道重さゆみはなぜモーニング娘。史上最も偉大なリーダーなのか、その2 〜あるいは道重さゆみの今後についての提案〜

 まず、このエントリは劔樹人さんの魂のブログを読んでこれは自分もやらなくてはいけないと思って書いているので、まだ読んでいない方がいたらそのブログを読んでからでお願いします。

 あなたに会えてよかった(一方的な意味で)。|劔樹人の渋谷陶芸教室

 前回は「その1」として「道重さゆみは、ヲタが戻るときに、まだモーニング娘。に在籍していた」ということに書きました。その記事はこちらです。今日はその続きです。それでは。

<その2:道重さゆみは、ヲタが入れ込むためのツールを自分の努力で創った>

 前回のエントリでも、ハロヲタをやめてしまった人について書いたわけですが、そこには色んな要素が理由としてあって。推しの卒業とか、楽曲の微妙さとか、つんく♂さんが地球の平和とかお米のおいしさとかを言い出すとか、まあ色々ありますよ。でも実は、一番大きかったのっていま振り返ると、テレビ東京ハロー!モーニング」の放送が終了した、っていうのが実は一番大きかったんじゃないかって気がするんです。意外と。

 テレビ東京ハロー!モーニング」は2007年4月1日の放送をもって最終回を迎えるわけですが、シングルでいうとその直前に出た曲が「笑顔YESヌード」で、これが光井愛佳さんの初参加シングル。その後、「悲しみトワイライト」「女に 幸あれ」(ジュンジュン・リンリンが初参加)「みかん」と続いていくわけですが、メンバーがどうこうっていうことじゃなく、ここで離れたファンは多いんじゃないかと思うんです。もちろんそのだいぶ前から「もうヲタじゃない」って思った人でも、そこまでの曲ってなんとなく記憶にあったりするんですよね。

 で、何で「ハロー!モーニング」の終了が悪い意味で重要だったのか。っていうのは「ハロー!モーニング」って、新しいメンバーが入ってくるとき、そのメンバーがどういうキャラクターかっていうのをちゃんと教えてくれてたんですよね。6期で言うと、エリザベスキャメイとかで、ああこの子はエリザベスな感じの子なんだな、っていうのが分かるように作られていた。コントもそうです。亀井さんは幸薄い子なんだと。ここまで出演者のことをちゃんと考えたテレビ番組ってあまりなくて、ライトなヲタだったとしても、その子の取扱説明書になってたと思うんですよ、「ハロー!モーニング」って。

 で、その番組が2007年4月1日で終了するんですけど、そうすると、そこから入ってきたメンバーのことがよく分からないんですよね。その人がどういう人なのかとか、どういうキャラクターなのかとか、どう見るのが正解なのか、っていうのが。勿論コンサートに行けば分かるのでしょう。パフォーマンスも凄いに決まってる。でも、そこまでのハードルって意外と高いんですよ。アイドルは素を見せない仕事っていうのはよく言われますけど、キャラクターは見せてくれないと推せないわけです。どう見れば良いのかが分からないものを愛することって、やっぱり難しいんですよね。見れば分かる、っていうのは当然知ってても、そこの一歩が踏み出せない。だから、メンバーのキャラクターが分からなくなったこの時点で足が遠のいてしまった人って、結構少なくないんじゃないかと思うんです。

 特にモーニング娘。っていうのは、テレビとともに誕生してテレビとともに歩んできたからこそ、「ハロー!モーニング」の放送が終わったっていうのはかなり大きいんじゃないかと。そこにはハロー!プロジェクトっていう連合体の特殊さもあると思うのですが。自分はメロン記念日のヲタであり、当時も娘。のヲタではなかったんですけど、ハロー!が好きっていうのはあって。だからやってりゃ何となく見てたんですよね、「ハロー!モーニング」は。それでなんとなく追いついていた。でもそういう媒体がなくなったことで、自分みたいなグレーゾーンのヲタは着いて行くのをやめちゃったんだと思うんですよ。それぞれのキャラクターが分からないから。

 だけどいま、2013年から2014年にかけて、かつてのヲタが戻りつつある。それの基盤にあるものは何かっていうと、現メンバーのポテンシャル、可愛さ、フォーメーションダンス、どこにも負けてないパフォーマンスの力。全部が後押しになっています。でも、実はそれって、個々のキャラクターを見せるっていうことに対しては別に有効ではなくて。じゃあ何でかつてのヲタが戻ってるのか? それは、ブログなんです。たぶん。モーニング娘。が全員ブログをやっているという、これは大きい。しかも道重さゆみ/9期/10期と11期、っていう分け方も素晴らしい。全員個別にやっちゃうと、単推しから拡がらないですからね。この、横に繋げる形式っていうのは非常に大きい意味を持っていると思うんです。

 で、言ってしまえば、アイドルは素を見せないっていう前提がある以上、ブログを書くべきか否かっていうのは大きな問題なわけですよ。ブログっていうのはアイドルとしての一次情報を呈示するってことなので、そこでヲタが失望する可能性もおおいにあるわけで。リスクもあるんです。でも今や、モーニング娘。にとって、ブログっていう媒体はなくてはならないものになっている。それを誰が創ったのか。ご存知の方は当然ご存知だと思いますが、ハロー!プロジェクトの数多くのメンバーの中で、ブログをやりたいって言い出して、それを実現したのは、道重さゆみさんなんですよね。

 たぶん動画共有サイトで探せばあると思うんですけど、道重さゆみさんは当時色々悩んで、考えて、自分の考えを出す場が欲しいっていう気持ちで、事務所にブログをやらせてほしいって頼んだそうですよ。で、何度も駄目だって言われたらしくて。それでも何度も、何度も、それを懇願して、ようやく了解を得て。その時点ですごいなって思いますけどね。でも道重さゆみさんはそこだけは曲げなくて。それでようやく、自分の思っていることを表明する場所を、自らの努力によって勝ち得たわけです。

 このときの道重さゆみさんの努力と信念は、本当に何年経っても語り継がれるべき革命だと思うんですよ。それまでのアイドルっていうのは、事務所に守られていたし、程度の差はあれ事務所の力学の下に置かれていたわけですが、そこを覆したのは道重さゆみさんが起こした革命と言っても良い。それで、素をぶっちゃけるわけじゃなく、ファンの望む理想を理解しながら、そのうえで遊んでもらうっていう楽しみ方を、彼女は創ったんですよね。非常に高いリテラシーがあるから出来ることなんですが、それが自分には出来るって、道重さゆみさんは分かってたんだと思うんです。そして真の意味での革命というのは、一度起きたらそれがスタンダードになるので、そのイズムが9期以降にも引き継がれているわけですよ。

 道重さゆみさんは、自らの努力によってブログを創ることで「アイドル」という単語を主語にしたってことです、つまり。これは間違いなく、アイドルという歴史に刻まれるべき大いなる革命です。そして、彼女の背中を見ている9期以降は、その革命を完璧なまでに受け継いでいて。全員がそれぞれの個性を出しつつ、本当にちゃんと考えてブログを書いている。そしてそれが個々のキャラクターとして我々に認識される。ヲタはその行間を選び取り、そのキャラクターをカルチャライズして遊ぶわけです。そういう幸福な共犯関係が現在の娘。にはあって、それを創ったのは間違いなく、道重さゆみさんその人なんです。

 というわけで、道重さゆみさんについての話は、まだまだ続きます。

道重さゆみはなぜモーニング娘。史上最も偉大なリーダーなのか、その1 〜あるいは道重さゆみの今後についての提案〜

 まず、このエントリは劔樹人さんの魂のブログを読んでこれは自分もやらなくてはいけないと思って書いているので、まだ読んでいない方がいたらそのブログを読んでからでお願いします。

 あなたに会えてよかった(一方的な意味で)。|劔樹人の渋谷陶芸教室

 劔樹人とぼくは直接の面識はまだないのですが、色々なイベントでお見かけしてまして、特に下北沢B&Bでの劔さんのイベント、それは松浦亜弥のすごさを皆で分かち合おうという趣旨のイベントだったのですが、そのときにお客としてぼくは行っていて、すごく良くて。かつ嬉しくて。そのときからずっと同じ種類の人間だと勝手に思いながら心の中で声援を送っていたりします。

 自分はこんにちは計画というコンビの杉田先生という人と定期的に「こんにちは大計画」というイベントをやっていまして、次回は劔さんと、杉作J太郎さんにご出演していただく予定なのですね。当初は「杉作J太郎さんをハロヲタに戻す」っていう趣旨で考えていたのですが、道重さゆみさんの卒業が決まったいま、これはどうしたほうが良いんだろうというのは悩んでいます。

 これはもう、いっそのこと、イベントの目的を「杉作J太郎さんに道重さゆみさんの魅力を伝えたい」という方向性に変えたほうが良いのではとも思っています。それで、道重さんの卒コンに、杉作さんに来てもらいたい。道重さんの卒コンで、ハロヲタに戻るっていうのも、なかなかに素敵なことだと思いますし、まあその辺りはこれから色々考えるのですが。前段で既に長くて申し訳ないです。

 まあそれはそれとして、道重さゆみさんという方は、おそらく今後永遠に「モーニング娘。史上最強のリーダーだった」って語り継がれるはずなんですよね。でもそれって、好きな人には分かるというかそれぞれ自分が考えた答えがあるけど、分からない人には分からないと思うんですよ。だから以下は、すごく私的な経験と考えに依るものだというのを分かったうえで、なんで道重さゆみリーダーが凄かったのか、っていうのを書いたやつです。異論があれば、各自各所で語ってもらえればと思ってますが。

<その1:道重さゆみは、ヲタが戻るときに、まだモーニング娘。に在籍していた>

 これはハロー!プロジェクトという運動体の特殊性だと思うんですけど、基本的にはほとんどのヲタは、グループもしくは個人を推すわけですよね。ハロー!なら誰でも大好き!っていうDDもいますが、基本はやっぱり一つの推しのグループがいるわけです。で、自分はメロン記念日なんですよね。それもまた特殊なんですが。

 でも、メロン記念日を推してると、ハロー!プロジェクトが全員集まる場っていうのは定期的にあるので、娘。のことも当然観る。でもメロン記念日は途中でハロー!じゃなくなっちゃうので、ハロー!の情報が入らなくなるんですよね。世間で話題になってれば別なんですが、そうじゃない時期はあるので、娘。単推しじゃない、ハロー!全体を推したい人って、情報がなくなると、離れちゃうっていう、これは事実としてそうなんですよ。

 で、娘。のシングルで言うと、2006年から2007年にかけてが結構その線引きが成されていて、2006年のシングルって「SEXY BOY」「Ambitious!野心的でいいじゃん」「歩いてる」なんですよ。で、2007年は「笑顔YESヌード」「悲しみトワイライト」「女に幸あれ」「みかん」なんです。このタイミングで、たぶん、ライトなヲタは離れてるんじゃないかって、少なくともぼくは実感としてそうで。「歩いてる」は分かる。知ってる。でも「笑顔YESヌード」は、少なくともリアルタイムで聴いた記憶がないんですよね。

 世間に届かなくなった、っていう以前に、グレーゾーンのヲタを失った、っていうのがこの時代だと思うんです。少なくとも、ぼくはここで一度娘。を観てない時期に入ってるんですよね。もちろん人それぞれだと思います。でもわりと、これは総意としてそういう時期だったんだというのはあるんです。少なくとも自分はこの辺りから、モーニング娘。を追っかけられてないんですよ。残念なことに。もっと見ておけば良かったって今なら思ってるのですが。

 それを踏まえた上で、時計を進めます。一気に2012年まで進めましょう。ぼくが再び「モーニング娘。」を認識したのは、2012年の最初のシングル「ピョコピョコウルトラ」なんですね。これはね、お!って感じだったんですよ。わけが分からなくて、でも一度聴いただけで、楽曲に新しさがあって。MVの素っ頓狂さも、昔に見てた娘。感もあり、推しまでではないけど気になる存在になり。そこからの「恋愛ハンター」「One・Two・Three/The 摩天楼ショー」「ワクテカ Take a chance」。そこまでで肩を作ったうえで「Help me!!」から最新シングルまで続く5作連続オリコン1位がある。ものすごく、桁外れに長い時間が、ここまでに流れているわけです。

 で、そこに、道重さゆみがまだいた、っていうのは実際にすごく大きなことだったと思うんですよね。少なくとも最新シングルまで、昔のヲタが戻ってきても、自分たちが知ってる道重さゆみっていうメンバーがいるってことはすごく大きいことだと思うんです。やっぱり、何だかんだ言っても、知らないメンバーしかいないグループを、モーニング娘。として推すのってなかなかに難しいじゃないですか。道重さゆみさんは、その受け口になってくれたんですよね。それは本当に凄まじい功績だと思います。「ぼくらのモーニング娘。」って思わせてくれて、離れてしまったライトヲタを戻してくれたその貢献度の高さは本当に凄いと思いますよ。

 個人的な話でもありますが、道重さゆみさんがもし早い段階でいなくなっていたら、こんな気持ちで娘。のことを推せてないって実感もありますし。とにかく、2013年から2014年にかけて、まだ娘。のメンバーにいてくれた、ってことが何よりもありがたいって話です。

 そして逆に言うと、この役割を誰がやるんだ、ってことです。これはもう、理屈で考えると、現メンバーに出来ることじゃないんですよね。ずっと娘。を好きだった人にしか出来ない仕事なので。じゃあ誰がやるのか。我々なんですよ、これは実際に。戻ってきてくれる元ヲタの入り口や、これからの新規ヲタへの誘導は、現ヲタである我々がやらなきゃ駄目なんです。道重さんが去ってしまうんだから。その仕事は我々に託されたんですよね。だから本当に、道重さんがやってくれた以上に、何が出来るのか、本当にヲタの実力が試される半年だって思うんです。それはでも、やらないと、駄目だろとも思いますしね。

 <その1>だけで延々長くなってしまいましたので、次回のエントリに続きます。道重さゆみさんは、たぶん一生語れるぐらいのことはしていただいているので、今後も一生語りたいです。とは言え取りあえず、<その2>以降も早めに更新する所存でございます。「今更道重」かつ「今尚道重」。どちらも真理です。

 道重さゆみさんは、本当にすごい。取りあえず、それだけ知ってください。

我闘雲舞にとって2014年4月6日とは何か 〜あるいはプロレスにとって観客とは何か〜

 この景色を、いま自分の目に映る全てを、ずっと忘れることが出来なければ良いのになあ、と思っていました。ぼくは泣き虫だからプロレスを観戦しながらしばしば涙にくれるのですが、それでもやっぱり、この日の涙はちょっと特別なものでした。自分の涙ごしに見えるリングが、凛々しく飾られたタイと日本の国旗が、そしてもちろんそこにいる全てのプロレスラーが、きらきらと輝いていました。2014年4月6日、我闘雲舞北沢タウンホール大会で、ぼくはそれを見ていました。

 我闘雲舞というのは、前も書いた通りさくらえみという人がタイで旗揚げをしたプロレス団体です。なぜ、タイなのか。理由はよく分かりません。さくらえみさん本人も、未だによく分かっていないそうです。なぜか、タイだった。強いて理由を挙げるなら、そこにプロレスがなかったからかもしれません。タイにはそもそもプロレス団体が存在しておらず、プロレスという文化もそれほど浸透していません。タイの人たちにとって、プロレスというものは、何だかよく分からないものなのです。その国で、さくらえみさんは、我闘雲舞というプロレス団体を旗揚げしたのでした。

 タイにはプロレスラーが一人もいません。そりゃそうです。プロレスがそもそもないのですから。その国でさくらえみさんはプロレスの試合を行い、タイの人たちにおそらく初めてとなるプロレスを観せ、プロレスを体験させて、何人かのタイの人を、プロレスラーにしてしまいました。プロレスを好きな人をプロレスラーにしたのではありません。プロレスを知らない人にプロレスを教え、プロレスラーになろうと思ってしまうほど、プロレスを好きにさせたのです。さくらえみさんは、嘘や夢じゃなく実際に、現実で、そんな無茶なことをやってしまったのでした。

 そして2014年4月6日。我闘雲舞北沢タウンホール大会のメインのリングに、彼らが立ちました。タイという国におけるプロレスの歴史の、最初のページにその名前が書かれる5人のプロレスラーです。ブルー・ロータス。ペパーミント。E.K.バギー。P-Nutz。ゴーレムタイ。対戦相手は、さくらえみさん率いる5人の日本のプロレスラーたちです。チーム名は、さくらジャパン。現時点で、タイで最強のプロレスラーたち、これから先も未来永劫、ずっとタイという国で語り継がれる伝説のチーム、タイオールスターを、さくらジャパンが迎え撃ちます。

 最初に入場したのは、タイオールスターでした。その5人は、自らのリングネームが書かれた幕をその手に掲げ、誇らし気に、実に凛々しく、自分たちには恐れるものなど何一つないのだと言わんばかりに、何かを叫んでいます。その言葉の意味は、ぼくには分かりません。ぼくはタイの言葉をほとんど知らないから。だけど、その5人が叫んでいる、それだけは分かります。彼らは、彼女らは、何かを必死で叫んでいる。それでもう、本当は、ほとんどのことがぼくたちには分かっているのです、きっと。叫ばなきゃいけないんだ。叫ぶんだ、人は。プロレスラーは。それだけ分かれば、もう、それでいい。そして日本を代表する、5人のプロレスラーがその姿を現します。

 彼らはタイの選手たちに、いちからプロレスを教えた、言わば先生たちです。だけどもちろん、その目は生徒を見つめているわけではありません。さくらジャパンの面々の目に映っているのは、自分たちの教え子ではなく、タイという国の中で最強の名を欲しいままにする、5人のプロレスラーなのですから。そりゃ強いに決まってます。なぜなら、プロレスをまったく知らないところから始めて、遠い異国の北沢タウンホールのメインイベンターになるまでのプロレスラーたちなのですから。強い気持ちは、人を強くします。さくらジャパンの全員もプロレスラーなので、そのことをよく知っている。だから、これは真剣勝負です。どちらも負けられない、国と国との対抗戦なのです、この試合は。

 さくらジャパンの選手が一人ずつ登場し、名前を呼ばれ、そして最後に、リングアナウンサーが声を響かせます。「さくらえみ組の入場です!」と。そのとき流れたのは、さくらえみ選手の入場曲ではありませんでした。我闘雲舞という団体のテーマ曲です。The Bandman’s Kindのその曲のタイトルは「新世界」と言います。そう、確かにこれは、新しい世界です。誰もこんなものは見たことがない。その曲は、我闘雲舞という団体のテーマ曲でもあり、そしてまた、今この瞬間を表すテーマ曲でもある。この試合で、絶対に流れなくてはいけない、この曲は、そんな曲なのだと、気付いた瞬間にぼくは泣きました。

 その涙は、涙腺からではなく、かっこいい言い方をしてしまうなら、ぼくの魂から込み上げられる涙でした。魂が吠えている。あるいは、ぼくの身体を形作る、全ての細胞が、叫んでいるようでした。なぜこれほどまでに涙が溢れて止まらないのか。よく分かりません。だけど分かります。リング上に立つ10人のプロレスラーの姿をぼくは見ている。ぼくはそれしか見ていない。それなのに、それ以上のことが、分かってしまう。その想い。その歴史。その歓び。全部が分かる。事実として正しいかどうかは知らない。だけど、分かってしまう。ぼくの魂が、ぼくの細胞が、目には見えないものと確かに共鳴していて、そこからはもう、試合が終わって選手が客席に握手をしに来てくれるまで、ぼくは大げさじゃなく泣き続けてしまう。2014年4月6日に行われた我闘雲舞北沢タウンホール大会は、ぼくにとって、そんな興行だったのです。

 プロレスにおける真理の一つに、こんな言葉があります。「リングの上で起こることが全てだ」と。それは嘘ではないし、ぼくもそう思っています。だけど、実は、その先にはまだ言葉が続くのです。それはぼくが「水道橋博士のメルマ旬報」で連載している「みっつ数えろ」という創作の中で、3月25日に配信された回に書かれています。プロレスをまだあまり知らない瞳という女の子が、プロレスファンが自分の考えた理屈や想像を信じて喜ぶ姿を見て不思議がります。そんな彼女に対して、年期の入ったプロレスファンである西園寺という男は、こう言ってくれました。

西園寺「日々野瞳さん、でしたかな。まだ分からないかもしれない。ですが、きっと分かる日が来ます。なぜなら、これがプロレスの本質の一つだからです」
瞳「プロレスの、本質?」
西園寺「そう。プロレスとは、確かにリングで起こることが全てです。だが同時に、『全て』などでは足りないほど、プロレスは奥深い」
瞳「『全て』などでは足りない……」
西園寺「だからこそ、我々観客がそこにいるのです。それは、プロレスが要求するから。リングで起こったことに、例えるならば、かけ算をする。それが我々観客の、(頭を指差して)ここと、(胸を拳で叩いて)ここなのですよ」
  瞳、聞き入っている。
西園寺「つらいこともある。悲しいこともある。それを頭と心で乗り越えて行く。それは、レスラーにも出来ない、観客の特権なのです。プロレスファンはそうして世界の見方を学んでいく。そう。プロレスには『全て』以上のものがある。だからこそ、私たちは、プロレスを見続けているのでありましょう」

 プロレスは、リングの上で起こることが全てです。だけどその先の言葉がある。プロレスは「全て」では、まだ足りないのです。だからぼくたち観客がいる。ぼくたち観客は、プロレスを選んでいるのではなく、プロレスから選ばれている。プロレスにとって必要だからこそ、ぼくたち観客は、会場に呼ばれているのです。

 プロレスラーは、どんなに感動的な試合をしても、どんなに血と涙を流しても、残念なことに、自分自身の試合を観ることができません。だから、彼らの代わりに、誰かがその瞬間を見届け、その感動を享受しなくてはならない。その誰かこそが観客なのです。観客がプロレスを必要としているのではない。プロレスが観客を必要としている。ぼくたちはプロレスを観るとき、往々にして、救われていると感じる瞬間があります。それは、ぼくたちがプロレスから必要とされているからです。お前はここにいていいんだと、ここにいてくれと、好きで好きで仕方のないプロレス自身が、そう言ってくれる。そんな素敵な共犯関係が、プロレス会場には存在しています。

 だからこそ、ぼくたち観客は、自分自身の目で、自分だけの目で、プロレスを観なくてはなりません。リングの上で起こることが全てだと、それで終わらせるのではなく、心と身体と魂を使って、その向こうを観ようとするのが観客の役目です。

 この日、タイオールスターの選手たちは、さくらジャパンを相手にして、ひるむことなく見事に闘いました。我闘雲舞に所属する、里歩選手、帯広さやか選手、ことり選手、北沢ふきん選手は、さくらえみ選手ではなく、ブルー・ロータス選手にコールを送り、リングのエプロンを何度も叩いていました。その音は遠いタイまでには届かなくても、ブルー・ロータス選手の今はもちろん、彼女これまでとこれからを、そしてタイからやって来た5人のプロレスラーを、あるいは彼らにプロレスを教えたさくらジャパンの全員を、いやいやそれでもまだ足りない、2014年4月6日、我闘雲舞北沢タウンホール大会でこの試合が組まれるまでに起こった全ての思いつきと勇気と行動と偶然と必然を、そしてこれから起こる全ての思いつきと勇気と行動と偶然と必然を、つまりはこれまでに当たり前のように起こって、そしてこれからも当たり前のように起こり続ける全ての奇跡を、バン、バン、バン、と、それはそれは大きな音で祝福していました。

 さくらえみという一人の人間が、特に深く考えずに踏み出した一歩は、少しずつ誰かに伝わり、響き、大きくなり、そしてこれほどまでに沢山の人の人生を、ほんのちょっとだけハッピーにしてくれやがりました。ぼくが見る限り、さくらえみさんという人はあまり頭が良いわけじゃなさそうなので、たぶんこれからも特に深く考えずに一歩を踏み出し続けるだろうし、そしてまた沢山の人の人生を、ほんのちょっとだけハッピーにしてくれやがるんだろうと思います。だからぼくは、あなたに、こんな長い文章をここまで読んでくれたあなたに、ありがとうという言葉とともに、もし気が向いたなら、そんな沢山の人の仲間に入ってほしいなって、本当にそう願っています。人生が変わるなんてことは言いません。でもたぶん、ほんのちょっとだけ、あなたの人生はハッピーになるかもしれません。何でそんなこと言うかって、だってこんなに素晴らしいものを、ぼくだけのものにしておくなんて、そんなの勿体ないじゃないか!

 それでは最後になりましたが、プロレスに、我闘雲舞に、そして何よりもさくらえみさんに、ありがとう、と言わせてください。2014年4月6日に咲いた桜は、眩しいくらいに美しかったですよ、と。

「みっつ数えろ」第十一戦までの各話紹介

 2014年2月10日、有料メールマガジン水道橋博士のメルマ旬報」にて拙作「みっつ数えろ」の連載第十一戦が配信されました。みなさまお読みいただけましたでしょうか。なんかもう、全然話が進んでなくて申し訳ない限りというか、お前「べしゃり暮らし」かよ!って自分で自分に言い聞かせてるのですが、登場人物が勝手に話し始めるし、そこに大事なフレーズもあるので仕方ないです。とは言え今回のシリーズはあと2回か3回で終わるはずなので、引き続き宜しくご愛顧ください。

 さてここからは、「みっつ数えろ」を読んでいないとまるっきり意味が分からないエントリになりますので、ご購読はこちらのページからお願いします。「みっつ数えろ」とはざっくり言うと「女子高生がプロレス部を設立しようとするが、危険すぎるという理由で学校から却下され、その代わりに演劇部を設立して演劇だと言い張りながらプロレスを行う」というお話のマンガ原作です。プロレスを知らない人でも楽しめるようなわりと真っすぐな青春ストーリーとして書いてるつもりですが、そうでもなかったら申し訳ございませんということで、何卒。

 それでまあ、本日は、そろそろ連載もたまってきてしまっているので、これまでの各話紹介を簡潔に紹介してみようと思います。特にこのあいだ「メルマ旬報フェス」で自分のことを知っていただいて、興味持ってくれた方もいるかもしれないので。バックナンバーはご購入いただけるのですが、なかなかそれもまあ億劫だと思いますので、「みっつ数えろ」のこれまでの経緯というか、各話で起こった大事なことというか、これだけ把握しておいていただければ取りあえずこの先も追いかけられます、っていうのをここに書きます。この試みは今後も継続的にやっていくと思うので、途中から入ってくる方はそういったページを読んでいただければ大体大丈夫かと。

 というわけで、ここから、各話の紹介です。

<第一戦『Flying Body Press』+前書き>

 日々野瞳、校庭裏で野良猫のガオに魚肉ソーセージをあげている際、ボディプレスの練習をしている暁星(あけぼし)あゆみが空から落ちてきて、激突されて気絶。瞳は(当時)新聞部。定例部活動報告会にて、生徒会長の源五郎丸めぐみ(若干高校一年生)から、校内向けの新聞部数の低下を叱責される。舞台となる宮前女子高等学校は、日本有数の巨大ホールディングスである「GGRホールディングス」の所有物であり、源五郎丸めぐみはその会長の孫娘。学園の部活動自体が、利益を出すことが求められている。瞳は野良猫のガオに誘われる形で、神社へ。「演劇部」としてプロレスの練習をしている、暁星あゆみ、白百合めぐみと出会う。

<第二戦『片エビ固め』>

 瞳は、同学年の新聞部の部員から強制され、部活動コラムを埋めるため、あゆみとめぐみのもとに再び赴く。瞳、誘われるがままに、実際にあゆみとプロレスの試合を行い、あゆみからスリーカウントを取らせてもらう。瞳、感動をおぼえ、プロレスの魅力を初めて知る。

<第二・五戦『喫茶店トーク』>

 インターバル回。あゆみの実家は「もんじゃ喫茶アイ」というもんじゃ焼き屋。あゆみが喫茶店トークをしたいがために、もんじゃ喫茶という形態にしてもらった。

<第三戦『弓矢固め』>

 瞳にプロレスの映像や雑誌を見せるために、一同、みやびの実家へ。そこには「白百合レスリング道場」という看板。みやびの父親は、「シラユリ」という伝説的なプロレスラーで、今はケガのため長期療養中で車椅子の生活を送っているが、近所の子どもたちにレスリングの楽しさを教えて暮らしている。

<第四戦『流星キック』>

 シラユリ選手の必殺技は「シラユリ・アロー」。プロレスが好きすぎて、常に笑ってしまいながら試合を行うという選手だった。瞳たち、みやびがいない隙に、みやびの昔の写真アルバムを見つけるが、その写真でみやびは一切笑っていない。みやびは感情を表に出すのが苦手な子だった。だがあゆみのおかげで、父親であるシラユリ選手に対しても、声を出して応援することが出来るようになったのだった。みやび、部屋に帰ってきて、勝手に写真アルバムを見られたことに対して怒り、あゆみとプロレスで勝負をすることに。

<第五戦『ファルコン・アロー』>

 あゆみとみやび、プロレスで対決。レフェリーはみやびの父親であるシラユリ選手。シラユリ選手が試合でケガをした当時の回想。みやびは「プロレスなんて八百長だろ」とクラスメイトからバカにされていた。シラユリ選手は地方でタイトルマッチ、挑戦者として挑むが、試合中にケガをして病院へ。みやびは母親とともに病院へ急ぐ。大けがをしたシラユリ選手は、娘であるみやびに「それでもプロレスは楽しい」と笑顔で伝える。その日を境に、みやびは髪を切り、活発な女の子に。「プロレスは楽しい」ということを自らの意志によって周囲に伝えられるようになる。

<第五・五戦『喫茶店トーク』>

 インターバル回。あゆみとみやびの選手名鑑が完成。

<第六戦『アックスボンバー』>

 プロレスの練習。若手がよくやる、トップレスラーを入場させるときのロープの押し上げでトレーニング。回想で、あゆみとみやびが「プロレス部」の申請をしたときの模様。「危険すぎる」という理由で生徒会長の源五郎丸めぐみから拒否されるが、みやびは知恵を絞り、「演劇部」としての部活動設立を持ちかける。めぐみ、了承しかけるが、部活動設立の条件である「部員は4名以上」の条件を成していなかったため、部活動申請は却下。が、めぐみはその決意に考えるところがあり、部活動設立申請書に「要検討」の判を押す。

<第七戦『トラース・キック』>

 プロレスの練習。マネキンを観客と見立てて、場外乱闘の際にお客さんを守るトレーニング。生徒会長、源五郎丸めぐみの実家。めぐみには二人の姉がいて、どちらも優秀、源五郎丸家の中ではめぐみが一番の出来損ない。めぐみ、姉たちから叱責されるが、秘書である西園寺の無言のエールにより、いつもの高飛車な人間として復活する。

<第八戦『ボマイェ』>

 2013年の「ネットプロレス大賞」、「みっつ数えろ」的な結果発表の前編。

<第九戦『マッスルスタンプ』>

 2013年の「ネットプロレス大賞」、「みっつ数えろ」的な結果発表の後編。

<第十戦『カレリンズ・リフト』>

 部活動の設立を源五郎丸めぐみに承認させるため、めぐみの弱みを握ろうと、あゆみとみやび、昔からの知り合いである坂井玲(夕刊紙「夕刊ブシ」プロレス担当記者)を招聘し、調査してもらう。その調査によると、めぐみはかつてアマチュアレスリングの優秀な選手だったが、覆面姿の何者かに襲撃されて敗北、その過去を恥として、ひた隠しにしていることが明らかになる。が、よくよく聞いてみると、その覆面姿の何者かは、あゆみ本人であることが判明。

<番外編『私の愛した&愛するプロレス』>

 配信当日が「メルマ旬報フェス」当日だったため、この回は番外編として、著者がプロレスの魅力を語るという回。

<第十一戦『ナックルパート』>

 あゆみは「プロレスを好きになってもらいたい」という理由で、源五郎丸めぐみを自分たちの部活に勧誘するという案を提案する。みやびはそれを聞き、オーナーが現場に介入することに対して否定的なため、その案を却下。あゆみとみやび、互いに折れず、その日の昼休みにプロレスで勝負をつけようという形で落ち着く。「夕刊ブシ」記者の玲との会話により、瞳の特性が明らかになる。空気を読む性質なので、次に何が起こるかが分かってしまうという資質。普段かけているメガネは伊達メガネで、視力は非常に良い。など。そして昼休みへ。


 ……というのが、いま現在までの「みっつ数えろ」大体の流れです。ここから先への伏線も含めて、一応全部書いてあるはずです。創作連載なので、途中から追いかけるのはなかなか難しいかもしれないのですが、上記を読んでいただければ着いてきてもらえる感じにはなっていると思います。今後もあらすじだけはここで書いていく感じになると思いますので、もしご興味抱いていただけましたら、お付き合いいただけるとありがたいです。頑張りますので。

 それではまた次回。まだ「水道橋博士のメルマ旬報」読んでおられない方で興味もっていただいたなら、ご購読はどうぞこちらのページから。以上、「みっつ数えろ」第十一戦までの、お粗末ながら各話紹介でした。エレガントに、さよなら。

我闘雲舞(ガトームーブ)というプロレス団体を初めて観戦する方のために

 ひとりのプロレスファンから言えることとして、2014年2月現在、プロレスを人生で初観戦するんだったらDDTプロレスリング、もしくは我闘雲舞(ガトームーブ)っていう団体が良いと思っています。もちろんそれぞれの団体にそれぞれの面白さがあり、それぞれの魅力があります。ただ、試合や選手の幅の広さや、プロレスって楽しい!という観戦後の満足感や、客席や雰囲気含めての入り易さを考えると、初観戦はこの2団体のどちらかがお薦めです。もちろん、友人からほかの団体に誘われたとかの場合は別ですよ。好きな人と一緒に観るプロレスは特別なので。

 でもまあ、事前に何の情報もないとなかなかプロレスの会場へ足を運ぶのは難しいってシャイな方もいると思いますので、本日は「我闘雲舞(ガトームーブ)」というプロレス団体について書きます。もし良ければ、初観戦の参考にしてもらえると嬉しいです。


我闘雲舞(ガトームーブ)ってどんな団体?>

 史上初の、タイを拠点とするプロレス団体です。日本の女子プロレスラーさくらえみ選手が2012年1月に旗揚げしました。タイで旗揚げしたのは何故かっていうと特に理由はないそうなのですが、プロレスという文化が根付いていない土地にプロレスを普及するという、言わば力道山先生と同じことをいま現在やっているのです。拠点はタイなのですが、2014年2月現在はほぼ毎週、日本でプロレス興行を行っています。


<どこに行けば観られるの?>

 ほぼ毎週のように「市ヶ谷チョコレート広場」(観客数は50名ほど)という小さなスペースで興行を行っていて、数ヶ月に一度、ビッグマッチとして「板橋グリーンホール」(観客数は150名〜200名ほど)という場所で興行を行っています。板橋ではリングの上で、つまりよく見たことのある形でのプロレスを、市ヶ谷ではリングではなくマットの上でプロレスを行っています。

 市ヶ谷は基本的には外というか室内なんですが窓は開けっ放しでして、板橋はいわゆる普通のホールです。個人的にはいわゆる「プロレス」を初めて観るのであれば板橋のほうが良いんじゃないかなあと思いますが、市ヶ谷には市ヶ谷でしか味わえない近さとか良さとかがあるので、初観戦が市ヶ谷っていうのはそれはそれで。まあでも、シャイな方とかプロレスに対して不安な初観戦の方は、やっぱり板橋のほうがお薦めかもです。でも市ヶ谷は、寒い日にはカイロを配ってくれたり試合後にあたたかいお茶が配られたり試合後に全員が握手してくれるので、両方ともすごく良いです。

 ちなみに我闘雲舞(ガトームーブ)は女性のお客さんに対して非常に優しい団体です。板橋大会は2014年2月現在、女性自由席は無料です(立ち見になる可能性もありますが)。市ヶ谷大会は女性客及び女性客と一緒に来た方は優先的に入場できます。


<どんな選手がいるの?>

 2014年2月現在の所属選手は、さくらえみ、里歩、帯広さやか、「ことり」、以上4名、全員女性です。練習生として、ふき、という女の子がいるので、もうすぐ所属選手になると思います。以下、所属選手を簡単に説明します。

 さくらえみ選手は、一人だけすごい年上の人です。ほかの全員と比べても単純にガタイが固くて分厚いというか、そういう人です。ブーイング担当ですが、たぶん全てのお客さんが本心では応援しています。すごく高い声で「負けてたまるかー!」って大きな声で言います。市ヶ谷ではロープがないので、最前列のお客さんに寄りかかって「押して!」って言って体を押させるのですが、ほぼ確実に誤爆か空振りしたあげく、試合後の握手のときに「押すのが遅いんだよ!」とか言ってくれます。さくらえみ選手の表情を観るだけでも、会場に足を運ぶ価値がある、希有な選手です。

 里歩選手は、天才です。現在まだ16歳なのですが、2006年にプロレスデビューを果たしているので、キャリアはもうすぐ8年。生まれながらのセンター。モーニング娘。’14で言うところの、鞘師さんです。とにかく表現力がズバ抜けていて、会場の空気を自分に持ってくる力と、マイクの「間」のセンスも素晴らしいです。間近で観るととんでもない美少女であり身にまとったオーラが尋常じゃないので、目を潰さないように注意する必要があります。


 帯広さやか選手は、何というか、まあ、帯広さやかです。そういう風にしか言えない魅力がある選手です。プロレスと、我闘雲舞と、さくらえみさんのことを好きすぎて、それがそのままファイトスタイルに繋がっています。常識外れのあり得ないムーブやロープの使い方をするので、試合中は一瞬も目が離せない選手です。あと、北海道出身なので色が白いです。料理が上手です。人間らしさを表現してくれる選手です。

 「ことり」選手は、2014年4月から高校生に進学する年齢の選手です。体格は小柄なんですが、体がとにかく柔らかくて、頭を使って体を動かしているので、こんな技があり得るんだ!っていう技を繰り広げます。後ろから飛びついて足で相手の腕を絡めてそのまま絞め技とか、普通のプロレスじゃ観られない技を出してくるので、何度観ても新鮮で。初代タイガーマスクをリアルタイムで観た人とたぶん同じくらいの感動があります。雰囲気がとにかく可愛らしいので、ひと目観たら絶対に応援してしまうような選手です。

 所属選手のほかにも定期参戦選手なども多数いるのですが、共通して言えるのは、誰もが我闘雲舞を愛しているというところ。マサ高梨選手、アントーニオ本多選手、DJニラ選手が筆頭ですが、我闘雲舞のリングでしか現せない愛情を存分に流出してくれるので、そこがまた素晴らしいです。


<どうやったら観られるの?>

 板橋大会はビッグマッチなので、よっぽどのことがない限り当日券でも入れるはずです。ただ、板橋も市ヶ谷も、事前にチケットが売れたり予約が入ったほうが選手の皆さんも安心なので、行けそうな日があるなら事前に予約することをお薦めします。「わふーでよよよ!」という我闘雲舞のオフィシャルブログがあるのですが、観たい大会の記事にはほぼ間違いなく書かれている「よよよチケット」までメールを送りましょう。それで、予約は完了するので、当日の試合開始時間までに行けば大丈夫です。

 知らない人にメールを送るのは意外とハードルがありますが、よよよチケットのアカウントを管理しているのはさくらえみ選手なので、感謝の気持ちのこもったメールが返ってくるはずです。すごく優しい人なので、怖がらずにメールを送ってみましょう。びっくりするぐらい、嬉しがってくれます。


<事前に何かやっておいたほうが良いことはある?>

 板橋も市ヶ谷もですが、試合が始まる前にさくらえみ選手から、試合の意味合いを一試合ずつ説明をしてくれます。なので何の用意もなく観戦に行っても絶対楽しめるのですが、もし余裕があるなら、「わふーでよよよ!」の試合前の選手コメントを確認していったほうがより楽しめるかもしれません。特に板橋大会は毎回、出場選手のコメントが掲載されているので、それを読んだうえで観戦するとより面白くなるはずです。

 あと、決めごととして言う言葉があるので、そこは事前に覚えて行ったほうが良いかも。と言っても、簡単なのですが。コール&レスポンスがあります。
 「リャオサイ?」(メシャーイ!)
 「リャオカー?」(メシャーイ!)
 「トンパイー?」(シャーイ!)
 「レッツゴー!」(ガトームーブ!)
 っていうのが、試合前と試合後にたぶんあります。()で書かれた中の言葉がお客さん担当なので、言える人は言いましょう。これはタイの現地の言葉なのですが、意味としては「左に行くか?」「違う!」「右に行くか?」「違う!」「前に進むのか?」「そうだ!」「さあ行こう!」「ガトームーブ!」って感じの意味合いです。の、はず。あんまり覚えてないのですが。最後の「ガトームーブ!」のときは片手を天に突き上げましょう。

 それと、どんな大会でもさくらえみ選手が前説で出てきて今回の試合の意味合いを説明してくれるのですが、その際必ず「今日初めて来てくれた人―?」と質問してきます。そこで手を上げると「何を見に来てくれたんですか?」と普通に会話が始まってしまうので、手を上げる人は事前に答えを用意しておきましょう。まあ、どんな答えであってもさくらえみ選手は非常にうまいこと回収してくれますので、取りあえず答えれば何とかなります。思いつかない人は「さくらえみ選手を見に来ました。友人の紹介です」とか言っておけば、大丈夫な空気になります。


<試合が終わったらどうするの?>

 板橋でも市ヶ谷でも、試合終了後は物販が始まります。このとき、試合を観て感動したら、その気持ちを選手に伝えてみましょう。特に我闘雲舞はどの選手も人間的に素晴らしいので、それを嫌がる人はいません。グッズを買うとサインもしてくれるので、初観戦の思い出を作りたい方は是非物販まで残ってみてください。そのサイン入りグッズは、これから先ずっと、あなたの誇りになります。プロレス初観戦は、人生で一度しかありません。その思い出をサインとともに残すことは、決して無駄にはならないので、是非お試しを。というか、それできるあなたのことをズルいな!とまで思っていますが。

 で、板橋も市ヶ谷もですが、別で用事がない限りぼくは奥さんと一緒に我闘雲舞を観戦しているはずです。試合が終わっても興奮さめやらず語りたいなら、一緒に語り合いましょう。ぼくのツイッターアカウントは @aizawaaa なのですが、リプライなどいただけたら会場の近辺で飲みながら話しましょう。そのときはきっと、ぼくも絶対、語りたいはずなので。


 以上、我闘雲舞(ガトームーブ)というプロレス団体を初めて観戦する方のために向けての僭越ながらのアドバイスでした。これからも皆さんのプロレス人生が、よきものであることを本当に願ってやみません。今後とも、何卒宜しくお願い致します。

「ネットプロレス大賞2013」投票しました

 12月30日の我闘雲舞市ヶ谷大会をもって2013年のプロレス観戦納めとなったため、それも踏まえて最終的に、以下の形で投票しました。なお、ネットプロレス大賞2013の投票はこちらのページから。

 相沢が選ぶ「ネットプロレス大賞2013」、以下となります。

<MVP>
第1位:渕正信
第2位:飯伏幸太
第3位:マサ高梨

<最優秀試合>
第1位:2013/08/04 新日本プロレス大阪府立体育会館中邑真輔vs飯伏幸太
第2位:2013/07/17 ゼロワン(後楽園ホール) 星川尚浩vs丸藤正道
第3位:2013/10/20 DDTプロレスリング後楽園ホールアントーニオ本多vsスーパー・ササダンゴ・マシン

<最優秀タッグチーム>
第1位:ヤンキー二丁拳銃(木高イサミ宮本裕向
第2位:佐藤光留坂口征夫
第3位:中邑真輔YOSHI-HASHI

<最優秀興行>
第1位:2013/05/04 我闘雲舞 板橋グリーンホール
第2位:2013/07/28 全日本プロレス 後楽園ホール
第3位:2013/10/14 ビアガーデンプロレスin札幌 札幌テイセンホール

<最優秀団体>
第1位:我闘雲舞
第2位:DDTプロレスリング
第3位:全日本プロレス

<新人賞>
第1位:「ことり」
第2位:福田洋
第3位:夕陽

<最優秀マスメデイア>
第1位:我闘雲舞メールマガジン
第2位:「KAMINOGE
第3位:徳光康之「ファイヤーレオン」(「月刊ブシロード」連載)

 「水道橋博士のメルマ旬報」に連載している「みっつ数えろ」ではこういう結果になったのですが、「最優秀マスメディア」では自薦ができない(よくよく考えれば当たり前ですが)というのと、年末の市ヶ谷で観戦した「ことり」選手が素晴らしかったので繰り上げとさせていただき、最終的には上記のような結果となりました。

 結果的には「最優秀興行」「最優秀団体」「新人賞」「最優秀マスメディア」で、我闘雲舞が4冠。本来であれば「MVP」も我闘雲舞の選手が独占しておかしくないと思ってはいるのですが、そこは気持ちを抑えつつ。我闘雲舞は、一人の選手がどうこうというか、全員が全員で一つとして素晴らしいので、順位とか決められないってのもあります。だから「心のMVP」として「我闘雲舞のみんな」っていう気持ちです。

 あとは「新人賞」で「ことり」選手が急浮上していますが、12月29日と30日に市ヶ谷大会を観戦し、マサ高梨選手とドロー、さくらえみ選手には負けましたが勝てもまったく不思議じゃない試合だったので1位にさせていただきました。体格やファイトスタイルからマットが向いてるっていうのもあると思うのですが、その小柄さを活かした戦いには新鮮な驚きがあり、そしてあの、無条件で人を楽しくさせる笑顔とたたずまい。来年以降もすっごく期待しております。

 以上、相沢が選ぶ「ネットプロレス大賞2013」投票結果でした。

1975-1984 birth(ver.prototype)

 いま発売中の雑誌「ケトル」で、伊賀大介さんが春日太一「あかんやつら」を激賞していまして、その内容と情念に関してはまったくの同意なのですが、そう言えばこの二人って、同じく1977年生まれだよなあと思いまして。何というかまあ、そういう時代が始まりつつあるんだな、という思いに駆られました。

 生まれ年というのは何だかんだ言って結構な影響を人に与えます。たとえば自分は1980年生まれなんですが、松坂大輔選手と同い年なんですよね。それがどういうことになるかと言うと、高校生のボンクラで、自分がどうなるかは勿論何がやりたいかやれるのかを分からない時期に、あの甲子園大会を家のテレビで観ていて。これはやっぱりこたえるんですよね。で、いつか、この気持ちを一緒に経験した同い年と仕事したいってのもそのとき既に思っていて。こんだけ見せつけられて、いつかケリをつけないとってのをずっと抱えていて。

 で、じゃあ、自分とそう遠くなさそうなところにいる方で、自分と同年生まれの人や、世代的に近い人ってどんな方がいるんだろう、と思い、超プロトタイプを作ってみました。自分用のメモって意味合いが強いですが。でも、次に何かが始まるとしたら、それをやるのはこの世代の人のはずなので、ちょっとした気持ちで作ったものです。

 現状、完全にプロトタイプです。ここに掲載されてる方は、「水道橋博士のメルマ旬報」「WOWOWぷらすと」「TV Bros.」「大谷ノブ彦オールナイトニッポン」「文芸あねもね」「マッスル(プロレス団体)」と、ぼくが大好きなテレビ番組に関わってる方を掲載しています。この世代で素晴らしいお仕事をされてる方もほかに沢山いらっしゃいますが、色んなところから入れると収拾つかなくなりそうだったので、あくまでもプロトタイプということで、ここに記しておきます。今後追記することもありそうですが、取りあえずは現状、プロトタイプということで、ご了承ください。

1975年
佐久間宣行(「ゴッドタン」)

1976年
山口隆(メルマ旬報) 九龍ジョー(メルマ旬報) サンキュータツオWOWOWぷらすと) 川田十夢(TV Bros.) 柴那典(ダイノジ大谷ANN) 宮木あや子(文芸あねもね)

1977年
伊賀大介(メルマ旬報) 荒井カオル(メルマ旬報) 中井圭(WOWOWぷらすと) 春日太一WOWOWぷらすと) 吉川トリコ(文芸あねもね) マッスル坂井(マッスル) 男色ディーノ(マッスル)

1978年
坂口恭平(メルマ旬報) てれびのスキマ(メルマ旬報) アントーニオ本多(マッスル)

1979年
福田恵悟(LLR)(WOWOWぷらすと) 岩崎太整WOWOWぷらすと) 蛭田亜沙子(文芸あねもね) 三日月拓(文芸あねもね)

1980年
木村綾子(メルマ旬報) 酒井若菜(メルマ旬報) 相沢直(メルマ旬報) 山内マリコTV Bros./文芸あねもね) おぐらりゅうじ(TV Bros.) 藤井憲太郎(「クイズ☆タレント名鑑」)

1981年
南綾子(文芸あねもね) 柚木麻子(文芸あねもね) 高橋弘樹(「ジョージ・ポットマンの平成史」)

1982年
志磨遼平(TV Bros.) ジェントル(WOWOWぷらすと) 豊島ミホ(文芸あねもね)

1983年
風間俊介TV Bros.) 蒼井そらTV Bros.) 矢野利裕(ダイノジ大谷ANN)

1984
ガン太(マッハスピード豪速球)(メルマ旬報)

 なんか、書いてて面白かったので、今後も機会あればちょっとずつ増やして行こうかなと思っています。勝手にお名前書いてしまってすみません。何かしらのご参考に。