ミサワ

 週プロモバイルを見れば、2009年6月13日、NOAH、広島県立総合体育館小アリーナ興行の試合結果速報にはこう書かれている。

 GHCタッグ選手権試合(60分一本勝負)
<王者組>B・スミス&○齋藤彰俊(27分3秒、TKO勝ち)三沢光晴●&潮崎豪<挑戦者組>
※レフェリーストップ。第17代王者組が3度目の防衛に成功

 こんな当たり前のような試合結果を見て、実はこの試合で三沢が死んだんだよ、って言われて、そんな実感のない話もそうそうないだろう。メインで、ベルトのかかった試合で、ファンの前で死んでいくなんて、プロレスラーの人生としてあまりにも出来すぎている。しかもその主人公がよりにもよって三沢光晴だなんて、プロレスの神様はどんだけ分かりやすいブックを書くんだって話だ。

 会場からは、動かなくなった三沢に対して、ミサワコールが送られたそうだ。たぶん全員が全員、死ぬ気で声をからしたんだと思う。そして全員が全員、絶対に三沢は立ち上がってくれるんだって、心から信じていただろう。三沢は何度でもそうしてきたから。何度も何度もカウント2.99で三沢は肩を上げてくれたし、そのたびにぼくたちは床を踏みならした。

 それなのに昨日はたまたま、三沢はうっかりTKO負けを喫してしまい、残念ながらベルト奪取には至らなかった。おまけに死んでしまったりとか、本当にどうかと思う。せっかくミサワコールが起こってるのに、立ち上がらずにそのまま天国プロレスへ移籍してしまうなんて、ちょっとNOAHファンの心情を無視しすぎなんじゃないか。

 だけど、それでも俺は、2009年6月13日に広島県立総合体育館小アリーナで起こったミサワコールに意味や価値がないなんて絶対に思わない。そんな哀しいストーリーは、プロレスの世界には必要ないから。自分へのコールを受けながら死んでいくなんて、プロレスラーとしてそんなにおいしい話はないんだから、きっと天国プロレスにおける三沢光晴の活動において、あのミサワコールは何度も語り継がれるエピソードになるんだろう。

 天国プロレスのリング上で、ジャイアント馬場とタッグを組んだ三沢がアンドレ&ブロディ組と戦うときにも、橋本真也と一緒になって力道山木村政彦組を相手にまわすときにも、三沢にだけはあのミサワコールが聞こえるだろう。それで三沢は、何度でも立ち上がるだろう。ミサワコールはそのとき初めて三沢光晴のストーリーの一部になり、井上義啓はすごい名レポートを週刊ファイトに掲載するだろう。だから三沢光晴には、これからも頑張ってプロレスを続けてほしい。今はたぶん疲れてるだろうからちょっと休んだほうが良いと思うけど。

 プロレスラーがこんな死に方をして冥福できるわけないだろうと俺は思うから、三沢の冥福を祈ることなんてできないししたくない。その代わりと言っちゃあなんだが、プロレスラー、三沢光晴選手の今後の活躍を、心の底から応援しています。ミサワ、負けんな!って。