三年目の純愛 〜2011年DDT両国大会観戦メモ〜

 プロレスってものを一言で表すなら愛って言葉になるわけだけど、それはプロレス者にとっては当たり前すぎる話で、プロレスを観ない人にとっては当たり前じゃなさすぎる話で、だから難しい。でもやっぱり三年目のDDT両国大会には当たり前のように愛が溢れていて、だからぼくはDDTっていう団体が好きなんだ、ってそういう話。

 ここしばらくのDDTの興行の充実っぷり、特に無差別級ベルトを賭けたメインの確実に予想を上回ってくれる安心感は、確実にディック東郷という超人の存在とともにあった。こんなこと、書くのも恥ずかしいぐらいに当たり前の話だけど。でもまあ、事実としてそうだ。特にディック東郷がベルトを巻いてから敗れるまでの数ヶ月、ぼくはほとんどディック東郷を観るためだけにDDTの興行に足を運んでいた。その数ヶ月間でぼくは、孫に延々自慢できるぐらいの素晴らしいプロレス体験を手にすることができたし、それは事実として確かなことなのだ。

 そんなディック東郷は、DDTにとって夏の恒例行事になりつつある両国大会を前にして、国内活動を引退してしまう。これは切ないことではあるが、喜ばしいことだ。海外でプロレス放浪の旅をするという、あまりにもディック東郷らしい夢をディック東郷自身が叶えようとしているのだから、こんなに素晴らしいことはない。でもそれはディック東郷を今後DDTの興行で観ることができないということを意味しているわけだから、それはそれで、やっぱりわりと切なかったりもする。これは、ぼくらの気持ちの問題でしかないんだけど。

 で、今年の両国大会。ディック東郷が、出場するんだ、この興行に。汁レスラーの肛門を爆破する役として。ゲバラのTシャツを身にまとって。今日行われる試合の紹介をするオープニングVTRに、バズーカを持ったディック東郷が出演している。こんな素敵な話はちょっとないし、俺はもう号泣していた。そこに意味なんてない。でも、ディック東郷がここにいてくれて良かった。心からそう思った。そしてDDTの中の人の誰かが、ディック東郷がここにいたら良いなあ、って思ってくれたであろうことが本当に嬉しかったのだ。自分がディック東郷を愛してた気持ちが、分かち合えたって、独りよがりかもしれないけどそう信じられた。結局、愛が報われるためには、愛をもってでしかあり得ないのだ。気持ち悪いけど、でもしょうがない、そういうもんなんだから。

 この、無駄に愛が溢れちゃう感じこそがDDTっていう団体だって思ったし、だからすげえ良いなあ、ってやっぱりすごく思いました、ってそういう話です。

 そしてその愛という観点から、メインについても。ぼくはKUDO選手も大好きですが、敗れた石川選手のことやユニオンプロレスのことはそれ以上に大好きです。実際、あの試合でどっちが強かったかって言えば、明らかに石川選手のほうが強かったと思う。でもやっぱり、あのスタイルで、チャンピオンとして両国のメインで戦うのはどう考えたって分が悪すぎる。もちろん石川選手は色んなことを考えてそのうえであそこに上がってるわけだけど、石川修司っていう人間の本質的な優しさは、リングの上でもっと表現されて良いと思う。DDTの両国大会だから難しいのは重々承知してるけど、でも、もっと分かりやすい愛の出し方はあるはずで、ぼくは石川修司に完全に期待してるからこそ、もっと上があると思ってる。強いのは分かってる。外敵としては非の打ち所がない。でもチャンピオンとしてメインに上がるなら、石川修司の本質の中で、さらけ出してない部分があまりにも多すぎる気がする。

 石川選手がもっとうまいこと愛を表現できてたら絶対KUDO選手に負けてなかったから悔しい!って、延々思ってて、でもそれはやっぱり、DDTが愛を根底の概念として持ってる(って俺が思ってる)からこそなんだろうなあ、ってそんな感じです。メインで石川選手が負けた瞬間に「ふざけんな!」って怒りのあまりその時点で席を立とうとしちゃって、この気持ちって前にもあったなって思い返したら、1年目の両国でHARASHIMA選手が飯伏選手に負けた瞬間と完全に同じ気持ちだった。そして人生は続く。そのようにして、プロレスも、続いていく。たぶんね。