日記の夢

 たった今、時島さんから日記で批判される夢を見ました。吉田さんや青山さんは日記もレスも面白いのに相沢はまったく面白くない。という意味合いの日記を書かれました。時島さんは「相沢Uzeeeeeee」とまで書いていて、もちろん時島さんはそんなにひどいことを他人に直接言うような人ではありません。しかしその時島さんがそんなにひどいことを書くというのはよっぽどのことではないでしょうか? 本田さんに電話しようかと思いました。もちろん本田さんに電話したところでどうなるというわけでもありませんが、もう、一人でいるのは苦しいと思ったのでした。武藤さんがいたころなら武藤さんに相談していたかもしれません。それはしかし、もしもの話ですのでめったなことは言えませんが……と、ここまで読んだ皆さんの中で、高木さんのことを思い出した方がいらっしゃるかもしれません。何を隠そう相沢もその一人です。このあいだ八木さんと話したときも、高木さんの話題になりました。高木さんは、元気でやっているそうです。

 今日の日記で言及した人の中で、相沢が実際にお会いした人は一人もいません。実際、本田さんや武藤さん、高木さんや八木さんにいたっては、そんな名前の知り合い自体いないわけですが、しかしだからと言ってこの日記が否定される必要はない。時島さんと本田さんは、相沢にとってぜんぜん違う種類の人物です。相沢は時島さんのことを日記を通じて知っていて、時島さんの日記はとてもとても面白いと思っていますから、時島という名字は相沢にとって意味をもった名字ですが、本田さんという人物を相沢は知らない。というか存在していない人物を想定して、その名字がたまたま本田さんだったというだけですから、本田という名字は相沢にとって意味をもった名字ではない。でも、この日記を読んだ人にとっては、時島さんも本田さんも同じだ。時島さんが本田さんであっても良いし、本田さんが時島さんであっても良くて、勝手に交換することができてしまう。

 全ての名字を交換することが可能だとすれば、全ての事実はを交換することは可能なのか? 時島さんから日記で批判される夢を見たという事実がほんとうであれ嘘であれ、それは書き手にとって重要なだけであって、読み手にとってはそうではない。時島さんから日記で批判される夢をぼくは確かに見ました。目がさめたら体じゅう汗でびっしょりで、トイレで少し吐きました。相沢の意識の中で日記というものがかなり高い位置に置かれているということを示すエピソードです。でもこのエピソードがほんとうか嘘かということは、実際あなたにとってはどうでも良いことであって、あなたにとってどうでも良くないことは、このエピソードを聞いてあなたが何を思ったかということです。書き手がとても大切に思っていることが、ほんとうでも嘘でも良いというのは、嘘を書いてもいいという意味では希望ですが、ほんとうのことを知ってもらえないという意味では絶望です。

 上記エピソードを聞いて「ああ、相沢さんはとても日記が好きなんだな」と思っていただいたかたには申し訳ありませんが、目がさめたら体じゅう汗びっしょりで少し吐いたというのはまるっきりの嘘です。つまりそういうことです、夢を見たところまでは確かにほんとうなのですが、そんなことはあなたにとって関係がない。夢を見たところまでは確かにほんとうだというのだって嘘かもしれない。確かにほんとうなのですが……。そうだとすれば問題は、嘘を書いてもいいという希望と、ほんとうのことを知ってもらえないという絶望を両手に抱えて、ぼくはあなたに何を伝えるべきだろうか?ということです。日記に何を書くかということは実際とるにたらないことであって、日記を通じて何を伝えるのか? 日記を読んでどう感じてほしいのか?ということを、我々は第一に考えなくてはいけない。メロン記念日について書かれた日記をメロン記念日を知らないかたが読むとき、メロン記念日が実際に存在するアイドルグループであっても想像上の生き物であっても変わりはないということを、もっと真剣に考えなくてはいけない。

 色々と難しいことを書いてしまいましたが、こういうことを、本気で思っているわけではありません。ぼくがいま思っているのは、今日は祝日なのに仕事があって嫌だなあ、ということだけです。あとは全部嘘です。もちろんそんなわけはなくて、今日は本気で思っていることを書いたわけですが、それが嘘であったってあなたにとっては問題ないということです。日記に事実は存在しない。日記に存在するのは事実ではなく、真実だけです。と、ここで日記が終わるととても美しい日記になるのですが、こんなものはかっこつけた言葉遊びでしかないので、最初から書かなければよかったと思っています。