ポップジャム感想

 ポップジャムメロン記念日肉体は正直なEROS」について記す。相沢はメロン記念日が好きすぎて、好きすぎて吐き出しちゃう、ほど好きな人間であるためその旨を念頭に置いていただきたい。つまりこれから書くことは酔っぱらいのたわごとのようなものであるが、しかし酔っぱらいだからといって宇宙の真理を見抜けないということもあるまい。

 まずは感想を述べる。素晴らしかった。最高、と一口で言うにはまだ早いが、しかし至る所に「最高」のエッセンスが詰まっていた。特に柴田さんは本当に素晴らしい! あの表情と動き…表現のしようもない…まさしく「夕焼け空に しゃんとしてる 一番星のよう」だった。自分は自分のやってきたことに誇りを持っているのだ、と感じさせる真っすぐな瞳をしていたと、そう言えるのは相沢がWOTAだからなのだろうか? そうではないと信じたい。柴田さんがメロン記念日にいるという事実は、ああ、なんと素晴らしいことか!(もちろん他のお三人様に対してもそう思い続けているため嫉妬は禁物だ。俺のせいでメロン記念日のメンバー間に溝を作ることは避けたい)

 正直なところを言えば初見では「なんだ、言うほどエロくねえじゃねえか」と思ったのは事実だ。しかしその考え方はもちろん本質から遠く遠く遠く離れている。エロいかエロくないかは結果であって本質ではない。肝心なのは『彼女たちがちゃんと自分たちの戦いをしていた』という、すまん、少し泣きそうだ、しかしその素晴らしい一点につきる! メロン記念日メロン記念日としてメロン記念日の戦いを戦っているという素晴らしい光景がそこにあったから、相沢の心は震え感情が激したのだ!

 相沢は、そしてこれを読んでいる皆さんもそうかもしれないが、ときに思う。「おいおい、この戦いは俺のものではないぜ」 仕事で、大学で、日々の生活で苦しいことや悲しいことに出会うたびに思う。「一体誰がこんな戦いをおっぱじめやがったんだ? どうせならそいつに戦わせればいいじゃないか」 そしてあまつさえこんなことまで! 「いいさいいさ、こんな戦いはどうせ俺のものじゃあないんだ、いっそ投げてしまおう。そして俺はいつの日か、俺の俺による俺のための戦いを始めればいいんだ」

 しかし、断言する! 『いつの日か』などという未来は決してやっては来ない! そんな都合の良い、メルヘンチックな出来事は『俺』の身には起こらない! 馬鹿か! あまりにも間が抜けすぎている! そうではない、そもそもの考え方が間違っているのだ。どこの誰に押し付けられた戦いであれ、それは『俺』の人生に降り掛かってきた戦いなのだから、それはやはり『俺』の戦いなのだしそうでなくてはならないのだ。『俺』の人生において起こる全ての戦いは『俺』の『俺』による『俺』の戦いであって、だから『俺』は『俺』のやり方で『俺』の戦いを戦わなければならない。言ってしまえば、その戦いこそが人生そのものなのだ!

 これはメロン記念日への擁護などでは決してない。彼女たちはEROSを「やらされている」わけでは絶対にないのだ! これはメロン記念日への賞賛である! 仮にきっかけがおっさん♂の適当な思いつきであったとしても、その戦いを自分たちの戦いにして、自分たちの戦いを自分たちで戦ってくれるからこそ、メロン記念日は素晴らしいのだ! 娘。たちだってそうなんだろう? 少なくとも彼女たちが言い訳をするようには思えない! 全てを自分たちの戦いにするからこそ彼女たちは素晴らしいんじゃないのか? 柴田さんの澄んだ歌声に、大谷さんのバカな動きに、村田さんの優しい笑顔に、斉藤さんの真剣なまなざしに「自分たちの戦い」への意志を見いだしたことがないとしたり顔で言うのならば、そんな戯言は犬にでも食わせておけばいい!

 だからどうか「見たくない」などと悲しいことは言わないでほしい。これはメロン記念日メロン記念日の戦いを戦っている姿なのだ、他に何か見るべきものがあるだろうか? 君が考える「戦い」にメロン記念日を押し込めてはいけないのだ。繰り返すが、メロン記念日の戦いを、メロン記念日が戦っているのだ! これは君の戦いではないのだから君のちっぽけな悲しみなどは必要ないのだ! たとえメロン記念日がフルヌードになったとしても、あるいはスカトロビデオに出演したとしても、それがメロン記念日の戦いなのであれば見つめなくてはならない。それがメロン記念日WOTAとしての『俺』が戦うべき『俺』の戦いのひとつであると『俺』は本気で信じているのだ!

 狂っているのだろうか? これは精神異常者の論理なのだろうか? そもそもこんな長文を最後まで読む暇人がいるのだろうか? しかしこれだけは言わせてくれ! メロン記念日はやはり素晴らしいと! そしてどうか、新曲を買ってください……メロン記念日の話ができる友だちがほしいです……よろしくお願いします……。