矢口さん

 八王子の彼女たちがどんなに良かったとしても、素晴らしくても、そして残された彼女たちが「あの人のことを忘れていい」という免罪符をくれたとしても、やはりそこに乗ることはどうしたって出来ない。残された彼女たちを応援するということはつまり、矢口さんの喪失を認めてしまうということだ。こんなわけの分からない喪失を自堕落にも認めてしまって、それで何事もなかったように残された者に声をかけてって、果たしてそれはどうなのか。ポジティブにも、ネガティブにもなれない。ただずっとうじうじしている。

 自分はメロンヲタでしかないから、こんなことを思うのは筋違いなのかもしれない。でもやはり「残された彼女たちを応援する」とか「がんばれ新リーダー」とかポジティブに言ったり書いたり、あるいは「矢口は責任を取れていない」なんて正論を口にする人を見るたびに、ああ、そうなんだろうなあ、そうなんだろうけどなあ、としょんぼりする。そんなことは出来ない。だってそれは、あまりにも人として正しすぎるじゃないか。そんなに正しいことが出来るくらいならば最初っからヲタになんてならないし、こんな暗い生活送ってないし、日記書かないし、友だちいっぱいいるし、でもそうじゃないんだし、だからずっとくよくよする他ない。

 矢口が数日で辞めると決断した(少なくともそう発表された)のが間違っているのと同様に、この状況に対して今現在答えを出すのは間違っているのだろうか。ずっと一人で考えなくてはいけないのだろうか。やぐちひとりを見るたびに、どんと憂鬱な気分に陥らなくてはならないのだろうか。正直言って、今は可愛い女の子なんて見たくない。つんく♂の言葉だけがただ欲しい。つんく♂が「応援したってや」と言えば応援するし「矢口、それはちゃうで!」と言えばそれに乗る。つんく♂だけが正しい。この汚らしく狂った世界でただつんく♂の言葉だけが正しくて、それは本当にそうだと思うから、つんく♂が死んだらとても悲しいと思います。