誤りであったとき、はじめて彼は政治家の道を閉ざされるべきなのではないか。信念それ自体を評価の判断材料とするのではなく、彼の行動や業績のみを評価の判断材料とする考え方もあってはいいのではないか? 目に見えない信念などを判断のよりどころにするのは間違っているのではないか? 何故ならば信念を評価の判断材料としてしまうような社会では「メロン記念日は素晴らしいので皇族に迎えられるべき」とか「全国民は前田日明が望めばいつでもフェラチオに応じなければならない」という、少数派しか支持しないであろう信念を持つ自分のような人間が生きにくいからであります! 多数決反対!

 ……と考えてはみたものの、しかし「アイドルヲタは全員キモいから死ぬべき」とか「将来的に著作権を侵害するかもしれないピアノは店から撤去すべきa.k.a.田中俊次」などの信念を持った人間に政治家でいられるのはさすがに困るので、やはり信念それ自体も評価基準でなくてはいけないんだろうか? しかしそれにしたって「ゾウさんはキリンさんよりも可愛い」という信念は、それ自体では評価基準にはなりえないだろう。その違いってのはどこにあるんだろうか? そもそも人はどんな信念を持とうと自由である、という前提は正しいのか? 政治家は、というか人間は、考えちゃいけないことは考えちゃいけないんだろうか? というようなことを思いました。いずれにせよ柳沢さんは頑張ってください! あと石原は顔がむかつくから早くやめてください!(=優しい顔の人しか都知事になるべきではないという信念)