メロン記念日とW

「パレード」というこの言葉の持つ魅力とは何だろう? 練馬駅前の公園には「自分がこの治安を保つ」という誇りに溢れた人々で文字通りむせかえるような熱気で「あの階段で撮影している奴らは何だ?」「我々が注意すべきではないか?」と言葉にして確認しあう様子は心底恐ろしい。柵が用意され、その中に入るよう叱られた。メロン記念日をまったく知らない中年の女性二人組が相沢の隣に並んだが、一人は疲れた様子で「もう帰ろうよう」「帰ろうよう」と呟いている。その目は明らかに「練馬の狂人」という風情であり、春であった。

 メロン記念日の四人が、自分のいちメートル先を歩いていった。メロン記念日が公園を出て、ついに練馬の街を練り歩くのである。凄まじい光景であった。500人はいたんじゃないかと思うが、そのヲタらが、メロン記念日を中心に据えて衛星のように回って歩く。それはそれは楽しい。横一列になって歩くメロン記念日、大谷さん、柴田さん、斉藤さん、村田さん、その横で相沢はつかず離れず歩幅を一にして歩いた。楽しかった。どうだ!という感じだ。練馬のみんな、どうだ!という何か誇らしげな気分であった。

 その後、ヲタの方とドトールで数時間お話をさせていただいた後、Wのミュージカル公演へ。いや素晴らしいなんてものではなかった! 相沢は何度も泣きそうになった。ミュージカル、というものが既に涙を誘う。あれはすごい。辻ちゃんのキレキレの動きを君は見たか? 信じられない! それぞれのマイクをお互いの口に差し出して! なぜそれが感動的なんだろう? たった二人でこの世界と戦う二人! Wは素晴らしすぎる。見て良かった。

 客観的に見ても、今回の「観客の反応で物語が変化する」(例:犬がヲタの声援を受けて生き返る)という趣向は実は非常に面白いのではないかと思う。コドモ的だ。「ぼくの何かによって何かが変わったよ!」という仮面ライダーの屋上ショーにも似た試みは、子供っぽいがゆえにかなり根本的な「おもしろさ」に関わっているのではないか。根本的な「おもしろさ」。女の子が歌い踊るという行為こそがまさしくそれだ。ハロプロは46人全員でミュージカルをやってみたらどうだろうか? 体験だけがそこにあるような、存在としての歌、存在としてのダンスが見たい、それも46人が一斉に! その幕が落ちたとき相沢は笑顔で死ねるだろう。いつだって死ねる! いま相沢の命があることは果たして幸せなのか不幸せなのだろうか?