愛のバトンに関して

 愛のバトンを渡してから、はやひと月が経とうとしていた。時の流れとはおそろしいものだ。皆さんの愛に関する様々な考察を読み、そして思ったのは、他人の愛に口だしなど出来ぬということである。よその方々の愛に対して「それは違うと思いますよ」などと言えるわけもないし、さらには「私もそう思います」と言うことさえはばかられる。愛は増殖するものだが、決して交わるものではないような気がする。例えばそれは、ヲタ同士が同じ方向を見てオイオイと言う状況はあり得るが、ヲタ同士がヲタ同士として愛し合うことが決してないようなものではないか? 全く違うだろうか?

 それはともかく「女王の教室」が面白い。残虐な女教師がいたいけな小学生を虐めるような話なのだが、この設定はかなり秀逸である。その設定があるだけで私たちは「ガンバレ小学生たち!」と常に思えるのであって、言ってみればおしんだとかかつて(戦後)の少女コミック的なベタさではあるのだが、そのベタさはやはり物語装置として非常に有効であり、いや、すまん、そんなことはどうだっていい。とにかく主役の志田未来さんとお姉ちゃんの夏帆さんがあまりにも可愛い。特に志田未来さんは、両親がケンカを始めたらわざと水をこぼして自分から叱られるといういたいけさで、女の子に「優しさ」だけを求めているといっても良い自分は感動したのだが、女の子に「優しさ」だけを求める人間は気持ち悪いかな?

 ただ一点、一点だけ、「女王の教室」は本編が終わってからそのまま天海裕希がスタッフに向かって「お疲れさまでした」的な舞台裏を映しつつ、そのまま皆でエンディングテーマに乗せてダンスをするという演出になっているのだが、それはどうなのかという気がしないでもない。「天海は最低の女だ!」と立腹させながら一週間を待たせてほしいと思うし、そういうメタっぽい手法は分からなくもないがしかし、メタで終わるっていうのはどうなのか? そのメタがさらに大きな物語に組み込まれるのならば分かるけども、やはり一度語った以上は延々語り続けなければいけないのではないかという気はする。みつまJAPANの「まあそんなことどうでもいいんですけど」が面白いのは、「どうでもいいんですけど」の後にさらにどうでもいい話を紡ぐからであって、面白い話をした後に「まあどうでもいい話でしたね」というようなことを言うみつまJAPANがいたとすれば、そんなみつまJAPANを愛することは出来ない、絶対に!

 絶対に、だ!

 あと「女王の教室」は学園ドラマをDV化したドラマだと言って良いと思うので、DVに悩んでいる主婦の方々は見ればいいと思う。がんばれ! お母さんたち!