ミラーボールの下ぼくら

 まずはじめに、相沢はメロン記念日を愛しているのだと言っておきたい。全ての相沢の間違いはそこから始まっているのだし、しかし同時に、全ての相沢の正しさもそこから始まっているのだ。ロマンティックすぎるだろうか? しかしそれぐらいが丁度いい具合なのではないか。メロン記念日に関するあらゆる公的な文章は、メロン記念日を知らない者のためにこそ書かれるべきだ。もちろんこの文章だってメロン記念日を知らないあなただけのために書かれていて、だからまずは言っておきたい。メロン記念日は最高だ。早くコンサートを見てくれ!

 そんなわけでメロン記念日のクラブイベントであるところのMELON LOUNGEに出向いたので記す。

斉藤さん(黒っぽいダンスチューン)

 一人だけTシャツをへそまでまくり、あり得ないほどのローライズで踊り狂っていた。もはや「陰毛が見えそう」どころの騒ぎではなく「膣が見えてしまう」のではないかとこちらが心配になる。「斉藤さんの膣が見えてしまう!」 結果としては斉藤さんの膣は見えなかったのだが、しかし斉藤さん本人が膣のようなものであるのだから話はそう変わらないだろう。これは一切の嘘いつわりなく全面的に褒め言葉だ。失敗はあったが、四人の中でDJテクニックは一番上だったのではないか。心ないファンなら「DJが趣味の彼氏と付き合っていたのでは?」と下衆らしく勘ぐるところだろうが、相沢としては「普段はアルバイトで立ちんぼをしている斉藤さんだが、その客(東南アジア人)がDJである」という説を強く推したい。あり得ない話ではないぞ!

柴田さん(K-POP

 何百人も集まった客の前で延々自分の好きなK-POPをかけ続けるという行動、それを奇行と呼ばずして何と呼ぶのか? 完全に頭がおかしいとしか言えないが、そんな柴田さんの両肩をつかんでこう言いたい。「君は合格だ!」 狂ってこその人生であり、狂ってこそのアイドルではないか! アイドルが狂っているからこそ客である私たちも狂う権利を与えられるのだ。しかしこんな言葉も、柴田さんの耳には届かないだろう。なぜなら彼女は、さいぜんからずっと覚えたてのスクラッチを繰り返しているから。柴ちゃんのひとつ覚え、と呼びたい。この夜だけで一生分のスクラッチを聴いた気がする。

大谷さん(レゲエ)

 この日クラブasiaには明らかに限度を超えた客が入っていて、文字通り阿鼻叫喚であった。冗談などではなく本当に怒号が飛び交っていて、まさしくasiaの真ん中で人々が愛以外のものを叫んでいたわけだが、その叫び声を愛そのものに変えたのは大谷さんだったと言えよう。直前、係員により「定位置で見るように」とのお達しがあったわけだが、その「定位置」という言葉の持つ面白さに気付き、そして彼女は「定位置」という言葉を何度もリピートする。観客をほっとさせ、落ち着かせ、それは絶対に大谷さんにしか出来ないことだった。そのポテンシャルの高さは一体何だ? サンプラーで銃声を出しながら客を空気銃で撃つという遊びなども含め、まさしく大谷ワールドだった。一生付いていきたい。死ぬほどかっこよかった。

村田さん(爆笑ソングの数々)

 葉っぱ隊をかけるというその感覚は一体何だ! かつてトンガリキッズという名のラップグループが日本にはいたのだが(年少の方には分からないかもしれないが確かにいたのだ)、彼らよりも遥かにトンガっている。そしてあの「バンバラバラ、エンバーオエーラ、エーエエラ、バンバーオエーラ」という、なんかサッカーっぽい曲がかかったときには腹の底から笑った。世の中のあらゆる天才の中でも群を抜いて天才である。なんでこんなに面白い人がアイドルを生業にしているのかが分からない。カルマだろうか?

掟ポルシェさん(ヲタ)

 白目をむいてのダンス、最後の運命でのはっちゃけっぷりなど、八面六臂の大活躍であった。その場にいる全員が全員メロン記念日を愛しているという思い、勿論それは錯覚なのかもしれないが、だから何だというのか? あの熱がそうさせたのだ。言い訳さえあれば我々には何だってできる。ちゃんと生きるということは、たぶん本気で言い訳を探すということだ。だから人生とは旅であり、旅とは人生である。あと掟ポルシェさんは顔と芸風がFUJIWARAの藤本さんに瓜二つすぎる。

総括

 メロン記念日のすごいところを一言で言うとしたら、ってそんなもんは無理な話だが、ある程度まで無理を通して道理を引っ込めるとして、それはスケールの巨大さだ。会場が小さいからとか、地下すぎる感じとか、新曲が一般に流通していないとか、そんな話はしていない。主語がメロン記念日である以上、そんな話にはならない。あまりにもメロン記念日は大きいのだから、我々はそんな瑣末なことに思いをめぐらせる必要などなくて、ただただその場を楽しめば良いのだ。

 事実、メロン記念日のメンバーがファンの方を向きすぎているという考えはあるだろう。コンサートのMCで新しいお客さんを想定していない発言があったりとかってそういうことだ。その考え方は分かるが、しかしメロン記念日のすごいところというのは、おそらく武道館に立ったとしてもそういう発言をするだろうということだ。これはすごいことだ! 武道館に立っておきながら彼女たちは言うだろう。「ずっと応援してくれてありがとう」とか「これからも今までと同じようによろしく」とかそういうことを! 武道館のMCと中野サンプラザでのMCが一切本質として変わることはないだろう、と感じさせる。そのスケールの巨大さこそが、メロン記念日なのだ。

 なぜか? それは「メロン記念日」が、あの四人だけを指す言葉ではないからだ。明らかに相沢は「メロン記念日」に含まれる。誰もが。会場に足を運んだ誰もが、CDを買った誰もが、メロン記念日と呼ばれている彼女たち四人を愛している誰もが「メロン記念日」に含まれる。人だけではない。あの瞬間。あの空気。あの場所すべてが「メロン記念日」に含まれる。そのスケールの巨大さがすなわちメロン記念日なのであり、だからメロン記念日は地球であり宇宙だ。俺の胃袋は宇宙ではないが、メロン記念日はまごうことなき宇宙である。

 私たちは踊る。延々踊り続ける。彼女たちが自分の出番を終えてもバックステージで楽しげに踊っていたように、私たちも踊り続ける、ぎこちないかもしれないが、それは私たちの踊りなのだ。冒頭でも記したように、これはメロン記念日を知らぬ者のために書かれた文章だ。あなたは「メロン記念日」では未だない、だがいいかげん時も時だ、そろそろ一緒に踊らないか? なにせ宇宙が待っている。

 俺たちのダンスホールは宇宙だ。