オシム記念日

 オシムっちが代表監督にほぼ決まってるらしいという話をきき、ジェフサポである相沢としては非常に頭が痛い。正直なところ代表の試合やワールドカップの素晴らしいプレーを見ているよりは、例えば後半ロスタイムまで延々走り続ける羽生の姿を見ているほうがずっと楽しく、ずっと魅力的で魅惑のターゲットなわけで、オシムのいないジェフをどう応援したらいいのだろうか? どのような形でジェフを好きであればいいのか?

 ジェフを好きになって分かったことは、人は何かを好きになろうと思えば好きになることができるということだ。別にジェフじゃなくてもよかった。穴があれば誰でもよかった。どこかJのチームを好きになろうと思い、それでたまたま選んだ相手がジェフであったってそれだけのことで、ジェフのことをどんどん好きになる。佐藤勇人に抱かれたいとまで思える。「楽しもうと思えば楽しい」って言葉があるが、「好きになろうと思えば好きになれる」ってのはちょっとした真理だ。

 アイドルにしたって同じことで、たぶんキッズを好きになろうと思えば好きになれる。だけど、本当にそうなのだろうか? メロン記念日お願い魅惑のターゲットを聞いて体がビクッ!とするあの感じと、羽生の泥くさいプレーを見たときの感動と、その二つは一緒にされていいのか?

 たぶん、一緒にされていい。それ自体に問題はないのだが、そこには絶対に必然性という問題が現れる。必然性とは何か? それは結局のところその人自身の人生である。その人が背負ってきた人生が「わたしが好きであるべきものを決める」といって間違いない。相沢の人生において残念ながらキッズを好きになる必然性はなくて、一方でメロン記念日を(そしてあるいはカントリーなどを)好きになる必然性があるからメロン記念日を好きになったのだ。ストッパー毒島の三条をどうしても好きになってしまう相沢だからこそ、メロン記念日を好きになった。

 ただし必然性なんてまったく適当なもんで、好きになればそのぶんだけ必然性が生まれる。メロン記念日を好きな自分を肯定するために、ますますメロン記念日が好きになる。そんなもんだ。そんな適当の連続で人生は続く。結局のところ「好きだから好きなんだ」としか言えないアイドルファンの悲劇は、我々に一生ついて回るのだろう。