我闘雲舞にとって2014年4月6日とは何か 〜あるいはプロレスにとって観客とは何か〜

 この景色を、いま自分の目に映る全てを、ずっと忘れることが出来なければ良いのになあ、と思っていました。ぼくは泣き虫だからプロレスを観戦しながらしばしば涙にくれるのですが、それでもやっぱり、この日の涙はちょっと特別なものでした。自分の涙ごしに見えるリングが、凛々しく飾られたタイと日本の国旗が、そしてもちろんそこにいる全てのプロレスラーが、きらきらと輝いていました。2014年4月6日、我闘雲舞北沢タウンホール大会で、ぼくはそれを見ていました。

 我闘雲舞というのは、前も書いた通りさくらえみという人がタイで旗揚げをしたプロレス団体です。なぜ、タイなのか。理由はよく分かりません。さくらえみさん本人も、未だによく分かっていないそうです。なぜか、タイだった。強いて理由を挙げるなら、そこにプロレスがなかったからかもしれません。タイにはそもそもプロレス団体が存在しておらず、プロレスという文化もそれほど浸透していません。タイの人たちにとって、プロレスというものは、何だかよく分からないものなのです。その国で、さくらえみさんは、我闘雲舞というプロレス団体を旗揚げしたのでした。

 タイにはプロレスラーが一人もいません。そりゃそうです。プロレスがそもそもないのですから。その国でさくらえみさんはプロレスの試合を行い、タイの人たちにおそらく初めてとなるプロレスを観せ、プロレスを体験させて、何人かのタイの人を、プロレスラーにしてしまいました。プロレスを好きな人をプロレスラーにしたのではありません。プロレスを知らない人にプロレスを教え、プロレスラーになろうと思ってしまうほど、プロレスを好きにさせたのです。さくらえみさんは、嘘や夢じゃなく実際に、現実で、そんな無茶なことをやってしまったのでした。

 そして2014年4月6日。我闘雲舞北沢タウンホール大会のメインのリングに、彼らが立ちました。タイという国におけるプロレスの歴史の、最初のページにその名前が書かれる5人のプロレスラーです。ブルー・ロータス。ペパーミント。E.K.バギー。P-Nutz。ゴーレムタイ。対戦相手は、さくらえみさん率いる5人の日本のプロレスラーたちです。チーム名は、さくらジャパン。現時点で、タイで最強のプロレスラーたち、これから先も未来永劫、ずっとタイという国で語り継がれる伝説のチーム、タイオールスターを、さくらジャパンが迎え撃ちます。

 最初に入場したのは、タイオールスターでした。その5人は、自らのリングネームが書かれた幕をその手に掲げ、誇らし気に、実に凛々しく、自分たちには恐れるものなど何一つないのだと言わんばかりに、何かを叫んでいます。その言葉の意味は、ぼくには分かりません。ぼくはタイの言葉をほとんど知らないから。だけど、その5人が叫んでいる、それだけは分かります。彼らは、彼女らは、何かを必死で叫んでいる。それでもう、本当は、ほとんどのことがぼくたちには分かっているのです、きっと。叫ばなきゃいけないんだ。叫ぶんだ、人は。プロレスラーは。それだけ分かれば、もう、それでいい。そして日本を代表する、5人のプロレスラーがその姿を現します。

 彼らはタイの選手たちに、いちからプロレスを教えた、言わば先生たちです。だけどもちろん、その目は生徒を見つめているわけではありません。さくらジャパンの面々の目に映っているのは、自分たちの教え子ではなく、タイという国の中で最強の名を欲しいままにする、5人のプロレスラーなのですから。そりゃ強いに決まってます。なぜなら、プロレスをまったく知らないところから始めて、遠い異国の北沢タウンホールのメインイベンターになるまでのプロレスラーたちなのですから。強い気持ちは、人を強くします。さくらジャパンの全員もプロレスラーなので、そのことをよく知っている。だから、これは真剣勝負です。どちらも負けられない、国と国との対抗戦なのです、この試合は。

 さくらジャパンの選手が一人ずつ登場し、名前を呼ばれ、そして最後に、リングアナウンサーが声を響かせます。「さくらえみ組の入場です!」と。そのとき流れたのは、さくらえみ選手の入場曲ではありませんでした。我闘雲舞という団体のテーマ曲です。The Bandman’s Kindのその曲のタイトルは「新世界」と言います。そう、確かにこれは、新しい世界です。誰もこんなものは見たことがない。その曲は、我闘雲舞という団体のテーマ曲でもあり、そしてまた、今この瞬間を表すテーマ曲でもある。この試合で、絶対に流れなくてはいけない、この曲は、そんな曲なのだと、気付いた瞬間にぼくは泣きました。

 その涙は、涙腺からではなく、かっこいい言い方をしてしまうなら、ぼくの魂から込み上げられる涙でした。魂が吠えている。あるいは、ぼくの身体を形作る、全ての細胞が、叫んでいるようでした。なぜこれほどまでに涙が溢れて止まらないのか。よく分かりません。だけど分かります。リング上に立つ10人のプロレスラーの姿をぼくは見ている。ぼくはそれしか見ていない。それなのに、それ以上のことが、分かってしまう。その想い。その歴史。その歓び。全部が分かる。事実として正しいかどうかは知らない。だけど、分かってしまう。ぼくの魂が、ぼくの細胞が、目には見えないものと確かに共鳴していて、そこからはもう、試合が終わって選手が客席に握手をしに来てくれるまで、ぼくは大げさじゃなく泣き続けてしまう。2014年4月6日に行われた我闘雲舞北沢タウンホール大会は、ぼくにとって、そんな興行だったのです。

 プロレスにおける真理の一つに、こんな言葉があります。「リングの上で起こることが全てだ」と。それは嘘ではないし、ぼくもそう思っています。だけど、実は、その先にはまだ言葉が続くのです。それはぼくが「水道橋博士のメルマ旬報」で連載している「みっつ数えろ」という創作の中で、3月25日に配信された回に書かれています。プロレスをまだあまり知らない瞳という女の子が、プロレスファンが自分の考えた理屈や想像を信じて喜ぶ姿を見て不思議がります。そんな彼女に対して、年期の入ったプロレスファンである西園寺という男は、こう言ってくれました。

西園寺「日々野瞳さん、でしたかな。まだ分からないかもしれない。ですが、きっと分かる日が来ます。なぜなら、これがプロレスの本質の一つだからです」
瞳「プロレスの、本質?」
西園寺「そう。プロレスとは、確かにリングで起こることが全てです。だが同時に、『全て』などでは足りないほど、プロレスは奥深い」
瞳「『全て』などでは足りない……」
西園寺「だからこそ、我々観客がそこにいるのです。それは、プロレスが要求するから。リングで起こったことに、例えるならば、かけ算をする。それが我々観客の、(頭を指差して)ここと、(胸を拳で叩いて)ここなのですよ」
  瞳、聞き入っている。
西園寺「つらいこともある。悲しいこともある。それを頭と心で乗り越えて行く。それは、レスラーにも出来ない、観客の特権なのです。プロレスファンはそうして世界の見方を学んでいく。そう。プロレスには『全て』以上のものがある。だからこそ、私たちは、プロレスを見続けているのでありましょう」

 プロレスは、リングの上で起こることが全てです。だけどその先の言葉がある。プロレスは「全て」では、まだ足りないのです。だからぼくたち観客がいる。ぼくたち観客は、プロレスを選んでいるのではなく、プロレスから選ばれている。プロレスにとって必要だからこそ、ぼくたち観客は、会場に呼ばれているのです。

 プロレスラーは、どんなに感動的な試合をしても、どんなに血と涙を流しても、残念なことに、自分自身の試合を観ることができません。だから、彼らの代わりに、誰かがその瞬間を見届け、その感動を享受しなくてはならない。その誰かこそが観客なのです。観客がプロレスを必要としているのではない。プロレスが観客を必要としている。ぼくたちはプロレスを観るとき、往々にして、救われていると感じる瞬間があります。それは、ぼくたちがプロレスから必要とされているからです。お前はここにいていいんだと、ここにいてくれと、好きで好きで仕方のないプロレス自身が、そう言ってくれる。そんな素敵な共犯関係が、プロレス会場には存在しています。

 だからこそ、ぼくたち観客は、自分自身の目で、自分だけの目で、プロレスを観なくてはなりません。リングの上で起こることが全てだと、それで終わらせるのではなく、心と身体と魂を使って、その向こうを観ようとするのが観客の役目です。

 この日、タイオールスターの選手たちは、さくらジャパンを相手にして、ひるむことなく見事に闘いました。我闘雲舞に所属する、里歩選手、帯広さやか選手、ことり選手、北沢ふきん選手は、さくらえみ選手ではなく、ブルー・ロータス選手にコールを送り、リングのエプロンを何度も叩いていました。その音は遠いタイまでには届かなくても、ブルー・ロータス選手の今はもちろん、彼女これまでとこれからを、そしてタイからやって来た5人のプロレスラーを、あるいは彼らにプロレスを教えたさくらジャパンの全員を、いやいやそれでもまだ足りない、2014年4月6日、我闘雲舞北沢タウンホール大会でこの試合が組まれるまでに起こった全ての思いつきと勇気と行動と偶然と必然を、そしてこれから起こる全ての思いつきと勇気と行動と偶然と必然を、つまりはこれまでに当たり前のように起こって、そしてこれからも当たり前のように起こり続ける全ての奇跡を、バン、バン、バン、と、それはそれは大きな音で祝福していました。

 さくらえみという一人の人間が、特に深く考えずに踏み出した一歩は、少しずつ誰かに伝わり、響き、大きくなり、そしてこれほどまでに沢山の人の人生を、ほんのちょっとだけハッピーにしてくれやがりました。ぼくが見る限り、さくらえみさんという人はあまり頭が良いわけじゃなさそうなので、たぶんこれからも特に深く考えずに一歩を踏み出し続けるだろうし、そしてまた沢山の人の人生を、ほんのちょっとだけハッピーにしてくれやがるんだろうと思います。だからぼくは、あなたに、こんな長い文章をここまで読んでくれたあなたに、ありがとうという言葉とともに、もし気が向いたなら、そんな沢山の人の仲間に入ってほしいなって、本当にそう願っています。人生が変わるなんてことは言いません。でもたぶん、ほんのちょっとだけ、あなたの人生はハッピーになるかもしれません。何でそんなこと言うかって、だってこんなに素晴らしいものを、ぼくだけのものにしておくなんて、そんなの勿体ないじゃないか!

 それでは最後になりましたが、プロレスに、我闘雲舞に、そして何よりもさくらえみさんに、ありがとう、と言わせてください。2014年4月6日に咲いた桜は、眩しいくらいに美しかったですよ、と。