恋と愛2007

 2007年にもなって「あけましておめでとうギャグ」を言おうとは思わない。日記との付き合いもかれこれ6年から7年になり、相沢にとっての正月はもはや特殊な出来事ではない。来年の正月も相沢は日記を書くだろう。そして再来年も、その次も、その次も。書くかどうかは別にしたって、インターネットで日記を書ける環境はおそらく確実に存在していて、だから今年わざわざ肩肘を張る必要などないのだ。相沢と日記の関係は、もはやそうしたアグレッシヴな、浮浪者のカップルが行うセックスのような激しいものではない。

 対象との未来をより強くイメージできることにより、対象との関係性はより自然なものに、不自然でない方向へと傾く。そのことによって得るものも多いだろうが、同時に失うものだってやはり多いのであって、それは恋が愛へ変わるようなものだ。恋が対象の過去ごと全て奪い去ろうとする企てならば、愛は対象との未来をともに想像する心優しい営みである。人は恋をしたとき、その恋を愛へ変えようと努力をするが、恋が愛へと姿を変えたときにはじめて失ったものの大きさに気づくだろう。

 隣の芝は青いとはよく言ったものだが、とかくこの世は青い芝ばかりだ。私たちはいつだって幻滅する。幻滅、幻滅、権藤、幻滅、そしてまた権藤。会いたいと思った人に出会えば幻滅し、やりたいと思ったことをやってみればまた幻滅する。憧れのサイト管理人と出会って失望した経験があなたにはないとでも言うつもりだろうか? かつて相沢は「ナフ周辺」と呼ばれるおもしろ日記コミュニティを尊敬と羨望のまなざしをもって見つめていたものだが、実際に出会ってみて、彼ら全員が40才近い中年であったという事実を知って愕然としたことがある。知らないほうが良い事実、首をつっこまないほうが素晴らしい世界は、やはり確かに存在している。愛に変えるべきでない恋は、確かに存在する。

 恋が愛へと変わったとき、繰り返すが、そのとき失われるものは想像よりもずっと多い。その恋があなたにとって本当に大切なものならば、その恋を愛へ変えようとすべきではないだろう。恋が破れたとき、その恋は死ぬわけではない。永遠にあなたの中で生き続けるだろう。だが恋が愛へと変わってしまったとき、その恋は確実に死ぬのだ。そしてその恋は決して甦ることがない。あなたが心に隠し持つ恋のときめきを、美しさを、完全性を信じるのであればその恋を愛へと変えてはいけない。私たちは憧れのアイドルと結婚すべきではないのだ。それはどうしたって、恋に対する侮辱というものだろう。

 だけど人は、それでも恋をすれば、その恋を愛へ変えたいと願う。恋をする人間はみな揃いも揃って欲張りだし、向こう見ずで、何も考えることのできない大馬鹿ものばかりなのだから。だから結局のところ恋を愛へ変えるべきでないという金言は、真理であっても実現にはほど遠く、老人からの忠告と何も変わるところはない。私たちはいつだって恋をして、その恋をうっかり愛へと変えてしまい、後悔してもあとには何も残らない、つまりは何もかもを失い続けて生きるほかないのだ。恋はそのようなものとして常に私たちを打ちのめす。前置きが長くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 お餅を食べすぎないようにネ!(笑)